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「――……」
知らなかった。いや、外部に漏らさなかったベクストルの手腕こそを褒めるべきか。あまりの惨状にヴァースは二の句が継げずに沈黙した。
「ヒルディアとの戦を再発させてでも、今カラムを手にする必要が俺にはあった。尤も今は終わった話だ」
立ち上がって扉に歩み寄り、ベクストルは閉じられていた扉を開く。
「行け」
「……いいのか」
「今貴様を殺してもシルギードの寿命を縮めるだけだ。さっさと戻れ。お前に何かあればヒルディアが動くようになってるんだろう」
「……」
ベッドから起き上がり、開かれた扉の元まで行くとバタンと再び部屋を閉ざす。
「おい?」
「俺の用は済んでねェ。今あんたに倒れられる方が面倒そうだ」
「ほう? だったらカラムを俺に寄越すか。全面とはいかんだろうが十分な自治は保障するぞ」
「それは出来ない。けど何らかで渡す手段はあるだろ」
「施しは受けられん。――自国に対しても、他国に対してもな」
単純な見栄だけの話ではない。軍事国家であるシルギードはただでさえ他国にも好かれていないのだ。弱味はとかく見せられない。
「何か手はあるだろ」
「無いな。シルギードは見ての通り何も無い国だ。交易に使えるような物が残っているなら真っ先に使っている」
「んな事ねェだろ。金が採れるんだろ、シルギードは」
「――金?」
ヴァースの言葉にベクストルは訝しげに眉を寄せた。
「そんな話を聞いた事はないが。……カラムには入っているのか? シルギードから金が?」
「いや……」
そう聞かれればカラムそのものの財政に全く関わっていないヴァースでは断言できないのだが。
「間違いないかって言われりゃ帰って調べねえと判んねーが、ってかシアに聞きゃ判るか。ただ俺がガキの頃領主館出入りの商人がそう言ってたからそうなんだと思ってたんだが」
義理の父や兄が金に目が無かったせいで当時大量に買い付けていたのを覚えている。その時金を売りにきた商人が言っているのを聞いたのだ。シルギードからは割り合い安く買える、と。
だからこそ今の今までシルギードの財政がそこまで逼迫しているとは思っていなかった。
「お前が子供の頃といえば遡っても十五以上はいくまい。その頃なら王座に付いている……。そうか、どこから資金を得ているか疑問だったがそういう事か……ッ」
「――まあ、そういう事だな。良かったじゃないか、売る物が出来て」
「!」
くつくつと笑った男の声にぎょっとしてベクストルは顔を上げる。逆にヴァースの方は情けないとは思いつつ、ほっとした。
「リンデンバウム」
「無事か。いきなり易々と攫われるな。お前は帰ったらまず護身術から学べ」
「……そうする」
年の差はあるとは言え、ベクストルに手も足も出なかったのは流石に情けない。
……というか、正直なところ本気でやってもリエンにも勝てない気がするのだ。襲撃者を撃退したのが本当にリエンならば、だが。
「良かったな、殺さなくて。これでもヴァースにはファンが多い。こいつに手を出せば無条件でもヒルディアは動くぞ」
「……そのようだな」
「ってかお前、どうやって」
扉を開ける気配など無かったというのに、流石に物質はすり抜けられないだろうと一瞬思ったが、一度開けているのを思い出した。という事は。
「お前さっきからいただろうっ!」
「あァ、どうも殺す殺されるって感じじゃあなかったんでな。出て行かない方が上手くいくと思ったのさ」
「……誰にも見咎められずに入って来たのか。ここまで」
ここはシルギード手前の町にあるベクストル出身部族の貴族の屋敷だ。勿論彼の立場上宛がわれる部屋にも屋敷自体にも十分な警備が敷かれている。
苦々しげに自分を睨むベクストルにリンデンバウムは薄く笑った。
「何にしてもこれでお前はヴァースに借りを二つ作った訳だ。金の情報と反乱分子の足止め。せいぜい感謝してもらおうか」
「そうか。すぐさまシルギードに向かってくると思っていたが……貴様か……。随分化け物じみた駒を持っているものだ。通りでその実力で無茶をする訳だな」
侵入のみならず部隊という集団の足止め。シェアディールの手足として動くリンデンバウムには慣れた作業だが、傍から見れば神技だ。
「生憎多分俺がいなくてもヴァースは同じ事をしたぞ。だから周りが苦労する」
周り、という言葉にはたとヴァースは訊かなくてはならない事を思い出した。
「そうだ、シアとイシュタルは!」
「いたって無事だ。この町の宿で待たせている」
ヴァース一人を奪い返すぐらいならリンデンバウム一人で充分だし、逆に大勢だと動きづらいだけだと言える。イシュタルはともかくシアを頷かせるのは骨だったが。
「さて、このままではお前も気分は良くないだろう。後々の為にもな。今その借り二つ、解消したくはないか?」
「何が望みだ」
「もう理解したと思うが、主は大層平和主義者だ。お前の腕を以ってすれば二つ三つが束になった小規模な内乱ぐらい訳ないだろうが、指揮をこちらに任せてもらいたい」
「何だと……ッ?」
リンデンバウムの提案は到底聞き入れられるようなものではなかった。普通なら。しかし。
「俺にシェアディールが付いてるのは知ってるだろ」
「……」
「任せてもらえんなら、ここで俺の名前で金の取引金額を決めてもいい」
適正価格よりも多少なりと高く値を付けて。
「……何故。貴様に利は無いだろう」
「他の国――とか言っちまえばそれまでだが、ここは大陸だぜ? 一線跨げば隣の国だが隣人には違いないだろ。今日明日何か起こって殺し合いとか。……したくねぇだろ。誰も」
目を見開き――それからゆっくりと戻してベクストルは長い息を吐く。
「酔狂な事だ。もっと旨味を得る手段などいくらでもあるだろうに……」
今の状況を考えれば、ヒルディアを盾にしてシルギードから金を格安で仕入れてもいいはずなのだ。武力を盾にされればおそらくベクストルはそれでも頷く。国を殺さないためには頷くしかない。
「お前が愚かと誹られるぞ」
「構わねえよ。元々名前だけで領主継いでんだ。誰も俺にそんな手腕期待してねえ」
「……そうか」
「生憎、カラムでのヴァースの評価はそう低くないぞ、ベクストル」
何しろ半ば絶望的な状態から自治を守った領主なのだ。加えて見目も申し分なく年若さはそのままカリスマになる。
愚かと誹られるより先に、何か裏があるのだろうと文句は表に出てこないだろう。――シルギードが回復できる間ぐらいは。
「判るだろう、お前なら」
「……あぁ」
(そうだな。こいつには間違いなく王の適性がある。俺などよりも、余程)
ベクストルは力で王権を奪った。そして今も力尽くで支配している。それしかないと思っていた。シルギードの有様は酷かったから、立たざるを得ないと思っていた。
けれどもし。彼のような王があれば。
「――少しカラムの民が羨ましい」
もし自分が一兵であれば命を賭して守るだろう。もし彼が一兵であれば自分の半身として信を置くだろう。
「は?」
ぽつりと呟かれた言葉はヴァースの耳には届かなかった。届かせるつもりも無かったが。
「何でもない。――では、具体的な話をしようじゃないか」