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カラム領民は基本的にヴァースに対して好意的である。自分達の町を守る為の必要な盾だ、当然と言える。
(そうじゃなきゃ、こんな目立つナリで外出やしねーけどな)
買ったリンゴの値段もおまけしてもらって、歩きながらかぶりつく。擦れ違った人全員が必ず足を止め振り返り、その一挙手一投足を見られるのは鬱陶しいが子供の頃からそれは同じだ。もう慣れた。
「――?」
表通りから裏通りへと続く脇道に通り掛かった時、ガシャンという物の壊れる穏やかでない音を聞いた。続いて多くはないが、複数人の足音。
きっと関わり合いにならない方が良い物騒な事態だろう。――どうするか。
一瞬迷ったが、ヴァースは裏路地へと足を向ける事にした。
もし女だったら後で知ってしまった時寝覚めが悪い。それだけだった。
音を頼りに現場を探し当てる。そう奥まった所でもなくすぐに見付かった。
(何だ)
しかしその光景を見てヴァースはさっさと踵を返そうとする。一対二と、思っていたより人数は少なかったが光景自体は思っていた通りの代物。ただし襲われているのは旅人風の少年だった。ヴァースよりも若干年下、だろうか。
これが町の一市民であるならばまた話は別だが、旅人――それも今緊張状態にあるカラム周辺に来るのなら予め防衛策を持って然るべきである。
避けられる面倒は避けなかった方が悪い。
そうやや冷ややかな感想をヴァースは下す。
幸い相手にはまだ気付かれていない。だが引き返そうとしたヴァースの姿を少年の方が捉えてしまった。
続いて自分達の背後に焦点を合わせた少年の眼に男達も気が付いてしまう。
「何だテメェ!」
振り返った先に居たヴァースをそう怒鳴りつけ顎をしゃくって、たった今ヴァースが引き返そうとしていた路地を示す。
「見せもんじゃねえ、さっさと失せ――」
「おい、待て」
追い返そうとした男の仲間が肩を掴んで言葉を止めた。
「こいつ、ファウストフィート公のヴァース様じゃねえか?」
「……本当だ。本当に金髪紫眼かよ。こんな所にフラフラ出歩くたァ、金のある奴ってなァ賢くねえなぁ、おい」
「丁度良い。こいつも一緒に捕まえちまおうぜ。ヒルディアでもシルギードでもきっと高く買い――がはっ!」
突っ立ったままだった自分に伸ばされた手を払い、間髪入れず男の顎を蹴り上げた。金属で補強された靴、更に男の力で蹴れば、かなりの威力だ。
髪や眼と同じくヴァースの色素は若干薄く肌も白い。ややきついが整った顔立ちと相まって体を鍛えているとは――ましてこう攻撃的だとは思っていなかったのだろう。
「気安く触んな。売り物じゃねえんだよ」
買う・売るという単語はヴァースの中ではタブーだ。髪と眼が珍しいというだけで母と共にそういう目に遭い掛けた事は少なくない。
地面に転がってのたうつ男の頭を容赦無く踏み付け、残ったもう一人を睨み付ける。
「テメェはどうする」
「ひ……っ!」
恐れ、戦いた声を上げると男は足を縺れさせながら逃げ出した。踏み付けていた男から足を退かすと、そちらも戦意など最早欠片も無く相方の後を追って逃げて行く。
「助かりました。有難うございます」
「別に助けた訳じゃねえ」
服を叩いて立ち上がった少年からの礼にヴァースは素っ気なく答えた。彼はヴァースが引き返そうとしたのを見ていたはずだ。彼を助ける事になったのはヴァース自身が絡まれたからに他ならない。
「判ってます。でも助かった事は助かったんで」
微かにそのワインレッドの眼を細めて彼は楽しそうに笑った。本当にそう思っているのかどうか判らない程少年の態度は余裕だ。
年若くまだ十代の半ば程に見えるのだが、荒事に慣れているのかもしれない。
「折角お会いしたんで、ついでに一つ、聞いて良いですか」
「何だ」
「どうしてファウストフィートを継いだんでえすか?」
「継がされたんだよ」
心外だ、と口にはせずにそう吐き捨てると少年は苦笑して頷いた。
「そうですね。形としては。でも逃げる事ならいつでも出来るんじゃないですか? 腕も立つようだし、こんな所をフラフラしているぐらいですから」
確かにそうだが、今の所ヴァースに逃げるつもりはない。彼が聞きたいのは継いで、その椅子に座り続けている理由の方だろうか。
「故郷だなんて言った所で貴方には大した思い入れも無いでしょう」
「……」
ヴァースの出生はカラムやその周辺ではすでに知れ渡っている。だから知っている事自体はおかしくはない。
――ただ、やはり半ば縁切りされた状態から領主に就いたなどと聞こえの良い話ではないし町の人間は基本ヴァースの不利になるような話はしない。
なので耳に入れようとしなければ入らないぐらいの話ではあるのだ。そんな話を通過するのに立ち寄っただけであろう旅人が何故気にしているのか。
「なのに何故、こんな所に居るんですか?」
「……必死だからだ」
別に答えてどうなる内容でもなかった。
命を懸けるには安すぎると、そう信じないかと思ったのだがヴァースの答えに少年は微かに目を見開き、それからおもむろに自分の耳に飾られていたカフスを外してヴァースの耳へと着け直した。
「テメェ! 何す」
見ず知らずの他人から物を受け取る程警戒心は薄くない。まして身に着けるなど妙な呪いでも掛かっていたらと思うとぞっとする。
(……何もない、みたいだな)
「呪いじゃありませんよ。俺はちょっと貴方が気に入りました。ファウストフィート公」
「はァ?」
「それは差し上げます。貴方の立場ならきっと役に立つと思うので」
「――おいっ?」
一体何であるかの説明も無いまま去って行こうとした彼の肩を掴んだ手がするりと手応え無く通り抜けた。
「――ッ!」
ぞわっと一気に鳥肌が立ったが、顔を上げたヴァースの眼に霧状に散った魔力の流れと遥か遠くに少年の背中が見えた。
(何……?)
世に満ちる魔力の流れというものを見る事の出来る技術は魔術の中に確かにあるが、高位魔術に分類される代物だ。勿論教養程度の嗜みしかないヴァースに使える代物ではない。
まさかと思って着けられたカフスを外すと、綺麗さっぱり見えなくなった。
「これか……」
高位魔術を付加した魔道具となれば相当に高価な代物――というよりも、おそらく値段は付けられない。何しろ創り手が限られる。手に取って見たそれは細工も精緻で美しく、装飾品としても申し分なかった。
(何者だあのガキ)
少しばかり躊躇った後、ヴァースは再び耳に付け直した。確かにこれは役に立ってくれるだろう。
すっかり静かになった路地を後にして表通りに戻ると、たった今飛び込もうとしていたシアとばったりかち合った。
「あ」
「ファウストフィート公ッ。何をしているのですかっ」
口を開くなりのその言葉にヴァースは面倒そうに後ろ頭を掻く。女の怒鳴り声は苦手だ。
「見りゃ判るだろ。息抜きに外出ただけだ」
「息抜き……っ。あっ、貴方はご自分の状況が判っているのですかっ!」
「一応判ってると思うけどな」
冷めた口調でそう言われ、シアの方が気遅れて押し黙った。ただその名前を持つだけで命を懸けさせてしまっている事への後ろめたさは感じているらしい。
「で……っ、でしたら、不用意に外出なさるのはお控え下さい」
「ずっと城の中じゃ息が詰まる」
「ならばせめて共をお連れ下さいっ」
「他人と一緒で息抜きになるか」
「――っ。貴方は自分の命が惜しくはないのですかっ」
危機感、というものが欠如したヴァースの言い様に思わずシアの方が声を荒げる。しかし振り向いたヴァースの眼は酷く冷めきっていて、唇は皮肉気な笑いを作ってさえいた。
「別に。苦しまなくていいならそれでいい。だがあんたはそういう俺の精神性に感謝していいはずだぜ」
「それは……ッ」
たじろき、息を詰めた後でシアは目線を逸らして頷いた。
「――ええ、そうです。だからこそ私は貴方を失う訳にはいきません。お判りでしょう」
「判ってる。まァなるべく気を付けるさ」
多少腕が立とうとも、一対多数になればどうにもならない。ましてヴァースは達人や一流といった部類で判断するとそう強くはないのだ。
「……戻りましょう、ファウストフィート公。息抜きと仰るならもう十分なはず」
「あぁ、そうだな」
頷き、先に立ったシアについて歩き出す。
(どうでもいいんだ、別に)
自分の事だというのに酷く無気力だとは自分でも思う。しかしそれもどうでもいい。
世の中と真っ正直に向き合っていたら自分が疲れるだけなのだから。