第五章 平定
「ヴァース!」
「ヴァース様! 良かった、ご無事で……ッ」
ベクストルの屋敷からシアとイシュタルの待つ宿へと無事に戻ってきたヴァースに二人は安堵の息を吐き歓迎してくれた。
「申し訳ありませんっ。あれだけお側にいながら、私は……ッ」
「気にすんな。……気にされると俺が情けねェ」
「まあそうだよなァ、もう一撃みたいなもんだったもんなぁ。アレはかなり格好悪いよな」
ヴァースが無事だった事で早緊張を解いたイシュタルから軽い口調でからかわれた。
「っせえ」
反論できないのが余計に腹立たしい。カラムに帰って平和になったら本気で武術には取り組もうと心に決めた。
……師はシアになるのだろうか、もしかして。
(……それは嫌だ)
「まあそう言ってやるな。そのお陰でベクストルに会う算段を受けなくて良くなった訳だしな」
「そうだ。見た所無事みたいだけど、どうなったんだ」
具体的な話を――となった時、ヴァースは勿論リンデンバウムとてその手の知略は専門ではない。なので一旦シアとイシュタルに無事を知らせてから改めて、という事で逃げて来たのだ。
ベクストルとてヴァースの後ろにシェアディールがいると判っているから頷いたのだ。戻る事もあっさりと了承された。
イシュタルの容姿も伝え聞いていたのだろう、あの赤毛のガキか、と複雑そうに呟いていた。
「――って、訳でな」
自分が起きてからの顛末を掻い摘んで二人に聞かせてからシアを見る。
「本契約はしてねえけど、勝手だが値段の相場はある程度決めた。本契約でもそのままで判を押そうと思ってる」
「構いません。金は金で使い道はありますし結果的に平和を買っているのですから充分有意義かと」
「しっかし、シルギードの内政がそこまで酷いとはなぁ。確かに先々の為にも膿出ししといたほうが良いだろうな」
腕と足を汲み、考えながらイシュタルは呟く。どう展開させようかの算段が彼の頭の中で作られていっているのだろう。
「……貴方はそこまで判っていて足止めに残ったのですか?」
ベクストルが町を襲撃したあの時点では情報という情報は全く無かった。しかしリンデンバウムは確信的に行動している。
「うん? まァ正確に判ってた訳じゃないがベクストルへの反乱分子だという事だけははっきりしていたしな。ヴァースの希望の為にも恩を売っておくのは悪くないだろう。あの時点でシルギードに内乱なんぞが起きたらそれこそ元も子もない」
シルギードの逆側から軍隊が集まって反撃しようというのだから、当然そちらが反乱分子だ。
「あの町に物資を集めてその手前で戦うつもりだったんだな。通りでピリピリしてた訳だ」
ベクストルが襲撃の細工の後もあの場に少し留まっていたのはついでに相手を動かす事で戦力を計りたかったのもあるのだろう。
そうして彼に見つかったのが幸運か不運かはまだこれから次第だ。
「……何とかなるか?」
正直に言えば少し不安ではあった。何しろイシュタルにこうして軍師として戦の指揮を委ねるのは初めてなのだから当然だ。
「任せとけって。こっちのが本業だから。軍神シェアディールの名の由来、見せてやるよ」
「今のままじゃ今回勝ったとしてもすぐに第二、第三の内乱が起こるだろう。そんな事をしていたら国力の回復は遅れるばかりだ」
弱ったシルギードが金を手にすれば今度はそれそのものが火種になりかねない。こちらは自国だけではなく、他国に対してもだ。
それを避ける為にはシルギードは今まで通り強国でいなくてはならないし、立て続けに内乱が起こる様な芽を刈り取っておかなくてはならない。
「んで――出来りゃ短期決戦、民間に被害無く」
「かなり都合がいいですが……」
「……まぁな」
ヴァースも自分で言っていてそう思う。ではやってみろと言われれば間違いなく途方に暮れる。
「そうだなぁ。とりあえず――総力戦で行こうか」
「総力戦……ですか? しかしシルギードの現状を聞く限り危険なのでは。むしろベクストル陛下をまだ裏切らないだろうという者だけを使った方が宜しいのでは?」
意思の伝わらない――行動の遅い部隊があればそれだけで全体の足を引っ張る事になるだろう。それを故意的にやる輩だって出るかもしれない。更に下手をすれば、内乱そのものに便乗する者だって現われるだろう。
「そう! 裏切る奴には徹底的に裏切ってもらう。特に権力持ってる奴な」
有力な部族は取り立てねばならないシルギードの現状ではあるが、流石に現在王であるベクストルに逆らえば失脚させたとしても文句は言えまい。不満は出るだろうが、後はベクストルの手腕による話だ。
「政策が進まないのは反対勢力が強いせいでもあるし。それが減れば大分やり易くなると思う」
「けどそうしたら、国内の被害が凄くないか?」
ここで戦いが起こるのは避けられない。相手も準備を終えているし、何よりベクストル本人が既に火を放ってしまっている。
――だがそれでも出来れば争いは避けたいし、人死には最小に抑えたい。
(今後の為を見て、それが一番被害が少ねえってイシュタルが言うなら仕方ねえんだろうが……)
「勿論軍は減らさない。つかそんなのベクストルが頷く訳ないだろ」
「そうですね。そんな大がかりな内乱、他国に見られたくもないでしょうし」
「つったって、総力戦で裏切り推奨したらそうなっちまうだろうが」
「戦わせなきゃいいんだよ」
「――?」
シルギード国軍から裏切りが出るのを許容するなら、きっとすぐ側で展開しているだろう。配置はそれなりに融通が利くといったって、反乱分子と一瞬で合流されてもそれはそれで面倒なはずだ。
その状態で戦線を開かずして、裏切らせてどう収めるつもりか。
「都合いい事に、この辺ってちょっと面白い地形してんだよなぁ。……リンデンバウム、ちょっと手ェ加えてきてくれないか」
地図を示しながら幾つかの地点をリンデンバウムへと指示していく。ヴァースの眼から見て、特に共通点がある様には見えないし。何を細工すればどうなるのかも想像つかない。
「大体判るが、ベクストルと少し話す必要があるな」
「その辺はヴァースと一緒にやってくれ」
「……悪い。何をそうすりゃいいのか判んねえんだけど」
思わずシアを盗み見るがやはり戸惑った表情をしている。自分だけでは無いのにこっそりほっとした。
「ん? 水と幻術で足止めしようってだけさ。ほら、シルギードは基本平原と山脈だから生活用水とかって地下水だけどこの辺だと川が流れてるんだよ」
「ああ、確かに」
生活用水に利用できる程の水量は無いが、シルギードでは珍しい事もあって地理の目印にされるという。しかし勿論、足止めに使えるようなものでは無い。
「そりゃ川だけじゃ流石に誰も騙されないだろーけど、視界が悪けりゃどうかな」
「あ」
目印にしているなら、尚更だ。
「上手くいくよう配置しないと意味が無いからな」
「で――話が漏れるとまずいからそれを知るのは俺達とベクストルだけだ。今のシルギードじゃ信用出来る奴がいないだろうしな」
王自らが一人で襲撃しに行っているのが証のようなものだ。
「裏切りを先導してくるから、時間は少し稼げると思う。ハイ裏切りますって動き出す奴なんかそうそういないからな。――だから、その間出来る限りベクストルと共にいろ」
ある程度危険そうな相手は一斉に決起してもらわなくては困るのだ。そのための準備をしてもらえるよう、こちら側から情報を操作する。
「それはまあ、出来なくねえとは思うけど」
下手に国内事情に踏み込みさえしなければ、それぐらいは許されるだろうが、それが一体何になるのか判らず若干歯切れが悪いままで頷いた。
「戦場に軍に混ざって行けるようにって事だ。判るだろ」
「っ」
ぽっと出の人間が軍に混ざって参戦出来るはずが無い。雑兵でならなんとか紛れる事は出来るかも知れないがイシュタルがヴァースに望むのは一兵としての役回りではない。
なるべく軍の中枢にいる必要があるのだ。そしてそれをするのに、ベクストルの小姓という位置づけは非常にやり易い。そう見られるという事に対してのヴァースの抵抗感を無しとすれば。
「お前顔綺麗だからな。十分通じる」
「……っ……。煩せえ」
「何怒ってんだよ。何も本当にそうしろっつってる訳じゃないだろ」
「当たり前だっ!」
赤面しつつ怒鳴り付け、舌打ちをする。
「大体、何でそこまでして入り込まなきゃいけねえんだよ」
「最終的にベクストルには一部隊を率いて反乱分子を制圧してもらうからさ。判ってるだろうがこれは大々的にベクストルがやらなきゃ意味が無い」
「……ああ」
「その時、事情を知ってる人間しか落ち着いて行動出来ないだろ?」
決起のタイミングはベクストルの離脱とほぼ同時期になろう。つまりベクストルが抜けた後の軍が裏切りに動揺した時、どさくさまぎれにでも統率しろと、そういう事だ。
「――って、俺がやるのかッ?」
「お前がっていうか、出来る奴の尻叩けって事な。シルギード軍に混ざって一番不自然じゃないのはお前だろ?」
ベクストルがヴァースを連れ込んだのは屋敷の人間なら皆知っている。動向を覗っているような内部の者も勿論知っているだろう。
(……そりゃ、そういう事にすりゃ入り込めねえ事はねェだろうが)
それならシアの方が適任では――と考えてすぐに否定する。女性にそんな事をやらせる方がどうかしている。それにシアでは振りだけでなく万一の事があってしまうかもしれない。
(……やっぱ駄目だ)
「判った。けどベクストルが頷くか?」
ヴァースはどうせこの一件が終われば戦死でも何でもして消えてしまえばいい。カラムの領主と顔かたちが似ている事で後々不審に思う者もいるだろうがそれは白を切り通せばいいだけの話。
しかしベクストルはこれから先も国を治める王でいなければならないのだ。
「……不名誉だろ。大体、俺に後陣を任せるかどうかってのもそもそも」
「頷くさ。その程度にはベクストルはお前を信用してる」
少なくともいつ敵に回るか知れない国内の貴族達よりも余程。
「それにシルギード軍だって馬鹿じゃないから。お前が誘導するのは万一の時だけ、だよ」
しかしシルギードの内情から見て、その万一を行わなくてはならないほど人材がいない可能性がなくはないとイシュタルは見ている。
「そう、だな」
幾分かほっとして呟くと、イシュタルも気楽に頷いた。
やる前から気負わせるのはよくない。やる事さえ判っていればヴァースは上手く立ち回るだろう事をイシュタルは疑っていなかった。
「俺とシアでその間情報操作しとく。お前の方でも人間関係は把握しとけよ。こっから先は直接会わないから、何かあったらリンデンバウムを通せ」
「ああ」
「ヴァース様。……お気を付けて」
今の状況のシルギードで、ベクストルの小姓として入り込めばそれなりに危険に晒されるだろう。だが危険だという理由での反対はもうしなかった。
この状況まで事を動かしたのがヴァースで、もう事態を放置するような人ではないし、そうあって欲しくもなかったから。
だから後は自分の出来る限りの事でヴァースの身を守るだけだ。
「ああ。悪いな」
大人しくない看板で彼女には悪いと思っていた。しかしシアはふわりと綺麗に笑って首を横に振る。それが大分気分を楽にしてくれて、有り難かった。
「それじゃあ――次は内乱時に」
に、と笑ったイシュタルの顔は自信に満ちていて、もの凄く誰かを連想させたがその連想は頼もしかった。