5―4
(良し)
「ヴァース殿」
「判った」
とりあえずは大人しく下がるが、隙を見てヴァースは霧に迷って離脱する事になる。ずっとベクストルの小姓でいる訳にはいかないのでここで所在不明という形で戦死しておくのだ。
後にヴァースとすぐ近くで顔を合わせるような可能性のある者は至って少ないし、あったとしても他人の空似。証拠はない。
ベクストルにはリンデンバウムも付いているのであまり心配はしていない。
少し先で将校が裏切りの報告を受けたのを確認し、ヴァースは隣のシアに目配せした。霧の深さも充分だ。
人と霧に紛れるように少しずつ移動して行き――頃合いを見計らって一気に部隊から離脱した。
「――大丈夫そうか?」
「ええ、気が付かれてはいないようです。早く戦場から離れましょう」
「ああ」
シルギードの軍馬を降り、上に外套を羽織って遠目からを誤魔化しておく。ベクストル達の方がどうなっているかは少々気になるがヴァースが行ってどうなるものでもない。
後は戦場から離れて着替え、隠れて事が終わるのを待つだけだ。
自軍も相手もどこを動いているかが判っているので会わずに無事に抜け出し霧の外に出ると、心なしか肩が軽くなった気がする。やはり視界が利かないというのはそれだけで疲れるのだ。
判っているヴァース達でさえこれなのだから、いきなり濃くなった霧のただ中に置かれた者達のストレスとは相当だろうなと思う。
「ヴァース!」
霧を抜け出してすぐ、戦場から近いが故に住人がほぼ皆非難して空となっている集落付近でヴァースの姿を見付けたイシュタルから呼び声と共に手招きされる。
「上手く行ってるみたいだな?」
「あぁ、今の所予定通りに動いてくれてる」
住人は勿論、宿も宿として機能していないのでそちらの一室を一時借りさせてもらう事にしている。二階の部屋の窓からやや離れた戦場を見詰めた。
霧もあるし、見た所で細かい戦況など判り様はないのだがそれでも気にせずにはいられない。
「――ん?」
「どうした?」
「いや、あれ……敗走兵か」
反乱軍らしき者が数名、霧を抜け出し駆けて行く。出た途端あまりに異様な発生の仕方をしている霧に気が付くだろうがここまで来れば人為的なものであると知られた所で構わない。
「自陣の町とは向かう方向がズレてますね」
「そうだよな? でも逃げるんだったら自陣にも戻らねェか」
「――いや、違う!」
さっと表情を硬くしてイシュタルは階段を駆け下り繋いだ馬へと飛び乗った。
「イシュタルッ?」
「待て、俺も行く! お前正面から戦うには向かねえだろ!」
「私も参ります!」
イシュタルを追って自分達も駆け降り、そう叫んだヴァースとシアを見て数瞬逡巡してから頷いた。
「来てくれ!」
「はい!」
一応馬は数頭いるが、軍馬ではないので無理は出来ない。それでも徒歩よりは遥かに速い。
「何なんだっ?」
走りながら隣に並んだイシュタルへ問う。視線は外さないままかなりのスピードでイシュタルは馬を走らせていた。相手に気が付かれても構わないという態度だ。
「金山に向かってるんだ!」
「金山、ですか?」
「ベクストルに渡すぐらいなら山崩して行けなくしようって事だ!」
反乱を起こした彼等にとってこれは『内乱』ではないのだ。シルギードという侵略者から自国を守るための戦い。
「けど自分達の財産の源でしょう? 今は負けて退かざると得ないとしたって、使えなくするなんて。再起の為の資金を持ち逃げするつもりなのでは?」
「財を持って逃げるなら町のはずだ! 物資は全部あそこにあるんだからな! 余程ベクストルの支配が気に入らないらしい!」
自分の命よりも民の命よりも生活よりも、誇りを選んだ。それにどれ程の価値があるものか――
「何にしたってそれは困る!」
(早く追いついて止めねェと!)
相手も自分達を追ってくる三騎に気が付き、焦ったように馬を蹴ってスピードを上げる。質がいいとは言えないが相手が乗っているのはそれでも軍馬だ。ヴァース達が用意していた馬で競争するのは無理がある。
だが馬は賢いが臆病な生き物だ。まして魔術慣れしていない軍馬なら――
乗馬そのものも久し振りだし慣れない馬の上では不安だったが、離されないうちにやるしかない。片手だけで紡げる印と呪文。そして。
「爆波!」
起動の鍵となる言葉を放つ。当たらなくても射程が遠過ぎても、爆ぜた爆音に慄き馬はパニックになる。
「お任せ下さい!」
制御出来なくなった馬から振り落とされた兵達へシアが先陣を切って飛び込み、体勢を立て直す間もなく落とされていく。
(……強ェし)
自分よりは強いだろうと判っていた。リンデンバウムも見ていたからやっぱり強いんだなとも思っていた。そう言えばベクストルとも対等にやっていたんだった。
それでも間近で改めて見る事になったシアの剣技は思っていたより遥かに無駄無く美しく、そこはかとなくプライドが傷ついた。
「ヴァース様? どうかなさいましたか?」
「いや何でもねェ。それよりこいつ等、どうする」
「殺しとくのが無難だと思うけど」
さらりと表情を変えずに言い放ったイシュタルを息を飲んでヴァースは振り向く。その反応を予想していたのだろう、くすくすと笑って首を横に振る。
「お前にやれとは言わないよ。もうすぐ向こうも終わりそうだし――縛ってでも転がしとけばいいさ」
「……ああ」
彼等のベクストルへの抵抗は続くだろう。殺しておくのが『無難』だというイシュタルの言葉も判る。
しかしこの戦いはあえて『無難』を捨てて臨んだものだ。
「――いつかこいつ等も、自分達はシルギードの民だと、そう言ってくれりゃいいんだけどな」
シルギードの成り立ちを思えば難しい事なのかもしれないが、それでも彼等の王は民として彼等を愛しているのだから。
(でなきゃ自分に反感持ってんの判ってて尚、援助の手を出す訳ねェ)
「出来るさ、きっと。部族ごとに分かれて多民族、なんて呼び方される前は元々同じ一部族なんだから。時間を掛けてでもさ」
「諦めなければ案外、物事は上手く叶うものですから」
「そうだな」
苦難を自分の我がままのままに乗り越え、そして勝ち取ってきた戦友と共にヴァースは淡く微笑した。