第十一話「ドワーフ砦」
屹立する赤壁は、鉄鉱をふんだんに含み赤茶けた岩肌を晒している。資源豊富な岩盤を刳り貫き、様々な鉱石や貴石などを掘り出した鉱山跡を要害として、ドワーフ砦は威容を誇っていた。エルフ森からは六マイルほど北西にあり、ここを境に危険な魔獣、魔物が跋扈する人外の領域が待ち受けている。レギオンがたどり着く頃には夕暮れが砦を染め、たたら場からは幾条にも鍛冶煙が立ち昇っていた。眸に映る巨大な鉄門には、戦斧を杖に鉄のドワーフ戦士が聳え立ち魔物の類いを寄せつけることはない。
「俺は、連れ谷の戦士レギオン。シグルドの氏族に属する者。族長ゴーインに取次ぎを願う」
「暫し待たれい。人の戦士よ」
物見穴から顔をだすドワーフに名乗りを上げると重々しい返事が響く。
ドワーフ族は大概に長い髭を生やし大地の土色肌が特徴で、髪の色は灰か黒または暗茶色である。背丈は五フィートを超えることはないが、がっしりとした屈強な体躯を持ち生まれながらの戦士であった。暫くして、角笛が響きわたり鉄門が地響きをたてる。分厚い扉の隙間には、鎖帷子に円盾、ずんぐりとしたドワーフが髭を揺らす。
「何用だ? 族長は休んでおられる。また、出直すがよい」
「旅路の挨拶と用足しに参った。それと一晩の寝屋を借りたい。これは心づけ、よしなに願う」
魔法鞄から火酒を取りだすと目の前にぶらさげる。ドワーフは大の酒好きで機嫌を取るにはこれが一番なのだ。
「おう。これはこれは、ご丁寧に。遠路お疲れでしょう。ささ、案内しよう」
ドワーフ族は飲食を好み、貴金属をこよなく愛し、山肌を刳り貫いた洞窟を寝座としていている。洞穴は寒暖の差が少なく年を通してすごしやすい。四方の壁や天井、床などを精巧に彫刻した石で設えており、随所に角灯が提げられ暗闇に困ることはない。住みやを鉱山としているならば、複雑に坑道が絡み合い、慣れない者には迷路のように感じるのだ。
ドワーフの砦には鉱石を掘りだした穴跡に、くず岩を削り壁を設けた小部屋が幾つもある。採掘された鉱石の仕分けや狩りで得られた獣肉を熟成したり、ひんやりとした洞穴は酒樽の貯蔵にも丁度良い。また、招かざる客をもてなしたりといろいろ使い道があった。
レギオンは、肌寒い洞内に毛布を敷き荷物を下ろすと、先ほどのドワーフに薪を分けてもらい、ほくち箱から火打石と火打金を取りだす。乾燥した草をほぐして火口にすると、さきほどの火打ちで火花を落とし、火種が燻りだすと息を吹きかけ火を熾した。火に薪をくべると暖かみのある炎が立ち、ようやく寛ぐことができそうだ。
「エルフ里から思ったより時がかかったな」
連れ谷もそうだが、辺境には街道というものはない。道は人が歩けば自然にできるというものではなく、その土地の統治者が軍隊の移動のためや商業の発展のために整備するものなのだ。もちろん、あぜ道やけもの道といった道紛いのものはあるが、人の往来を容易にするというには程遠いものだ。よい点もない訳でもない。人の気配が薄いため獣や魔獣といった獲物と遭遇することも多く、食料の調達の上では好都合でもあるのだ。
レギオンもそのひとりである。
ラズナ河を沿って北へ向かっていたところ、数頭の鹿と出会うことができた。水を飲みに来たところなのであろう。鹿の群れが水際でくつろいでいるところを長弓で一頭仕留めたのだ。長い旅路には多くの食料が必要であったので、両足に縄を巻いて木にぶら下げ、のどを裂いて血抜きをする。その上で、生皮を剥ぎ手馴れた手捌きで解体していく。鹿肉を部位ごとに切り分けたら岩塩を塗し汚れぬように袋に小分けした後、剥いだ鹿皮と合わせて魔法鞄に詰めた。
ごく最近まで知らなかったのだが、魔法鞄に入れた生ものは直ぐには腐らない。絶えず新鮮とは言わないまでも、長い旅路で肉を欠かさず堪能できることはありがたいことだ。
レギオンは刃が欠けた小刀で木串を削ると、鹿肉に刺して火にかけ炙る。次に、麦粥を煮るため薪と革紐で三脚を組み焚き火に跨がせ、挽き麦と水筒の水を注いだ小鍋を吊るす。僅かに岩塩と香辛料を加えると、食欲をそそる匂いが漂いはじめた。
「あぁ、うまい! もう一頭、狩っとけばよかったかなぁ」
肉を頬張り、木の匙で麦粥を啜り、火酒をぐいっと飲み干す。手持ちがなくなると暫く飲むことができなくなるが、大事に取っておくといったことはしない主義なので、あっという間に一本空けた。このドワーフ砦は万年、火酒が不足気味なのでここでの調達はまず望めないだろう。
(用事が済めば、とりあえず隣り町まで行ってみるか。なにか面白いことがあるかもしれん)
暢気な考えと満腹気分が眠気に拍車をかける。残り一切れを放り込むと、小鍋を片付けゴロンと転がった。残った薪を火にくべると外套を被り眠りにつく。明日からは野営なのだ、ゆっくり休むことはなくなるだろう。
夜が明けるとドワーフ砦は騒がしい賑わいが弾む。連れ谷では人族に次いで頭数が多く、武具や防具を扱う商店やさまざまな道具類を扱う出店など、人族の里にはないものが多く揃うのだ。その上、行商人の姿もかなり見受けられる。
レギオンは武器を扱う店で戦利品の得物を売り払うと、それほど粗悪なものではないらしく金貨二十枚と銀貨五枚にもなった。店の棚には、大剣や戦斧、鎖帷子、板金鎧といった鋼の武防具がずらりと飾られている。興味はあるが道中には必要のないものばかり。店を出ると雑多な道具類がところ狭しと置かれている出店に目を向けた。
「だんなぁ。気に入ったもんがありゃしませんかぃ? 安くしときますぜ」
「角灯と予備の油、それと砥石。革と剣の手入れ油も多めにほしい。それと、狩猟小刀の良いのはあるか?」
「全部で金貨十三枚でさぁ。捌き刃ですかぃ? あるんにゃあるんだが、ちょいと高いですぜ」
魔法鞄から金貨を渡すと品物を受けとり確かめてみる。壊れていては元も子もないからだ。手に取り試している間に、店主は奥から一振りの小刀を取りだした。渡された小刀は、刃渡りはそう長くないが幅広の曲刃でいかにも切れ味がよさそうに輝いている。鞘と柄は魔獣角で誂えているらしくただの狩猟小刀ではないようだ。
「前の持ち主は狩りの名手だったんですがねぇ、魔狼に食われちまったんですよ。亭主がおっ死んだんで嫁さんが金に困って売りに出したってっしろもんでね。良いもんなんで金貨三十枚でさぁ」
「それは高い。それじゃ手持ちが足らないな」
渡された片刃の小刀を台に置き、先ほど手に入れた品々を魔法鞄に詰めこむレギオン。あっさり引き下がられて拍子抜けしたが、店主は気を取り直して畳みかける。
「だんなぁこりゃお値打ちもんでぃ。今、手に入れておかにゃあ二度と手に入らないですぜ。あぁ、だんなにゃかなわねぇ。金貨二十枚に負けますがね」
「金貨六枚」
「だんなぁ! あたしに飢え死にしろって言うんですかい? ええぃ、金貨十五枚だぁ」
「金貨八枚」
「だあぁ。えぃ、ちくしょう! 金貨九枚! これでもかぁ!」
「よし。もらおう。金貨九枚だ」
うな垂れる店主の前に金貨を積むと、魔獣角の小刀を手に収める。それでも並みの相場では小刀が三振りは買える値段だ。手持ちの金貨はほぼ無くなっていた。
「魔晶石を砦では買い取らないのか?」
「ここいらじゃ、引き取るとこはないですぜ。北に遠く孤高の樹上街マグナディアか、南に遥か彼方の魔法都市ハルツァイム。どっちもどっちですぜぃ」
(連れ谷では、まとまった数を引き渡す約束で行商人に引き取ってもらっていたが)
魔晶石などを換金しながら旅を続ける。その旅路の目論見は、脆くも崩れ去ることになった。魔晶石に収入源を依存する限り大きな町に縛られることになるようだ。
(これは、なんか他に稼げることを見つけないと、荷物だけが増えることになるなぁ)
「そういやぁ、近くの町でも同職協会が開設されてると聞いたがなぁ。そこでなら、魔晶石も何とかなるんじゃないですかい。おっと、情報代は銀貨一枚に負けときますぜ」
(うっ、足もと見てるな。こいつ)
仕方なく銀貨を台に置くと、店主の話に耳を傾ける。
「まいどあり。ドワーフ砦から一番近くて、北東に七十マイルほどにイシュルマルドって名の町がありやす。だんなも耳にしたことはあると思いやすが、常闇の森の傍ですぜ。入っちゃいかん魔の森。ああ、恐ろしい」
「わかった。北東だな。七十マイルか。四日ほど、そう遠くもないな」
「だんなぁ。あんた分かっちゃないね。北のイアドランを通っちゃなんねぇよ。魔物の巣窟だぁ」
イアドラン渓谷。
この界隈では有数の難所である。
ドワーフ砦は大昔に、渓谷から這い出てくる魔物の侵入に備えて構築されたと聞いている。渓谷には数多の魔物、魔獣が潜み、立ち入る者の命を喰らってきた危険な領域。唯ひとりで分け入るには、死地へと旅立つようなものといえるのだ。
「無茶はいけねぇ。下ってエルフの住処から東に抜けて、イシュルマルドを目指したほういい。だんなぁ、命あっての物種だぁ」
「ほかに同職協会がある町は知らないか」
「銀貨をもう一枚。南東に八十マイル、いや八十五マイルはありやすな。王国領内にアルミナスっちゅう、鉱山町がありやす。希少な鉱石が採れると聞いて人がぎょうさん集まってるんで。兵隊さんの砦がありますんで因縁つけられんようにしてくだせえ」
考え込むレギオン。
里から出奔するまでは良かったが、どうやらひとりで生きて行くには大変らしい。日々の糧を得るにも、安心して休める寝屋を得るのにも苦労しそうだった。ましてや魔物が徘徊する辺境をひとりで旅するとなると、より心細さが身に沁みる。
雑貨の店主に銀貨を放ると、人混みを掻き分け食事処が並ぶ洞穴にたどり着く。三十席ほどの洞内には、ドワーフ族や人族、ハーフリング族などが朝餉を掻きこんでおり芳しい香りが立ち込めている。レギオンは壁際の席に腰を下ろすと、女ドワーフの給仕に目配せした。
「いらっしゃい。新顔だね。ここには献立はないよ。ごった煮と蒸かし芋。塩漬け野菜、それと麦酒」
「じゃ、それを頼む」
銀貨を渡すと、幾らか釣銭の銅貨と料理などが食台に運ばれてくる。口に運ぶと脂っこく濃い味付けで、鉱山で仕事をする者向けの食事であるのが想像できる。採掘の仕事は過酷だ。身体を酷使する上、落盤などの危険が伴い神経をすり減らす。そういった食事をとるのは至極当然なのかもしれない。
(たしか、ここいらだな)
食事処を離れると、人混みをぬいながら砦の詰所に足を向ける。鉄門近くに設けた詰所には、ドワーフ戦士が幾人も集い賭け事に興じていた。酒樽を台に、賭け賽のようだ。苦悶の顔色を浮かべるドワーフの脇をすり抜け、詰所に掲げてある掲示板を視線に捕らえる。
【 依頼のある御仁はこちらまで。番兵頭ガーリン 】
【 求む! 聖宝、力の炉。協力者には褒美を遣わす。ゴーイン 】
【 仇を討ってください。連れ谷の境辺り。魔狼。ナールの妻ベイラ 】
【 火酒の運搬。力自慢求む。人族の里までの往復。四人まで。酒管理係り 】
【 急募!町までの護衛。イシュルマルドまでの往路。雑貨商ベルタラン 】
雑貨の店主が、離れ際に無料で伝えたのが掲示板のことだ。ドワーフ砦には同職協会はないが、氏族が砦の中での揉め事や相談事を解決するに当たって、依頼を仲介していることがあるらしいと。もしかすると、都合に合えば利用できるかもと教えてくれたのだ。
(町までひとりで行くよりはましかも)
少し気弱になっていたレギオン。二十面賽を振るう番兵に声をかけ、番兵頭のガーリンに取次ぎを求めた。賭けを止められ不機嫌そうに鼻を鳴らす番兵だが、依頼の件と聞くと態度を改めた。氏族の掲示板に貼られた依頼を解決してくる者には敬意を払うようだ。
「わしがガーリンだ。どの依頼に協力してくるのかね?」
「連れ谷の戦士レギオン。イシュルマルドに赴く用事があるので、護衛の依頼を」
「ふむ。なかなか見所のある御仁。わかった。ベルタランに取り次ごう」
ガーリンの導きで、先ほどまで居た商人通りの一角にたどり着く。どうやら道具屋を商っているらしい。ガーリンの呼びかけに応じて、齢が三十手前ほどで棒のようにひょろ長い人族の男が顔を突き出す。
「やあ、僕がベルタランです。ここで雑貨の商いをしてます。よろしく」
「俺はレギオン。戦士だ。護衛の依頼を受けたい。よろしく頼む」
「ガーリンさん。なんか、強そうなひとですね。あっ、魔法鞄を二つも! えっ、腰に挿してるの魔法銀の剣?! スゲェ! ちょっと、見せてください!」
どうやら、ベルタランは仕事熱心な男のようだ。依頼の件はさておき、魔法の品々を手に取ると丹念に値踏みを試みている。この後、レギオンが商人ベルタランの護衛に就くまで、暫く時を要するようであった。