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さすらう剣士と魔物憑き  作者: Facebody
トナリ・ノシバハ双王国 常闇の森
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第二十四話「多頭水蛇の贄」

 待ちわびた春暁は漸く明けた。常闇の森は、相変わらず一筋の朝陽も射すことなく冥闇に覆われている。否、今朝はそうではない。レギオンらが息を呑み見つめる闇のなかに、眩しげな陽光がぽっかりと穴を穿つように差し込んでいた。


 逸る気持ちを抑えながらも、沼を横目に朝餉の仕度にかかる。日の食事は決められた通り、朝晩の二回。挽き麦をふんだんに入れた鍋で麦粥を煮込み、昨夜の夕餉に残った熊肉を細かく刻み薬味草と一緒に具として加える。狼娘が持つ魔法鞄からは長持ちする固焼きの麺麭と乾酪チーズ。魔獣角の小刀で薄く割いて添える。腹が減っては力が入らぬし頭も回らない。しっかりと腹に溜め込んでいく。


 てきぱきと朝餉と、その片付けを済ませると戦装束を検めて直す。腰と背に配する矢筒に四十の矢を込め弓弦をしならせ弾みを確かめてみる。金貨四十枚に値する長弓に満足すると背に負い歩みを運ぶ。腰帯の剣吊には魔剣が煌き、血肉を斬り裂く機会をいまかと待ちわびていた。


 半人馬の戦士と共に古代樹が疎らな林を抜け、下草が生い茂る森沼へと掻き分けていく。翠玉の如く輝く水面は静かで、より鋭敏になった魔眼でも魔物の気配は感じられない。沼の傍には何かに使われるのだろうか、石舞台が設けられている。古めかしい石柱が立ち並び、中ほどには石造りの石台が配されていた。


 流石にこのまま無防備に近づくのは宜しくはない。仲間を意味もなく危険に晒すのは好ましくないからだ。まずはレギオンが様子を見てくることで合意する。髭と小粒、狼娘や半人馬の戦士らを木陰で待たせ、身を屈めながら石舞台へ忍び寄っていく。土台の石積みに背を預け辺りの様子を伺うが、それらしき魔物の気配はないようだ。


 噂によると、多頭水蛇ヒュドラと遭遇したらしいのは沼の畔。体長は頭から尾まで五十フィート、四脚が具わり木造の平屋ほどの巨大な胴を持つという。幾条にも分かれた長い首には、鋭い牙を持つ獰猛な頭が乗っているらしいが見たことはない。狩猟者協会でも高額な狩猟物の報酬が約束された、狩るのに大変危険が伴う魔物であった。


 そっと、土台の影から顔を覗かせると五十フィート先に苔生した石台が鎮座しており、さらにもう五十フィート向こうには静かな水面が広がる。見回すと石舞台は縦横百フィートほどの正方形で、両脇には古代文字と思しき彫刻がなされた石柱が整然と並んでいた。

 

(何か聞こえる。声?)


 よく目を凝らすと石台の基底から顔を出す者がいた。背丈は三フィート足らず、長い鼻に豊かな顎鬚を蓄えた姿はドワーフによく似ている。襤褸を被る老人のような容貌の小人は手招きを繰り返す。


「そこの旦那さん。助けて下さい。囚われの娘っこがこの下にいるんです」


 訝しげに考え込むレギオンに小人は自身の右足を差し出して見せる。足首には鉄輪が巻かれて鎖を引きずり、手を合わせて憐れみを乞うていた。


「私もここに繋がれているんです。どうか、どうか助けて下さい。解き放ってやって下さい」


 困って助けを呼ぶ姿をどうしても放ってはおけない。仕方なく石舞台の土台に足をかけてよじ登ると小人へと歩み寄っていく。石台の沼側に回り込むと、掘られた縦穴が顔をのぞかせ鉄の格子で閉じられていた。小人に導かれるまま穴の中を覗き込むと、なるほど人らしき襤褸切れ姿が目に映る。いつからここにいるのだろうか、衣服として用を成さないほど擦り切れた袖のある単衣の外套ローブを被り、破れた生地から覗く肌は何処も彼処も垢と汚物に塗れ猛烈な悪臭が鼻をつく。



 唯、まっすぐに瞬くことなく深紫色に輝く瞳が見上げている。

 吸い込まれるように魅入るレギオン。



「娘っこがいる限り、私は離れられないのです。さあ、この鉄格子を開けて解き放つのです。さあっ!」


 我に返り必死に訴えかける小人を見やると、期待に満ちた目は見開かれレギオンを圧す。暫くの躊躇と沈黙の後、迷いながらもとうとう鉄の格子に手をかけた。


 その刹那、静かな水面に水柱が立ち、恐るべき咆哮を輪唱するそれは石舞台へと踊りでた。八首をくねらせ獲物を認めると顎門をガチガチと打ち鳴らす。鋭い爪は舞台の基石を抉り前肢を踏み鳴らして地響きを立てる。


「きゃはっ。引っ掛かった! あははっ、牢獄の番人を解き放っちゃった!」


 嘲笑い小躍りする小人。多頭水蛇が身をくねらせ長く撓る尾が石台を激しく打つと、慌てて基底の隙間に身を隠す。


(ちっ、騙された! 逃げなければ)


 悠長に長弓を構えている暇はない。脱兎のように飛び退ると、もと来た順路で一目散に逃げ去っていく。ここに止まれば不利な戦いを強いられ勝ち目が薄い。仕切り直すほうが得策なのだ。


「うわっ!」


 石舞台の縁から飛び降りようとしたレギオンを何かが撥ね返す。慌てて周囲を手探りすると見えざる壁が立ちはだかり、この場から逃げだすことを阻んでいるのだ。縦横百フィートほどの闘技場と化した舞台には多頭水蛇とレギオンのみ。


「ヤバい。逃げ道が、ない」


 魔物の息づかいに振り返る。久々の獲物なのだろう。多頭水蛇は涎を滝のように滴らせゆっくりと迫る。石舞台には砕かれた剣が幾つもうち捨てられ、食いちぎられ乾涸びた馬脚が朽ち果てていた。過去にもここで罠に嵌り、悲しい結末を迎えた者がいたようだ。


 退路はなくなった。

 やつを屠るしか活路はない。


 助太刀とナヴィーンら半人馬の戦士が石舞台へと駆け上がろうとするが、見えない障壁に押し戻されてどうすることもできない。沼からは美味そうなご馳走を嗅ぎつけ人蜥蜴どもが集う。五指に分かれた指には水掻きと捕らえたものを離さぬ鉤爪が具わり、三ツ又の槍を携えて垂れ下がる舌でチロチロと辺りに探りを入れる。


「罠に嵌まったんだ。俺にかまわず逃げろ!」


 オーインは聞こえない振りで得物を抜き放ち、スープも吹き矢を手に木陰に身を潜め狙いをつけた。助けられぬと悟った半人半馬たちも、已む無しと長槍を揃えて人蜥蜴と対峙する。


「レギオンさま助ける! ペーネロペ助けるの! 待ってて!」


 姿が見えないが悲壮な叫びに冷静さを取り戻すレギオン。抜け道を探っているのか、石舞台の縁を這いずり回る気配がする。


(俺が凌がねば皆殺しになる。それだけは……それだけは我慢できんッ!)


 突如として我を忘れるほどの怒りが湧き上がり振り絞るように咆哮を放つ。魔法銀の冑から、メラメラと燃えたつ業火のような輝きが溢れだし体躯を覆っていく。引き絞られた弓から、放たれる矢の如く猛進するレギオン。石柱を盾に一気に間合いを詰める。多頭水蛇は前肢で邪魔な石柱を薙ぎ倒し、鋭利な牙が生えそろう顎門を次々と繰り出し迎え撃つ。


 魔剣と牙が火花を散らし咆哮を上げて迫る。顎門は際限なく噛みつき、止まれば防ぎきることはできない。身を捻りやり過ごすが剣を浴びせるまでの暇もなく、ついには噛みつく牙を躱しきれず浅手を負い飛び退った。


 だが、怒気の勢いは衰えることはない。弧を描くように石舞台を凄まじい勢いで駆け抜ける。図体がでかく左右の動きには反応が鈍く、頭数は多いのが災いして連携を欠き、延びきる首同士が絡んで邪魔し合う。この機を逃さず大木のような足下に滑り込こむと、血に飢える魔剣を下から首元に突き立て力任せに斬り裂いた。鉄の刃を寄せつけぬ分厚い鎧皮も雷電には抗しきれない。噴水のような血飛沫が石舞台を朱に染める。


 堪らず苦痛を喚き千切れかけた首を引きずる多頭水蛇ヒュドラ。巨体の横腹から這い出ると、諸手を大きく振りかぶり右の腕脚を一刀両断に斬り飛ばす。支えを失い横倒しになるがレギオンは止まらない。首をめぐらし悲鳴を上げてもがく多首を次々に刎ね飛ばしていく。


 息も絶え絶えの巨躯の魔物に、止めの一撃を見舞おうと魔剣を振り上げた刹那、上方より撃ち込まれる光弾が射抜くように胸や腹に命中する。経験のない苦痛に襲われるレギオンは堪らず地へ片膝を突いた。


「おうおう、どこの輩か分からぬがやってくれるではないか」


 頭上高く現れ出た魔法衣の者は、中空へ浮かぶ魔方円に立ち見下ろしている。杖を掲げ呪文を唱え始めると、幾つも魔法の光弾が魔法使いの周辺に忽然と浮かぶ。

 

 レギオンの体躯を包む焔の輝きが徐々に失われていく。激しい怒りに囚われた意識が冷静さをとり戻すなか、五体を覆う筋肉には激痛を残す。軋むような痛みが駆け巡り、体躯の自由を奪って力が入らないのだ。

 

(くっ! 何だこれは? 動くことができない)


「ふふっ、無様に這いつくばれ。名もなき者よ、死……」


 口から飛び出す鏃が、嘲りの言葉を断ち切った。よろめき杖をつく魔法使い。射られたほうを睨むが声もなく、続けざまに右目と眉間に突き立つ短弓の矢に、永遠の沈黙を強いられる。


「レギオンさま、逃げるのっ! 大きな怪物生きてる! 早くなの!」


 見えざる壁が消え去ると、動けぬレギオンに駆け寄ろうとするペーネロペ。


 残る首はただひとつ。仕返しとばかり牙を剥く多頭水蛇が、手負いの戦士へと這いずり迫る。身動ぎすることもままならぬレギオンにたどり着くと、無防備な胴へ顎門が齧りついた。鋼刃も弾く飛竜の鱗帷子は一呼吸ほど耐えたが、鱗を砕きながらめりめりと鋭利な牙が体躯に食い込んでいく。魔法銀の胸甲は辛うじて耐え抜くが、噴き出る鮮血に染まり輝きを失いつつあった。


「ぐうぅ……痛ってぇ」


「あぁ! レギオンさま! レギオン傷つける許さない!」


 狂ったように何度も何度も斬りつける、ペーネロペの小刀はボロボロに欠けるが、水蛇の首には傷ひとつない。助けを呼ぼうにも、オーインもスープも人蜥蜴を相手に手一杯で、ナヴィーンらも振り返る余裕すらない。誰も当てにはできないのだ。


(あぁ! レギオンさまが死んでしまう! ペーネロペはレギオンさまを護る。ペーネロペは)


「ペーネロペ……逃げろ……」


 その刹那。

 人狼たるペーネロペに変化が訪れる。革鎧や腰帯は弾け身に纏う一切が千切れ去った。膨れ上がる体躯を目映い白銀の毛並みが包み、頤には乳白色の鋭い牙が生え揃う。


 橙色を爛々と輝かせ、レギオンに食らいつく水蛇の首に牙を突きたて、返り血を浴びるのもかまわず怪物に止めをさした。気遣うように蒼白な顔をひと舐めすると、魔物の精気を吸い上げた鬣が一際妖しく輝く。白銀の陽炎を纏い沼へと疾走する銀狼は、恐ろしげな咆哮を上げ人蜥蜴に踊りかかっていった。

 

 オーインとスープは新たな魔獣の乱入に幾分焦ったが、魔物同士が襲いあっていると感じると、すぐさまレギオンの元へと馳せ参じる。横たわる姿は血に染まり、胴には息絶えてはいるが多頭水蛇が食いついたままだ。


「レギオン! 生きておるんか! レギオン! 返事をせい!」

「レギオンさ~ん。死んじゃだめだ~レギオンさんがあ~ん。死んじゃった~!」


「……勝手に……殺すな! あぁ、痛てぇ」


「おおっ生きとる! スープあれじゃ、あれ。なんじゃったか? ほれ! ベルタランが言っとったあれじゃ!」

「あれ? あれってなあに?」


「あれじゃ! ベルタランが言っとったろうが! 硝子瓶に入ったやつじゃよ!」

「あ~水薬! でも、あれ大丈夫なの~?」


「そんな悠長なこと言ってられんじゃろうが! 早ようせい! ばかたれが!」

「はいは~い。たしか魔法鞄にあったよ~」


 死にかけのレギオンから魔法鞄を奪い取り、髭戦士は大慌てで水薬を口に流し込んでいく。ちょっと零れたがこの位かまわないだろう。すぐにレギオンの血色が目に見えて良くなり一安心すると、息絶えた顎門をこじ開け引き剥がす。土手っ腹に穿った傷もみるみる塞がり白く盛り上がる傷痕だけが残った。


 いつの間にかナヴィーンらも石舞台まで下がり戦いの行く末を見守っている。乱入してきた白銀の魔獣は敵ではない。相手の殺気や気配で分かるのだ。十ほどの人蜥蜴を弄ぶかのように素早い身のこなしで翻弄する。怖気づく魔物を一匹、また一匹と鋭利な牙や爪で屠る。分厚く硬い鱗もお構いなしで、小刀で麻布を裂くように易々と引き裂いていった。


 レギオンらを除き、見渡す限り動くものは息絶えた。銀狼はフルフルと体躯を震わせくしゃみをひとつすると、お散歩する犬のように尻尾をパタパタ振りながら横になったままのレギオンに走り寄る。髭戦士や小粒わな師は警戒するが、半人馬の戦士らは長槍を下げて強者に敬意を表す。


 馬ほどありそうな体躯を摺り寄せると、大きな鼻頭で銀灰髪の匂いを嗅ぎ顔を舐め上げる。レギオンはされるがまま、腕を伸ばして狼耳を引き寄せやさしく撫でた。このもでっかくなったものだ。


「おまえがいてくれたから助かったよ。ペーネロペ……ありがとう」


「レギオンさま。ペーネロペは、いつ如何なるときもお仕えします。この身を捧げて」

 

 変化は解けていた。もうそこには、かつての少女の姿はない。くびれのある、腰まで波打つ銀髪が成熟した裸身をさりげなく覆う。はちきれんばかりの双峰は、ほっそりと引き締まる二の腕が容易に晒すことはない。あどけなさは残るものの大人となったペーネロペの美しい顔立ちには、今までにはない知性が宿り妖艶な笑みはゾクリとさせる色香があった。


 そして、レギオンだけは感じる。豊かな胸の谷間には、宝玉のような魔晶石が妖しく煌くことを。


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