第二話「連れ谷」
「さすらう剣士と魔物憑き」の設定など
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幅十マイル、長さは十五マイルほどの赤茶けた岩盤が三つに裂け、それを貫くように緩やかなラズナ河と川幅の狭い急峻なサリア河が流れる。二つの河は曲がりくねりながら中央でぶつかり、長い年月に幾度も氾濫を繰り返して川下に肥沃な土壌を生み、周辺の水辺には豊かな森が広がっていた。
九百フィートを超える切り立った岩壁は冬の嵐から谷を護り、またその裾野には豊富な鉱物資源を擁している。さらに河の南方には、広大な草原が広がり多くの動植物で満ち溢れていた。
連れ谷は異なる種族の人々が幾つかの集落に別れ、それぞれを里と呼び暮らしている。人族の長シグルドの祖先が切り開いてから百六十年ほど。もっとも多く居住する人族を始め、ドワーフやエルフ、そして最近はハーフリングといった亜人族も移住して来ていた。
人族は、ラズナ河東岸のほとりに集落を築いている。里の周囲には石垣を築き守りの要とし、その内側には森から木を切りだして建てられた住みやが並ぶ。柵を張っては家畜などを飼い、石垣の外側に土地を耕し、主に穀物や芋などを育て慎ましい営みをおくっていた。里の男たちの多くは周辺で狩猟を生業とし、女子供などは畑仕事や工芸品を拵えては生活の支えとしているのだ。
辺境の集落ゆえ同職協会や商店などはない。鍛冶仕事が得意なものは武具や農具を拵え、狩猟に長ける者、畑仕事が性に合っている者は、収穫物や狩猟物などをお互い融通し合い生活の支えとしていた。ときに幾人かで集い交易に出向くこともあるが、不定期に連れ谷を訪れる行商人もありさほど困ることもなかった。
長の館は里の中央にあり、周囲より一段高く盛土を築いたところにある。石造りの基礎に木造りの骨組みと板葺きの屋根。壁はラズナ河の細かな堆積粘土と石灰岩を砕きよく混ぜ合わせたものを塗り固めていた。館の中央には両開きの大扉があり一方は長の居室と大広間が、もう一方は女子供が住まう部屋が幾つかあった。
「うーん」
日が高く昇るころ、二日酔いのレギオンが寝床から身を起こす。すでに木窓は開け放たれており、陽光と涼しげな風が眠気を覚ましていく。部屋の中には人影はなく、空になった寝床が二つと机、それから狩りに持っていった背嚢と革鞄があるのみであった。
「頭が……飲みすぎた」
実のところよく憶えていない。
仲間と飲み比べで大騒ぎしている間に、麦酒が火酒にかわったらしいが定かではない。分かっていることは、鎚で頭を打ちのめされていることだけなのだ。
「あ、あぅ……」
銀灰の髪を毟りながら机上の水差しに手を伸ばす。口に含むと少しだけ酔い覚ましの薬草の味がする。誰かが気を回したのだろうか。それとも、火酒を仕込んだ仕掛人かもしれない。一気に飲み干すとそのまま力尽き床に転がる。
今朝の敵は、梟熊より手強く執拗に責めたてるようだ。胸のむかつきに悶えながら寝返ると、目の前に無造作に置かれた背嚢が黒瞳に映り、洞窟の戦利品を思い出した。薄手の上質な皮袋で、中に収められているものは見た目より軽量だったと記憶している。
「たしか、剣だったな」
腕を伸ばし背嚢を掴もうとした刹那、荒々しく部屋の扉を開き訪れた者があった。
「レギ兄ぃ~、いつまで寝てんだょ~起きなって。って、なんで床にいるんだよ!」
(相変わらずうるさいやつだ)
一瞥すると無言で寝返り背を向けるレギオン。何事もなかったかのように。
「起きなって。起きなよぉ。あたしが相手してあげるからさぁ。ねぇ~ってばぁ~レギ兄~起きてよぉ~、ねぇってばぁ~約束したじゃんよぉ~」
問答無用とレギオンの腕を引っ張るのは妹だ。齢にして十五か、十六。とりあえずしつこいのが妹に対する印象だ。母親に似て赤毛で整った目鼻立ちをしており、性根は似ていないが美形で産んでくれた母に感謝しろと思ったものだ。
「神に誓って約束はない。したこともない。する気もない」
「こないだぁ~弓の使い方教えてくれるって言ったじゃんかよぉ」
(憶えてたのか)
冷徹に言い放つ兄に何の痛痒も感じないどころか、ごり押しで言わされた言葉を持ちだしてくる始末だ。まったく誰に似たのかやれやれである。
(早く、遠いどこかへ嫁げばいいのに)
言いはなった手前、仕方がなかった。レギオンに二言はないのだ。
しぶしぶ振り返ると、満面の笑みで待ち構える妹と目があう。とても愛くるしい栗色の瞳は輝き、ほんのりと上気した頬はこれからかまってもらえるだろうという期待で緩みぱっなしだ。
(普通にしてればいいんだが)
見た目の容姿が優れているだけに残念に思う兄であった。カーリーンは三兄弟の末妹。背丈は五フィートほどで伸び悩んでいるようだ。背まで伸ばした赤毛を髪留めで束ね、先日まで短剣を振り回していたがこの頃は弓を使いたいと言いだす始末。父も大兄も面倒なのだろう、相手にすることもない。
酔い覚ましの薬草が効いてきたのか、身を起こしため息をつきながら重い腰をあげる。少しまだ頭が痛いが我慢できないほどでもない。この後のほうが、よっぽど頭が痛いのだ。背を丸め部屋を出て行くレギオンを子犬のようにはしゃぐ妹が、付けまわしたのは言うまでもないことだった。
暫し、ときが経つ。
夕刻になると辺りは赤く染まり、黄金色の夕日がゆっくりと遠く山向こうに沈んでいく。人々は、その日の稼業を終えると各々家路に着くことになる。石垣の外で畑仕事を済ませた者が門をくぐると、護人が周囲に人の姿がないことを視認してから鉄製の門扉を閉ざす。
連れ谷の森も狼や熊といったわりかし危険な獣が住み、河の中には大蟹などの水棲の魔物が潜んでいた。小鬼などの魔物も迷い込むことがあり、昨年の夏季には大鬼が里に侵入しようとして退治されることもあった。
背の高い石垣と、頑丈な門扉を設けることで里の安全を確保しているのだが、さらに護人が昼夜ともに警固することで里の安全をより高めているのだ。
長シグルドの仕事は里の防衛にある。
祖先がこの地に移り住む前はトアル騎士領の上位騎士であったと言い伝えられていた。初老に達し老いを感じた初代はお暇願いを申し出たのち、今日より南方のドルドレイの狩場付近に村を築いたとされる。
一族とそれに付き随う人々、百人余。安定した生活が営まれるまで苦難の連続であったと想像される。道半ばで亡くなる者、苦難を強いられる生活に耐え切れず去る者も居たという。その後、村を放棄する必要が生じ現在の里に居を移したのであった。
今やシグルドを筆頭に五十一人の護人が、多くの者が住まう里と連れ谷を警固する職を得ている。亜人族の里も戦士などが護りを固めてはいるが、各々少人数であるため手強い魔物の脅威をすべて防ぐことは難しい。里同士が助け合い魔物を駆逐することで連れ谷を護っているのだ。
その代わりにドワーフからは頑丈な金属製品をエルフからは高品質の衣類や美しい革加工品を得ており、最近ではハーフリング達からも便利な罠道具などの提供も受けるようになっている。
日がとっぷりと暮れ里の家々に灯が点る。館の食堂には家族が集い、大きな食卓の中央にある椅子にシグルドがどっかりと腰を落ち着けていた。
齢は五十を数え、六フィートを超える体躯に重厚な筋肉が満遍なく覆っている。レギオンの銀灰髪と黒瞳は親父ゆずりであるが、当の本人は幾分てっぺんが薄くなっており短髪に仕上げて誤魔化していた。
シグルドの両脇の右席に兄ベルガリオンが、左席にはレギオンが腰掛け、少し離れて母と末妹が食事する。その他に給仕として母に小間使いが付き添っていた。
「レギオン。この度の狩りの試練、大儀であったな」
「はい。親父さま。一人も欠くことなく終えました」
達成することは親子とも当然と考えており特段思うところはない。この程度で倒れる者などそういるはずもなく、いたとしても辺境ではそう長く生きられないだろう。
「ただ、主を見かけました。遠目でしたが……」
「わかっておる。ますます力を増しとる」
父と弟の会話に頷きながら、厳しい表情をベルガリオンも浮かべている。
「連れ谷の繁栄に主の討伐は避けて通れぬ命題です。もちろん、今の兵力では当然無理ですが」
「うむ」
「国王に掛け合い、軍隊を派遣して頂く程度しか知恵が浮かびません。それには大金が必要でしょう」
「うむ」
「父さんとレギ兄が倒せばいいじゃん。こ~ババンとっ」
「あ~、だまっとれ」
「おっ、網張るといいかもねぇ~こ~ワシーっと。わたしっていいとこ突くよねぇ~」
「だまっとれ!」
「でもさぁ……」
「……」
いつもの事なので俺たちも母さんも父妹の会話には加わらず黙々と食事に没頭する。給仕のヘンリエッタもよく理解していて、葡萄酒の甕を食卓に置くとそそくさと隣の部屋に消えていった。
「兄さん。一杯やろう」
食堂から逃亡する間際、葡萄酒の甕と酒杯を二杯くすねて来ていた。部屋に入ると、机の前に昨日からの背嚢が邪魔しており、足で脇に蹴り飛ばすと軽い金属の音が響く。
机にたどり着くと、ベルガリオンの返事を待たず、月明かりを頼りに酒杯に注ぐ。レギオンとベルガリオンは相部屋なので寝酒に丁度良かったのだ。
「レギオン。お前はこれからどうするつもりだ」
「あんまり考えていない。正直なところ。兄さんが、父さんの跡を継ぐから俺は護人かな」
お互い寝床に腰掛て酒杯を仰ぐ。葡萄酒はなかなか口にすることは無い。なぜならこの連れ谷では醸造されていないからだ。町まで出て交易で手に入れるか、ときおり訪れる行商人から譲ってもらうしかない。
「そうか。てっきり里を離れるのかと思っていたんだが」
「まさか。今のところ里を離れる気はないさ。他所でやっていく自信も無い」
そうは言ったものの旅に出てみたいと思うこともある。嫡子のベルガリオンと違ってその点は融通が利くためだ。仕官する道もないわけではないが人に仕えるなんてまっぴらごめんである。大兄なら気心も知れているし、まあ我慢できなくもない。身勝手な妄想に浸っていると、いつも間に甕が空になってしまっていた。
(飲み足りないがやめにしとこう。昨日のこともあるしな)
名残惜しそうに空になった酒杯を眺めていたが諦めると机の上に置き、大兄に行き先を告げ、そっと屋敷から抜けだす。狩りで汚れた身を清めるためだ。
里のなかには井戸が幾つも掘られている。一番手近な井戸の洗い場にたどり着くと、狩りの装束を脱ぎ全裸で体躯を清めながら、頭上の満天の星空を見上げる。
「もしかしたら。いつか。別なところで星空を拝んでいるかもな」
携えてきた手拭いで体躯を拭きあげると、大白鼬の革をなめした衣服をまとった。銀灰髪から垂れる滴を拭いながら、石垣の上でごろん、と仰向けになる。
レギオンの心中に去来する思いを誰も知る由もない。
唯、ときが流れるまま静かに星空を眺めるレギオンであった。