突撃幼女の日常物語
「おとーたま! わたくちアイリスは、まおーをたいじしに行ってまいりましゅ!」
今年4歳になるアイリスは、腰まであるふんわりと波打った栗毛色の髪を揺らめかせ、澄んだ水色の瞳を義憤に輝かせ、やわらかそうな頬を赤く染め、桜色の唇をつんと尖らせ、ぷくぷくした手を握り締めながら唐突に叫んだ。
窓から入ってくるのどかな日の光に、つい部屋の長いすで本を読みながら転寝していた父親は、愛娘の剣幕に飛び起きた。
愛娘を見れば頬を膨らませて腰に手をあてて、怒っていることを精一杯アピールしているのだろうが、その姿さえもがとても愛らしくてケインは思わずだらしなく微笑みながら娘を抱きしめようとしてはっと気を引き締めた。
以前も怒っている(つもりの)娘に「かわいぃぃぃいいいい!!」と絶叫しながら頬ずりをして、「おとーたま、きやい!」と言われて地の底ほど落ち込んだばかりだ。
「ど、どうしたんだい、アイリス?」
父は気を抜けば緩みそうになる頬の筋肉を叱咤しながら、「ぷんこぷんこ」と形容詞をつけたくなるような怒り方をしている愛娘に真剣に向き合った。
「おとーたま! アイリスはさっき、おかーたまのちゅくったすばらしいプリンをいただいておりまちた」
「うんうん」
ケインの妻は美人で料理も上手な自慢の妻である。
今はきっと家の裏庭で、趣味のハーブをいじっているだろう。
「しょれが、しょれがでしゅ! スプーンでしゅくったプリンが、プリンが床にぺしょっと落ちてしまったのでしゅ!」
「うんうん」
ケインは真剣な顔で相槌をうちつつ、嫌な予感がした。
「プリンが落ちたのも、アイリスがきのーおねしょをしてしまったのも、全部まおーのせいでしゅ!!」
そう言ってアイリスは、いつの間にか見事な装飾のされた剣を振り上げ…かけてて剣の重さにひきずられてよろめいた。
「うわぁぁぁあああ!!」
よろめく娘を受け止めようとした父の頭に剣の先端がかすり、髪の毛が一房はらりと散った。
「あ、アイリス! 危ないから伝説の聖剣を勝手に持ち出しちゃ駄目って言ったでしょう!? しかもそれはお父様の書斎に隠してあったはずだよ!? 」
アイリスは胸をはって鼻息も荒く答えた。
「おとーたまのかくしゅところなんて、すぐにわかりましゅ! えっちな本もまたふえていたでしゅ!」
「ぐほぉあ!!」
父親に致命的な傷を負わせたあと、アイリスは「行ってきましゅ!」と意気揚々と剣を引きずりながら家を飛び出していった。
騒ぎに気付いた母が家の中に戻ってくると、床に崩れ落ちたまま地の底まで落ち込んでいる旦那の姿と、玄関から愛娘が剣をざりざりとひきずりながら歩いていくのが見えた。
「あらあら、魔王さんのお宅に行くなら、昨日作ったハーブティーを手土産に持たせたのに…」
そう言って娘とそっくりな水色の目を細め、おっとりと微笑んだ。
父は、しばらく立ち直れなかった。
家を飛び出したアイリスはそのまま3件隣の家の庭に飛び込んだ。
「まおーたま! たいじしにきまちた!」
「あぁ、アイリスか。今おれ忙しいから、家の中にクロロがいるから相手してもらえ」
声をかけた相手はアイリスに背中を向けたまましゃがみこみ、漆黒に輝く髪をポニーテールにくくり、額から生える二つの角を麦藁帽子からにょきりと突き出し、黒いマントを作業用のつなぎに変化させて畑の草むしりをしていた。
「ク、クロロはおうちのなかでしゅね! わかりましたでしゅ!」
やや頬を赤く染め、アイリスはいそいそと魔王宅の玄関に向かう。
魔王宅もほかの家とかわらないこじんまりとしたレンガの家で、ほかのおうちから好評の花が咲き乱れた花壇は魔王の自信作だった。
「次期まおーのクロロ! 退治しにちました!」
「あぁ? 今度はなんのようだ?」
父親譲りの黒い髪を短くまとめ、なかなか整った顔をめんどくさそうに歪めながら7歳のクロロは机について宿題をしていた手をとめた。
「お前また親父さんの剣を勝手に持ち出したのかよ…。引きずってきたから刃がボロボロじゃねえか。ったく、お前の親父さん、お前に甘すぎるんだよ!」
クロロの呆れた顔に、アイリスはうっと怖気づく。
すでに潤み始めた目をごまかすようにアイリスは大声で叫んだ。
「あ、アイリスのおとーたまはクロロと違ってやさしーもん!」
「あぁん? 学校の宿題で忙しいのに、お前の相手をしている俺は十分優しいだろうが」
いまだ笑顔を見せてくれないクロロに、アイリスはもはや涙をかくすこともできずに嗚咽をもらしはじめた。
「だ、だってクロロ、…まえまでは…いっちょにあしょんでくえたのにぃ…グスッ…ちっともあしょんでくえないんだもん…うぅっ…」
「お前は幼稚園、俺は小学校に行き始めたんだからしょうがないだろう!?」
もはや目をこすりながらグシグシと泣くアイリスに、クロロはたじたじとなった。
クロロとアイリスは、父親どうしが「元勇者」と「元魔王」という知り合いであった事と家がご近所どうしということから幼馴染である。
アイリスが赤ん坊のときからの付き合いであり、つい先日まで一緒の幼稚園に通っていた仲であった。
しかしクロロが小学校に行き始めてからアイリスにかまってくれなくなり、会ってもそっけない態度をとるようになってしまった。
クロロは自分が小学生になって幼馴染の女の子と遊ぶのが恥ずかしくなるお年頃であったし、アイリスは遊んでくれなくなったクロロが寂しくて何だかんだ理由をつけて突撃していたのである。
幼い二人にはそんな相手の心情がわかるわけもなく、近くにいながらもすれ違うもどかしい二人であった。
「あぁ~あ、女の子を泣かせていけない奴~」
弱りきってどうアイリスに声をかけていいかわからないクロロに、父である魔王の間延びした声がかけられる。
いつもアイリスのことに関しては妙にからかってきてイラッとする父だが、このときばかりはクロロには全身真っ黒の父が救世主に見えた。
魔王は草むしりのあとの汗をふきながら、台所に向かってお茶の準備を始めた。
「アイリス、お前の親父に連絡しといたから、俺様お手製の木苺のケーキを一緒に食べてからおうちに帰ろうな」
「はぁ? 親父もアイリスの親父さんも甘すぎるよ!」
クロロの叫びに、魔王は苦笑いをしながら先ほど使い魔を使った元勇者との会話を思い出していた。
『お前んちの娘、また来てるぞ』
『あぁ、いつもすまないな…。光の速さですぐに迎えにいくよ』
『いやいや、お菓子でも出して一緒にお茶をしたら、夕暮れまでには送っていくわ』
『なにぉぉおおおお!! 俺の娘はお前の息子なんぞには絶対にわたさ――(何かを殴る音)うふふ、いつもうちの娘がお世話になっています。今度、自信作のハーブティを持たせますわね』
『あはは、気を使わないでください……と言いたいところですが、ありがたくいただきます。うちの息子もなんだかんだ言いつつアイリスちゃんが来ると喜んでますからね』
『(遠くから)うちの娘はぜぇったいにぃぃぃい……(何かが床に倒れる音)』
魔王はあいかわらずな元勇者夫婦に苦笑しながらてきぱきと準備をしていく。
妻は精霊界のごたごたを収めに出張している。もうすぐ帰ってくるだろう。
「…クロロも……いっしょ?」
アイリスのうるんだ瞳に見上げられ、クロロはうっとあとずさった。
「ほら、クロロ」
魔王がニヤニヤしながら促すと、クロロはしぶしぶうなずいた。
その後、目をキラキラとさせながら小学校の様子をきくアイリスに、面倒くさがりながらもクロロがポツポツと答えお茶会は終わった。
結局、幼女には誰も勝てないのだ。
アイリスはクロロと手をつないで家に帰っていった。
クロロは小学校の友達に見つからないか冷や冷やしていたが、例え見つかったとしてもぎゅっと健気に握ってくる手を振り解くことはできなかった。
結局、幼女は最強なのだ。
「おとーたま、おかーたま、ただいま帰りまちた!」
玄関でクロロと手をつなぎながら満面の笑みで帰ってきた娘を、父は床に沈みながら、母は娘とそっくりの笑みで迎えた。
「じゃ、俺はこれで…」
照れ隠しのためにぶっきらぼうに言い捨てて、クロロはそそくさと帰ろうとする。
「クロロ…」
そんな彼にそっとアイリスが声をかける。
頬をうっすらと染めてはにかみながら、アイリスはクロロを見上げた。
「…また、あしょぼーね?」
「………。ま、またな!!」
そう言い捨てて走り去っていくクロロのとがった耳は、落ち始めた夕日のように真っ赤だった。
「あらあら、お礼のハーブティを渡す暇もなかったわ…」
母は頬に手をあてておっとりと微笑んだ。
アイリスはうっとりとしながらクロロの後姿をいつまでも見送った。
父はうずくまってブツブツ何かを言っていた。
誰もが伝説の剣の存在を忘れていたが、誰もがアイリスの笑顔に満足していた。
突撃幼女の日常は、皆に微笑ましく見守られながらこれからも続く。
クロロが落ちるその日まで。