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「――……う――……っ」
意識の浮上と同時に腹部に酷い鈍痛を感じ、堪えられずに咳き込んだ。その音に同じ部屋に居た人影がヴァースが起きた事に気がついてガサリと何か書類を纏める音がした。
続いて席を立つ音と、歩み寄って来る重めの足音。
「初めまして、というべきかな。ファウストフィート公」
「……やっぱり……」
やや艶を失った黒髪と、反して強い意志を湛える同じく黒の瞳。年は四十の半ばといったところか。彼の容姿を伝え聞いている訳ではないが。
「ベクストル、陛下」
「あァ。手荒い招待だが、今のお前の立場を考えれば温いぐらいだと思ってもらおう」
「……っ……」
まだ幻術は解けていないがベクストルは確信している。それとも確信したふりをしているだけなのだろうか。
(そうだ。大体俺をファウストフィートだと確信してるならベクストルが俺を殺さない理由がねえ)
白をきってみるか、と思った所にベクストルはその心を読んだかのようにふんと鼻で笑う。
「下らない真似はするなよ。お前の部下が名を呼んだだろう」
用が済んだ帰り際、聞き捨てならない名前が聞こえて引き返したのだ。
「ヴァース・ファウストフィートは見事な金髪と紫宝の瞳をしているというからどうかと思ったが、背格好は聞いたままだったしな。あの場にはお前以外あるまい」
「……判ってて俺を殺さないって事は、話すつもりがあると取っていいんですか」
「話? 俺の手を先に突っぱねたのはお前だろう」
先にシルギードの使者の要求を跳ね付けた事を言っているのだろう。そういう言い方をされれば間違ってはいないが。
「あんな要求飲める訳ねェだろ……ッ」
「そうだな。飲んでも飲まなくてもどちらでも構わないと思っていた。シェアディールがいると判っていればさっさと強行に出ていたものを……ッ」
ギリ、とベクストルは口惜しそうに歯を鳴らす。あの時点でベクストルがカラムを舐めていたからこそ、今こうして後手に回る事になったのはシルギードとなったのだ。
「今のカラムでファウストフィートを名乗るとはどんな馬鹿かと思っていたが、中々やってくれるじゃないか」
「っ」
だんっ、とヴァースの肩を掴み起こしていた上半身を再びベッドに押し付けベクストルは探るようにヴァースを睨む。
「さて――では本題に入ろうか」
「本題」
「シルギードで何をしていた。領主自ら出向くぐらいだ。余程の事があるのだろうな」
ベクストルにはそれに連想する何かがあるのか、ヴァースを睨む眼は険しい。
「……陛下と話しに来ただけです」
「俺と? 今更何の話がある。既に大勢は決している。……今はな」
懐から短刀を取り出すと抜き身の刃をヴァースの首元に押し当てベクストルは笑う。
「選べ。カラムの財を俺に寄こすか、ここで死んで奪われるか」
「無駄だ。俺に何かあればヒルディアに付くよう用意はしてある」
「なら貴様の命を盾にするだけだ」
「無駄だっつってんだろ。俺の命は盾にはならねェ」
シルギードが何か事を起こせばカラムはヒルディアに付く。どちらにしろ戦に巻き込まれるなら吸収されても同じ事。おそらくリエンならば、ヴァースが死んだ後その意を汲んでいくらかの自由は保障してくれるだろう。
「貴様が主だ。権利はお前にあるだろう。……命が惜しくないのか」
「――……命自体は然程惜しくねェ。軽く死ねねえとは思ってるが、戦乱を引き換えにする程のものでもねえと思ってる」
「正気か。……正気だな」
諦めたように息を吐き、ベクストルは剣を引いてヴァースを押さえつけていた手も離す。
「何のしがらみも無い町に、健気な事だ」
「これだけ時間が経ったらもうしがらみなんか無くねえだろ」
「……それもそうだな」
ヴァースを連れ去った時のシアとイシュタルの様子を思い出しベクストルは頷いた。
「そう言えば俺に話があるとか言っていたか。最後だ、一応聞いてやる。何の用があるというんだ、今更この国に」
「シルギードに、正式にカラムの自治を認めてもらいに来た」
「……何?」
至極真面目に言ったヴァースの言葉にベクストルは耳を疑って固まった。思わずヴァースをまじまじと見るが、やはり本気だ。
「……今更認められんでも手出しできないのは判っているんだろう」
「できない関係じゃなく、しない関係になりたいと思ってる」
「正気か。それだけの為にわざわざ来たというのか。俺が手の内に飛び込んできた相手にそう甘くしてやるとでも思ってたのか?」
「――正直言えば、判らなかった。けど町を見て回って、話せるんじゃないかと思った」
始めシルギードに向かうと決めた時は、本当に自信は無かった。けれどリンデンバウムと話している時に思ったのだ。大丈夫じゃないかと。
「何故だ」
「町の人が飢えていなかった」
「……」
「下の人間を気遣ってくれる王なら、無駄に苦しませる戦乱は望まないだろうってな」
確かにベクストルは悪い王ではないのだろう。ただ最善の手に容赦がないだけで。
「戦いになれば勝敗関わりなくどちらにも被害が出る。なのに何でその手を選ぶんだ」
「最も単純な話だが――金が無いからだ」
一国の王が他所の人間に言うべきではないような内容を、ベクストルは投げやりに答えた。
「……は?」
しかしそれに対するヴァースの反応は鈍かった。ヒルディアと並んで大国と称されるシルギードに、金が無い?
「そうだな。そう見られんようには色々してきたさ。だが普通に考えて内乱ばかり起こっている国に財力などあるはずがあるまい」
ベクストルが王位を奪った時、シルギードは酷い有様だった。元々内乱続きの国内はヒルディアと停戦すると、すぐ様土地と金の奪い合いが再開された。
「内乱を終結させた所で、長く放置された大地には何も実らん。国庫の蓄えにも限界がある。というより国庫にこそ何も無い状態だったな」
「……えと。じゃあどうやって。『買って』るんだろ? 食物」
「徴収した。貴族や豪商、ある所からは手酷くな。奴等にした所で国に金が無い等と周辺には知られたくないから騒ぎたてはせん。まあその分内乱の火種は増えるがな」
ククク、とベクストルは自嘲気味に笑った。財力を持つのは当然権力を持つ者が多い。強制してそんな事をしていたらすぐさま孤立してしまうだろう。
「まず話せよッ。納得させてからでも」
「言ったはずだ。シルギードは内乱続きの多民族国家。自分の部族ならまだしも、他民族を救ってやろうなどという酔狂な奴はいない。まして俺の失脚を喜ぶ奴こそいれ、率先して協力しようなどという輩がいるものか」
そしてそんな相手に絡め手を使っている時間など無い。下の人間の飢えは容赦なく進んでいく。