・第1話
「アテンション・プリーズ。皆様、当機は間もなく成田国際空港に到着いたします」
機内にアナウンスが聞こえてきた。
その機内にいる一人の窓際に座っている少女が、機内の窓から眼下に映る景色を眺めていた。
「…もうすぐ着くのね」
金髪にブルーの瞳、白い肌の少女がつぶやいた。
(…そういえば、あの日までこんなことになるとは思わなかったな…)
*
今から1週間前のある日の朝のこと。
「う…ううん…」
ロンドン郊外にあるマンションの部屋の中。ひとりの少女が目をさまし、今まで眠っていたベッドの上で上半身を伸ばした時だった。
「…?」
彼女の枕元に置いてあるスマートフォンにメールが入っていた。
「何かしら?」
少女はスマートフォンの画面を開く。
「キャロル・ナオミ・ハインズへ 至急本部に出頭せよ」
メールの内容はこれだけだった。
「本部へ? いったい何の用かしら?」
そのメールを見た少女――キャロルはベッドから飛び降りた。
*
とあるビルの一室。
キャロルは入り口のドアにあるキーパッドに数字を打ち込み、指紋認証システムに自分の指を乗せる。
そして自動ドアが開いた。
「キャロル・ナオミ・ハインズ、入ります」
そしてキャロルが中に入ると、デスクに一人の男が座っていた。
「よく来たな。まあ、座りたまえ」
そういうと男はキャロルに椅子を勧める。
「早速だが、君に今回のミッションについて説明する」
「…ミッション、ですか?」
キャロル・ナオミ・ハインズ、17歳。
傍から見れば彼女はどこにでもいそうなハイスクールに通うティーン・エイジャーだが、実は彼女はもう一つ別の顔を持っていた。
実は彼女はイギリスに本部を置くある情報機関のエージェントだったのだ。
そして彼女の両親もまた、エージェントである。
両親があるミッションで一緒に仕事をしたことがきっかけとなって結婚したのだが、両親はキャロルが生まれると、幼いころからはエージェントとするべく英才教育を受けてさせていた。
彼女自身、両親の仕事を見ていたこともあってか、いつのころからか自分もエージェントになることが当然のような感覚をしていたし、そして彼女はジュニア・ハイスクール(日本でいう中学校)を卒業すると、両親のもとを離れ、学生寮で一人暮らしをしながらハイスクールに通う傍ら、こうしてエージェントとしてのミッションをいくつかこなすようになっていた。
むろん、キャロルの通っているハイスクールも彼女の所属する情報機関が運営しており、イギリス全土から集められた10代後半のエージェントたちが通っているのである。
*
「それで、そのミッションというのは?」
「君も知っていると思うが、ここ数年、我々がマークしていたシンジケートが新たな活動を始める、という情報が流れてきたんだ」
「その活動、ってなんですか?」
「それはまだわからない。ただひとつだけ、確実に分かっているのはそのシンジケートが日本に向かったことがわかった」
「日本に、ですか?」
「ああ。そこで、我々もシンジケートを追ってエージェントを日本に派遣することになったのだが、日本の支局と話し合ったのだが、どうしても1年はかかるミッションになることがわかったんだ。そこで我々は君に日本に派遣することを決めたんだ」
「…あたしを、ですか? でもどうやって?」
「これを読みたまえ」
そしてキャロルの前に封筒が差し出され、その中に1冊のパンフレットと何枚かの書類が入っていた。
キャロルはそれを見る。
「日本のある高校が交換留学生制度をやっていてな。ロンドン側の留学生、という形で君にその学校に留学してほしいのだ。すでに日本支部には連絡を取って手続きを進めてもらっている」
「でもなんであたしを…」
「君は母親が日本人ということもあって日本語が使えるし、我々の今回のミッションにも最適な人物だと思ってな。その中に日本支部に送った書類のコピーも入っている」
そしてキャロルは書類を取り出す。名前の欄に「Carol Kume」と入っている。
「キャロル…クメ?」
「君をイギリス生まれの日系人という形にしておいた。日本ではその名前を名乗ってほしい。クメ、というのは君の母親の旧姓だろ?」
そう、キャロルは「ナオミ」というミドルネームからもわかるとおり、イギリス人の父親と日本人の母親の間に生まれた子供なのである。
「そして君は日本に滞在しながらシンジケートの動きを探ってほしい。そして何かあったら我々に連絡を寄越すこと。必要なものは君が日本に行くまでの間に準備をしておく。…ただ一つ注意してほしいのは、知ってのとおり、君が通っているハイスクールは我々が運営している、と言うことは徹底的に隠し、表向きは普通の学校という形をとっている。もちろん今回も普通のハイスクールという形で交換留学生制度に申し込んだ、ということだ。君は普通の学生ということで周囲に振る舞ってほしいし、もちろん行動は周りに悟られないようにしてほしい」
「わかっています」
「それと、日本支部から連絡があって、君のサポートをしてくれる人物を選んだということだ。まずはその人物とコンタクトを取ってくれ。…出発は1週間後だ、頼むぞ」
「はい」
命令を受けたからには有無を言わずに出発しなければならない。キャロルは出発までの1週間の間に周辺の整理を進めた。
1年はロンドンに戻れないのだ。もし何か忘れたことがあったとしても、本部に連絡すればいいことなのだが、そこまで本部の手を煩わせたくはない。
そして整理を終えたキャロルは1週間後、日本に向かって出発した。
*
入国手続きを終えたキャロルは成田空港から外に出て、本部から指示された駐車場に歩いて行った。
ここで、日本での連絡係と落ち合うことになっているのだ。
すでにあたりは暗くなっており、照明が灯っている。
「…確かこの辺だと聞いたんだけれど…」
キャロルは自分を待っている、という人物を探してあたりを見回していた。と、
「…ほお、外国人の血が混ざっている女の子はお洒落なパンティを穿いているんだね」
いきなりキャロルのおしりのあたりで声がした。
そして後ろを振り向くキャロル。
「あ…」
そう、一人の男がかがみこんでキャロルのスカートをめくり、その中を覗いていたのだ。
「どこを見てるのよ、この変態!」
次の瞬間、キャロルの鉄拳が男に炸裂した。
その鉄拳をもろに顔面に食らった男がひっくり返る。
「…さ、さすがに力の入ったパンチだな、キャロル・ナオミ・ハインズ君。いや、ここではキャロル・久米君と言ったほうがいいのかな?」
男が顔を抑えながら立ち上がった。5フィート5インチ、すなわち165センチと女性としては身長のあるキャロルよりも大きく、6フィート=180センチを越えているだろうか、かなり筋肉質な体をしている男だった。
「あんた、なんであたしの名前を知ってるのよ!」
「ま、まだわからないのか?」
「え…。それじゃあんたが…?」
「そうだ、君との連絡役を仰せつかった原田剛三だ」
そういうとその男――原田が立ち上がった。
「…はあ~、サイアク。なんでこんな男が連絡役なのよ…」
キャロルは頭を押さえる。
「…何か言ったか?」
今の今まで気が付かなかったのだが、ここまでの会話はすべて英語でしていたことにキャロルは気が付いた。しかもお互い「イギリス英語」を話していることからもこの原田という男が相当見かけによらず、相当英語がわかるようである。
「え? いや、なんでもない」
「とにかくここで立ち話もなんだから、車に乗りたまえ」
そして原田はキャロルを自分の車に招き入れる。
*
車は成田から東京に向かって走っていた。
「…まずはこの書類を読みたまえ」
そう言うと原田は封筒をキャロルに手渡す。
キャロルが中を開くと、何枚かの日本語で書かれた書類が出てきた。
キャロルはその中の2、3枚に目を通す。
「日本語で書いてあるけど大丈夫か?」
「…何言ってるの。あたしのお母さんが日本人だ、ってことくらい知っているでしょ? お母さんとは普段は日本語で会話をしているし、あたしは久米奈緒美って日本名もあるんですからね」
キャロルが「綺麗な日本語で」答えた。彼女は両親から教わっていたこともあり、英語と日本語を自由に扱えるし、エージェントとして訓練を受けたこともあって、他にも外国語をいくつかマスターしていた。
「ははは、確かにネイティブな日本語だな。君みたいなどこから見ても外国人の女の子が流暢な日本語を話したら驚くだろうな」
原田も日本語で答えた。
「だから今回のミッションにあたしが選ばれたんでしょ?」
「まあ、確かにそうだな。日本語が使える君だからこそ任せられるミッションだからな」
「…それで、あたしが通う高校、っていうのはどこにあるの?」
「東京の郊外にある有名私立校だ。君の転入手続など必要なことはすべてこっちでやっておいた。今度の月曜日からその学校に通ってほしい。地図は後ほどメールで送る」
そして書類の入った封筒の中からカギが出てきた。
「…この鍵は?」
「君が住むことになるワンルームマンションの鍵だ。君の生活に必要となるものは揃えておいた。何か足りないものがあったら後で連絡をくれ」
そしてあるマンションの前に車が止まった。
「ここが君の住むことになるマンションだ。後は任せるぞ」
そして原田の乗った車は去って行った。
*
キャロルが玄関に入る。
「…あ、そうだ。日本じゃ玄関で靴を脱ぐんだったっけ」
日本に派遣されることが決まってから、日本の生活に関して勉強をし、さらに母親からそのように聞いていたキャロルはあわてて靴を脱ぐと近くにあったスイッチを入れる。
原田の言うとおり、部屋には生活に必要なものがすでに運び込まれていた。
クローゼットの中には彼女が通うことになる学校の制服がしまわれており、部屋の片隅にはパソコンまで置いてある。
そしてキャロルはカーテンを開ける。
目の前には見慣れたロンドンの夜景とは全く違う夜景が広がっていた。
(…お母さん、あたし、お母さんが生まれた国に来ているんだよ)
イギリス人の父親と日本人の母親の間に生まれた彼女はこの歳になるまでイギリス国内を離れたことがなかった。
しかし、自分に日本人の血が流れている、ということを誇りに思っていたし、母親から何度も日本の話を聞かされていたこともあってか、日本に対しての憧れを持っていたことも事実である。今回のミッションで母親の旧姓である「久米」を名乗ることにしたのもその憧れがあったからかもしれない。
(…そう言えばお母さん、何やってるかな)
母親とはイギリスを離れる前に短い会話をしたのが最後だった。
もう何年も両親と離れて生活をしているが、今度ばかりは1年近く会えなくなるということもあってさびしい部分があったのも事実だった。
(いつまでもさびしい思いはしてられないわよね。あたしはエージェントなんだから)
日本の夜景を見ながら、キャロルは自分に課せられたミッションへの決意を新たにするのだった。
(第2話に続く)
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