第一話「通過儀礼」
Story for me.
薄暗い林の中を一人の男が足音を忍ばせ草木をぬうように掻き分けていく。
身の丈は六フィートほど、麻布の袖口から突き出た二の腕にはくっきりと力こぶが刻まれ、その者が頑強な体躯の持ち主と見てとれる。何かを探っているのだろうか。辺りを見回す黒眸の眼光は射るように鋭く、さながら獲物を狙う猛禽のようであった。
辺りは前日からの雨で霧はいつもより濃い。見通しが利かぬこともあり、銀灰色の髪はじっとりと濡れ、緊張にこわばる頬に張付いている。
その者の名は、レギオン。
連れ谷の長シグルドの息子。この世に生を受けてから十九の年月が巡り、狩人と戦士の誉れを勝ち得るため、魔物が多く徘徊する主の狩場に足を踏みいれたのだった。
この里では、独り立ちする上で重要なことが幾つかある。そのひとつが狩り。即ち、日々の糧と収入の獲得である。また、辺境の地では身の安全は保障されない。普段の営みの中で死が隣り合わせに存在し、自身の力でそれらを克服しなくてはならないのだ。その上、独り立ちもできぬ者は財産の所有を始め、一切の権利が認められず連れ添いすら得る機会もない。
いわば避けては通れぬ通過儀礼であった。
「ろくな獲物がいないなぁ」
呟くようにひとり愚痴ると、右手に構えた弓に矢をつがえ、ギリギリと引き絞る。次の刹那に狙い定め放たれた矢は、五十ヤード先に佇む土気色をした小鬼の胸板に吸い込まれた。
「ギッ?」
突然、自分の胸に生えた矢を不思議そうに見つめると、小鬼はその場に崩れるようにへたり込む。木立に見え隠れする魔物の影はひとつではない。レギオンは木立から身をさらすと立て続けに矢を放つ。
「グェッ」
「ギィッ!」
小鬼は単独では行動しない。
必ず幾匹かの群れで行動する習性がある。周りの気配を探りながら露に濡れた草原を抜けると、折り重なるように小柄な三匹の屍があった。各々の胸に矢が突き立ち、すでに息は途絶えている。
長弓を足元に置き、腰帯に括りつけてある、いささか年代物の小剣を抜く。狩りで獲物を仕留めることは初めてではない。あばら骨の隙間に切っ先を突き立て、手馴れた手捌きで切り開く。それは、胸骨の真裏あたりにあった。
鈍く光を放つ小さな塊。
人ならざるもの。
魔物の類が身に宿す魔晶石と呼ばれる魔素の結晶だ。自然に湧きたつ魔素をより多く吸い込むことで結晶は肥大し、さらなる上位の魔物へと変貌を遂げると考えられている。もっとも、連れ谷に住まう里人にとっては、様々な用途と交易などにも有用な貴重な収入源という認識であった。
あわせて小鬼達の腰巻に結わえた小剣も鞘ごと奪いとり、腰に提げた革鞄に魔晶石と一緒にしまい込むと口紐で固く縛る。最後に自身で放った矢を屍から引き抜いていく。
「これはもう使えないな」
鉄製の鏃を折れた矢柄から外し小さな皮袋に入れておく。里に帰ったら新しい矢を補充しなければならない。町まで行けばそれなりに売られているが、連れ谷より近場の町まで七十マイルも隔たりがあり、容易く取り揃えることは難しい。したがって里の多くの者は、狩りの合間にお手製で矢を揃えているのだ。
未明からの狩りで矢を消耗していた。左肩の矢筒は、狩場に踏みいれたころより随分と軽く心許ない。
「日が差してきた。そろそろ主の狩りが始まる」
手についた血糊を麻布で拭い弓弦を弛め巻きつけると、矢筒と一纏めに背負い足早に草原から離れる。この地は人族のための狩場ではなく、日が昇れば狩られる側になるのだ。ぐずぐずしてはいられない。
ふと、見上げると谷間に悠然と現れた主の姿が目に映る。
絶対者ドルドレイ。
上位捕食者として古より君臨する竜種の眷族。幾多の戦士が剣を振るい挑むも体躯を覆う強靭な竜鱗に阻まれ、鋭い牙と鉤爪が身度ほど知らずな挑戦者を無慈悲に鎧ごと切り裂く。運良く躱せたとしても、吐き出される竜の息により息絶え灰燼に帰す。
今日までに、主に喧嘩を売って生き延びた者はそうはいない。天高く舞う主を脅かす者などあろうはずもなく、安閑とはばたき狩場に達すると、朝餉の献立を逡巡するかのように旋回を始めた。
「あの、ぶっとい鼻っ柱に一発お見舞いしたいなぁ……もちろん。今じゃないが」
ようやく森の端にたどり着くと、腰をかがめ荒い息を軽口と共に吐きだした。よほど怒らせない限り森の奥までは追ってはこない。とても狡猾でそして用心深く、身動きが取れなくなることを嫌い、生い繁る木々に囲まれることを避けているようだ。
「皆は無事か?」
「はい!」 「ハイっ!」 「大丈夫です!」
「はい。レギオン様」
「見て下さい。この大粒の魔晶石……」
狩場から戻った里の若者たちがレギオンを囲み、互いの収穫を称え、皆一様に無邪気な安堵の表情を浮かべている。主以外でも、危険な魔物が潜むドルドレイの狩場はそれほどまでに危険なのだ。
「ルーファスが見えないが」
「梟熊を見つけました。あとを追っています」
梟熊の良質な羽毛は矢羽に適している。なかなか手強く仕留めることは容易くないが、魔晶石の他に剥ぎ取れる素材も多い。屠れば暫く矢羽の材料に事欠かないだろう。
暫しの休憩の合間に、木陰から小柄な若者が手槍を小脇に抱えレギオンの眼前に滑り込んでくる。
「沢向こうに巣を見つけました。雄だけのようで番いではないようです」
「いかがしますか?」
背嚢から取りだした水筒を手渡し、労いながら腰に提げた長剣に手をそえる。
「俺が仕留める。みんなも協力してくれ」
口元を引き締め無言で頷くとレギオンに従い沢を登り始める。ひとりでは梟熊に到底敵わないと分かっていたが、なんと言ってもシグルドの二番目の息子は連れ谷きっての荒くれ者。彼に従っていればそれほど恐れることはないだろう。
レギオンは幼少から武勇に秀で、嫡子のベルガリオンは商才に富み、長シグルドの補佐役として連れ谷を治めていくだろう。彼等に仕えればより好い暮らしが得られるかもしれない。彼らの握る剣の柄に、必要以上に力が入ることは仕方のないことなのだ。
思案に耽りながら手槍使いの先導で森の沢を登りきると、木立の合間にぽっかりと口を開く洞窟が姿を現した。洞の径は八フィートほどで中に向かって少し下っている。入り口の周囲は広場になっており、周辺に食べ散らかした獲物の残骸と古ぼけた防具が転がっていた。
「俺が巣の中から誘いだす。出てきたら弓で眼を狙いその隙に仕留めよう」
背負った荷物を降ろし、手短に指示を下すと長剣をギラリと抜き放つ。里の若者たちは、それを合図に各々岩陰や木立に身を潜めると弓を構えそのときに備えるが、洞窟は下りながら左に折れており入り口から一望はできない。
薄暗い洞内に一歩踏み出すと、汚物と魔獣の臭気がむっと出迎えた。洞内の床一面にも腐りおちた獲物の骸が散在しており、時折すり足に弾かれ人族の骨が乾いた音をたてて転がる。ゾクゾクとうなじの毛が逆立ち、汗があごを伝い乾いた洞内の床に点々としみを残す。
十五フィートも立ち入ったところだろうか、前触れもなくそれは暗闇から躍りかかる。
「グァリィィ」
「くっ!」
咄嗟に身を屈め剣を水平に薙ぐと強烈な衝撃が左腕を襲い、鋭い四本爪が先ほどまで銀灰髪があった空間を抉る。完全に弾くことは叶わず柄を握る左手は痺れ、右手をそえて辛うじて剣を構えた。
(まずい。一対一では力負けする)
強靭な膂力に驚きつつも徐々に後退るレギオン。釣られるように梟熊は日の光に姿をさらす。身の丈は八フィート、獲物を啄ばむ鋭い嘴と、熊の如く鋭い爪を持ち全身を羽毛が覆っている。狩場の周辺の魔物の中でも侮りがたく、決して与し易い相手ではない。
じりじりと剣先で牽制しながら広場の中ほどまで後退る。魔獣に背を向ければ命はない。慎重に間合いを取り約束の場に戻れば、里の若者たちが待っていましたと言わんばかりに一斉に矢を射かけた。
「よしっ!」
突然、梟熊の顔面に矢が突き立つ。驚き、両腕で顔を隠そうと棒立ちになった隙をレギオンは見逃すことはない。すばやく回り込み振りかぶると、両足の踵骨腱を深く断ち切ったのだ。
よろめく梟熊。
均衡を失い前のめりに膝を突くと、倒れぬように地に両腕をつく。仕上げとばかりにレギオンは梟熊の背に駆け上がり、長剣を逆手に持ち替え迷わず延髄に切っ先を突き通した。
「やりました! レギオン様」
「お見事です」
「鮮やかなお手並みです」
まだピクピクと痙攣する獲物を囲みながら、狩りの試練を共に迎えた仲間と健闘を称えあう。狩りの最後の獲物としては十二分に上出来であったのだ。
「ひとりでは倒せなかったかもしれん。みんなに礼を言う」
「謙遜なさらなで下さい」
「俺たちはヤツの気を逸らしただけですよ」
「いいってことです」
武器を収めながら口々に笑顔で答える。うつ伏せに倒れる獲物を皆でひっくり返すと、小剣を鞘から取りだし手馴れた感じで解体にとりかかる。
この羽毛は、汚れないように先に十分な血抜きをしなければならない。きれいに皮ごと羽毛を剥いだ後に、胸部を切り開いて魔晶石を取りだすのだ。
「レギオン様。暫くかかりますからお休み下さい」
「いや。特に疲れてはいない。時間があるなら洞窟の中でも探ってこよう」
「わかりました」
「終わったら声をかけます」
獲物の解体を彼らに任せると洞窟のほうに踵を返す。期待をするわけでもないが、少しでも戦利品があるほうがいいからだ。
先ほどの道順で気配を探りながら洞窟の中を下っていくと、五十フィートも無く行き止まりになった。さすがに真っ暗闇で何も見えない。
「まったく。酷い臭いだ」
悪臭に悪戦苦闘していると暗闇に眼が慣れてきたのか、ぼんやりと周囲の状況が浮かび上がってきた。一番奥は梟熊の寝床なのだろう、草らしき塊が敷き詰められている。他にも獣の頭骨や人族の骸、また、それらが身に着けていたと思われる装束、道具類が堆く盛られていた。
「明かりがないと、さっぱりわからん。また来るとしよう」
あきらめて入り口に向かおうとした刹那、足先に何かが触れて軽い金属音が鳴った。その場に屈み手探りで探ってみると、長さが五フィートほどで薄手の革で誂えた袋にたどり着く。手触りと重さからすると、どうやら剣のようだ。
レギオンは、とりあえずその剣らしきものを腰巻に括りつけると、悪臭に耐えかねるかのように足早に立ち去った。
洞外から出ると解体作業はあらかた済み、深呼吸しながら彼らに歩み寄る。魔晶石を取りだす真っ最中で梟熊の頑丈な骨格に阻まれ悪戦苦闘、肋骨を幾つか切り取りその隙間に腕を突っ込むと、ようやく引っ張り出すことが出来たようだ。
魔晶石は小鬼のものと比べると二回りほども大きく相当の価値が期待できる。
「久しぶりに大粒の魔晶石です。シグルド様もお喜びになることでしょう」
「羽毛も十分取れました。当面は矢羽を作るのに困ることはないと思います」
「あぁ」
狩猟物を背嚢や革袋に詰めながら皆一様に帰り支度を始める。それぞれ十分な成果を挙げたせいか表情は明るい。レギオンも切り分けた梟熊の生皮と、腰帯に括りつけた長い包みを紐解き、背嚢の上に弓と矢筒に併せて結わえしっかりと背負う。
「狩りの試練は終わったんだ。あとは里に帰って飲み比べにしよう」
「おおっ」
「やりますか!」
荒くれ者と、それに猟犬の如くつき従う里の若者たちが意気揚々と連れ谷に現われたのは、それから半日ほど後のことであった。