第15話 五魔の儀
いつもありがとうございます^^
地面の近くの空気が、ユラユラと歪んで見える。
うだるような熱気は俺の体の水分を奪っていった。
時おり吹く強い風が、どこかから砂埃を運んでくる。
服をパンと叩くと、砂がパラパラと落ちた。
――季節は夏。
太陽がジリジリと照りつける真昼、俺は高い木の上で身を隠していた。
「にしても、今日は暑いな……」
水袋に口をつけ、喉を湿らせた。
ただの水が、なんだか甘く感じる。
……ここは貴族街の一角、ミルフォート家の屋敷が見える高い木がある公園だ。
俺がここにいる理由は1つ。
今日がレイアの誕生日――"五魔の儀"が行われる日だからだ。
屋敷の庭にある池のそばは、何もない広場のようになっている。
そしてそこを囲むように、たくさんのテーブルが半円状に配置されていた。
ここで今日、衆人環視の中、レイアが魔術の発動を試みる。
成功すればレイアは家に残ることになるが……黒い光に冒されたレイアには、魔術を成功させる事は難しい。
俺の出番は、レイアが魔術の発動に失敗した後だ。
変態貴族に売り飛ばされる前に、レイアを連れ出す。
念のため朝から木の上にいるが、おそらく五魔の儀が始まるのは昼過ぎてからだろう。
鞄から取り出したパンをかじりながら、俺はつい3週間前の事を思い出していた。
※ ※ ※
「おはよう、ソラちゃん」
ある朝。
目を覚ますと、ローラさんが旅支度をしていた。
……どこかに出かけるのか?
「ちょっとやることが出来たの。 レイアちゃんを助ける日まで、帰って来れないと思うわ」
「え……」
「ヘンティちゃんから連絡があってね……ソラちゃんのおかげで、新しい策が生まれたわ。 上手くいけば、当初の予定よりもかなりいい状況になるはずよ」
「新しい策?」
「えぇ……上手く行くか分からないから、詳しくは言えないけど。 レイアちゃんを買うって言ってる"カイラス家"を、なんとか出来るかもしれないの」
「そうですか……。 ところで、俺の修行は?」
「現段階で教えられることは教えたわ。 いい? 歩法と守りの型を中心に、魔物で実践経験を積んでおきなさい」
「……わかりました。 その"新しい策"が上手くいったら、俺はどうしたらいいですか?」
「ソラちゃんがやることは変わらないわ。 レイアちゃんを連れ出して、王都に向かいなさい」
「分かりました」
「最後にアドバイス☆ レイアちゃんを助けるという"目的"を忘れないこと。 戦うことは"手段"でしかないわ。 それをはき違えると……」
ローラさんはいきなり刀を抜くと、俺の首筋に当てた。
「死ぬわよ。 気を付けなさい」
「はい……。 肝に銘じておきます」
力に、戦いに溺れた者の末路は、ローラさんから常々吹き込まれていた。
大切なのは戦うことではなく、目的を果たすこと。
強くなるのは戦うためではなく、選択肢を増やすためである、と。
「3週間も会えないなんて寂しいわ~! 別れの前に、いつものようにイチャイチャしましょう☆」
「いまだかつてイチャイチャしたことはありません。 お断りします」
「ソラちゃんって防御が上手くなったわよね……物理的にも精神的にも」
「ローラさんのおかげですよ……物理的にも精神的にも」
ローラさんは豪快に笑いながら、荷物を持って出ていった。
その後、エイラスさんとミリアも後を追うように旅立ち、俺は一人でレイアを救う準備を始めた。
……いや、精霊のネスカと二人で、だな。
刀の修行と平行して、魔術の修行も始めた。
といっても、レイアと同じで俺も魔術は封印されてるけど……
ネスカに教えてもらって、役立ちそうなルーンだけ、いくつか練習した。
でもまぁ、解呪薬はギリギリ間に合うかどうか。
……あまりアテにしないでおこう。
そしてそれから3週間、逃亡の準備と修行を続けてきたのだった。
※ ※ ※
木の上で屋敷を観察しながらパンを頬張っていると、使用人たちに動きがあった。
門の付近まで来ると、一列に並び始めたのだ。
時間は昼過ぎ、そろそろ何かあってもいい頃合いだ。
しばらくすると、貴族街を横切りミルフォート家の屋敷に近づく馬車が現れた。
かなり豪華な馬車だ。
馬を操るのは、フードで顔を隠した小柄な男。
馬車が門を通ると、一列に並んだ使用人たちが一斉に頭を下げた。
「いらっしゃいませ、領主様」
……なるほど、今夜は夕食会もあるらしいから、この街でそれなりに地位のある貴族も呼んでいるのだろう。
領主の馬車を皮切りに、続々と馬車が到着する。
「いらっしゃいませ、ザンテツ様」
「いらっしゃいませ、クロウリー様」
「おかえりなさいませ、ご主人様」
貴族たちに混ざり、ミルフォート家の主も王都から帰ってきたようだ。
……王都との往復は、片道1週間。
主が帰ってくるのは、特別なことがなければ半年に一度ほどらしい。
使用人たちの挨拶を聞く限り、レイアを買うと言っていた"カイラス家"はこの場にいないようだが……
ローラさんたちの策は上手く行ったのだろうか。
しばらく観察を続けていると、貴族たちは館から出てきて、庭のテーブルに集まり始めた。
日差しが強いからか、半数くらいはフードを被ったまま。
もう半数は、使用人が後ろで日傘を差している。
こんな劣悪な環境に、貴族が耐えられるのかな……と思っていると、一人の男が姿を現した。
深い藍色の髪をした男で、キリッと鼻筋が通った顔はイケメンと呼んで差し支えないだろう。
「皆様、本日は私の娘のためにご足労いただきまして、ありがとうございます。 失礼ながら、ご挨拶の前にひと仕事させて頂ければと……」
そう言うと、男は会場の端の方へ行き、呪文を唱え始める。
男の体からルーンが出てきて――
――それは、大人一人分ほどの大きさがある"氷の塊"に変化した。
会場の数ヵ所に男が氷を設置すると、その度にワァっと歓声が上がる。
「お噂通りの魔術の腕ですなぁ……あんなに魔術を使っても、息切れひとつ起こさないとは」
「その氷塊からひとかけら、このお茶に入れて頂戴」
団扇で風を送る使用人と、涼しげな貴族たち。
それを、俺とネスカは冷めた目で見ていた。
「なぁネスカ、あれ……魔具だよな」
コクリ、と頷くネスカ。
体内のマナに全然動きがないから、俺とネスカには丸分かりなのだ。
大気中のマナが集まる様子からして、たぶん身体にたくさんの氷の魔具を隠しているのだろう。
「ま、貴族の見栄なんてどーでもいいけどさ」
ネスカは両手の手のひらを上に向けて、肩をヒョイッと上げた。
……アメリカ人か。
男が挨拶をした後、庭のそばに楽団が現れて優雅な音楽を奏で始めた。
そのまま歓談時間となり、それぞれ自分の使用人に氷を取らせたり、お茶とお菓子を楽しみながら過ごす。
俺はネスカにマナを与えながら、その時を待っていた。
……しばらく貴族の談笑が続いた後、屋敷の中から人影が現れた。
水色の髪を長く伸ばしたレイアの母親と、彼女に日傘をさす執事のセバス。
母親のミニチュア版に見えるレイアの姉と、同じく日傘をさすメイドの娘。
フードを被っているのは、レイアの兄だろう。
顔はよく見えないが、俺と同じくらいの身長だ。
……その後ろから、綺麗な黒髪と、髪と同じように綺麗な黒いドレスを着た少女が――
――レイアが、現れた。
俺の心臓が跳ねる。
レイアの服はいつものほつれたモノとは違い、ヒラヒラとしたレースで飾られた細身のドレスだ。
……ま、貴族の見栄もたまには役に立つじゃないか。
「頑張れ、レイア……」
俺は突入の準備をしながら、こっそりとレイアにエールを送った。
※ ※ ※
レイアが池のそばまで到着すると、家族はその付近に用意された椅子に座った。
領主と、例の男――レイアの父親が、レイアのそばに近寄る。
始めに口を開いたのは、父親だ。
「只今から、わが娘レイアの"五魔の儀"を始める。 ……レイアよ、よいな」
レイアは口を開くと、父親に言った。
「その前に……おねがいが、あります」
少し驚いたように、父親が返答する。
「レイアからお願いとな、珍しい……申してみよ」
「はい。 ……お父様もしってると思いますが、2ヶ月ほど前に私の友達の"ソラ"がこの屋敷に来ました」
「……うむ、存じておる」
「かってに家に入ったソラをどうするか……は、お父様が決めることになってます」
「そうだな」
平民が貴族の家に不法侵入した場合……主に盗賊などであるが、その身柄は貴族が自由にしてよいことになっている。
「私が"五魔の儀"に成功したら、ソラを許してあげて下さい……お願いしますっ!!!」
レイアが頭を下げる。
……そもそも、普段どちらかというと引っ込み思案なレイアが、こんなに流暢にお願いするのもビックリだが……
周りの貴族たちは、レイアの一生懸命な姿に心を打たれたのか"許してあげたら?"という雰囲気を出している。
この状況では父親も「ダメ」とは言えないだろう……
ふと執事のセバスを見てみると、口元が笑っている。
……お前が仕込んだな。
たぶん「ソラを許してもらう」というのを、レイアに魔術の訓練を頑張らせるための"人参"として利用したんだろう。
「いいだろう。 お前が成功したら、友達とやらの侵入は不問にする! ……優しい父親でよかっただろう、レイアよ」
「はい……!!!」
……自分で優しいとか言っちゃってるよ。
でも、本当に驚いた。
今日のレイアは、いつもより本当にしっかりしていて、頑張っている。
「それでは、"五魔の儀"を始めさせていただこう。 立ち会い人には、このガラントの街周辺の領主を務めていらっしゃいます、マクニンキン家のグルス様にお願い致します」
「うむ。 私がグルスだ。 今日の"五魔の儀"について確認する」
領主のグルスは、なかなかにいい体つきの大男だ。
筋肉の大きさで言えば、ローラさんよりもすごいかも……
「トミー、書類をもて」
グルスは使用人に書類を持ってこさせると、みなに聞こえるようそれを読み上げた。
「レイア・ミルフォートの五魔の儀は、次の条件で執り行う。 1つ、レイア嬢が魔術を使用できた場合、引き続きミルフォート家の令嬢としてこれを認めること。 また、先程追加された条件であるが、平民"ソラ"の不法侵入の件を不問とすること……ミルフォートよ、間違いないな」
「はい……」
「2つ、レイア嬢が魔術の行使に失敗した場合、以降レイア嬢はミルフォート家より除名するものとし……その身柄は、そこにいらっしゃる商家のクロウリー家のものとすること」
「はい、間違いありません」
……なっ!?
ローラさんは"ガイラス家"がレイアを買うのをなんとか出来そうだと言っていたが……
今名前が出てきたのは"クロウリー家"……結局、ひとつを防いでも別の家に買われることになってたのか……
ま、結局逃げるつもりだけどな。
「またその場合、平民"ソラ"の身柄についてもクロウリー家のものとする――これは奥さまから先ほど追加された条件だが、よいか」
「ふむ……いいでしょう」
あの女は、俺のことも陥れたいみたいだな……
まぁいい、これは俺がレイアを連れて逃げられるか、向こうが俺たちを陥れられるかの勝負だ。
レイアの父親が口を開く。
「それでは、我が娘レイアの"五魔の儀"を始める。 レイア、はじめよ」
「はい……!」
レイアは目を閉じ、両手を前に付きだす。
かなり集中しているようだ。
俺も、息をのんでその様子を見守る。
レイアは口を開き、呪文を口に出す……
と思ったが――
「ソラ……」
その口から出てきたのは――
「だいすき……」
ちょっ……えぇ……
「ウザイム……」
レイアの手からルーンが飛び出す。
「ムッツァ……マト……アクセ……」
4つのルーンが形作られる。
黒い光がレイアのルーンを押し潰そうとしているが、ルーンは力強く安定していてびくともしない。
レイアの手のひらからマナが出て、ルーンを1つずつ飲み込む。
黒い光は魔術の形成を邪魔するが、それをはね飛ばしながら魔術が出来上がっていく。
――小さめの、水の球が出来上がった。
最後のルーンを飲み込むと、それが前方に射出される。
――バシャッ
水の球が水面に叩きつけられる。
――一瞬の静寂。
貴族たちからワァっという歓声と拍手が沸き起こった。
レイアは息を荒くし、膝をつく。
よくやった……よく、頑張ったよ。
並大抵の訓練じゃ、あの黒い光を振りきって魔術を使うなんて出来なかっただろう。
「なぁネスカ……レイアはすごいな」
俺の手のひらの上でピョンピョンと跳ねるネスカ。
ホント、みんなの予想の上を行ってくれた。
レイアの父親が前に出てきて、胸を張り、口を開く。
「それでは、我が娘レイアの五魔の儀は"成功"と――」
「ちょっとお待ちになって……」
と、夫を遮るように、レイアの義母が立ち上がった。
何をする気だ……?
そのままレイアの方へ歩み寄ると……レイアのドレスの隠しポケットに手を突っ込んだ。
「レイアさん、これは何かしら?」
義母が取り出したのは……
――魔具!?
「ずいぶん小さい水球だったから不自然だと思ったのよ……魔具が1つ足りないと思ったら、こんなところにあったのね……」
周りのレイアへの視線が、冷えていく。
「ち、違う――」
「黙りなさい!!! そんなに貴族の地位にしがみつきたかったの……? あぁ卑しい……」
あんのクソババア……
レイアはちゃんと魔術を使っていたのに……きっとそのために、血を吐くような努力をしただろうに。
同じ家にいたんだ、その姿を知らなかったはずはないだろう……?
それを――
「レイアの五魔の儀は失敗とする。 ……お前はもう私の娘ではない。この――ミルフォート家の恥さらしがっ!!!」
父親が宣言した。
レイアがビクッと反応し、体を抱いて震える。
――行こう。
俺は木を飛び降り、全力で屋敷に走り出した。
黒い光は俺のマナの動きを阻害する。
しかし、俺はそれを克服する方法を既に身に付けていた。
……地面を蹴る瞬間。
その瞬間だけ、足を強化するのだ。
前は走っている間は常に強化していたが、今はその時と同等かそれ以上の速度で走れるようになっている。
ローラさんの動きをヒントにした移動法だ。
……塀を飛び越え、庭を突っ切る。
後ろから警備の私兵たちの声が聞こえるが、気にしない。
レイア達が見えてきた。
「……嫌っ! 離して」
「言うことを聞きなさいっ!」
元父親が、レイアを無理矢理引っ張っている。
俺は刀を抜きながら、一気に足を強化した。
「ほらさっさと――ンゴッ!!!」
――バッシャーン
刀の背で男の後頭部を殴ると、2~3mほど吹っ飛んで池に頭から突っ込んだ。
「ご主人様っ!!!」
数人の執事やメイド達が、プカプカ浮いている男に駆け寄ろうとする。
「お前は……それにその刀は!」
レイアの元義母が、俺の姿を見て唇を噛む。
握った手がブルブル震えている。
「ソラっ……!!!」
レイアが俺に駆け寄る。
――ガシッと抱きついてきた。
「見てたぞ、すごいじゃないか。 ちゃんと魔術、使えたな!」
「……っ! うんっ! 使えた! 使えたよ!」
俺はレイアの頭を撫でると、刀を義母に向けた。
周りを囲む兵士たち。
例の執事――セバスの姿もある。
「レイアはもらっていく……もう、俺たちに構うな」
さて……と、あとは脱出するだけだ。
俺は横に浮かぶ精霊のネスカに、ニヤッと笑いかけた。
さてと、いよいよレイア救出編です。
ソラくんには頑張ってもらいましょう^^




