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「――もうシルギードに入って大分立つよな?」
カラムを発ってから五日。ヒルディアへの行程では首都に近付くにつれ段々賑やかに華やかになっていったものだがシルギードにそれは無い。
いや、勿論中間の村と呼ぶような町と比べれば施設などはしっかりして大国らしくはなっていっているのだがどうにも空気が重い。
「ああ、このまま順調にいけば後三日もすれば首都に入るな」
「その割に、何つーか……」
活気というものが無い気がする。
大体広い土地を取って田畑が作られているのに、そこに付いている実りはごく僅かだ。運搬手段が限られている以上、おそらくこの周辺の町や村への生命線はこの町の田畑なのだろうに。
「長い戦乱は国を疲弊させます。内乱がずっと続いていたのならこの状況も当然と言えるでしょう」
「そのわりには困窮してるとか、そんな話は聞かなかったよな?」
まず真っ先に飢えるのは一番下の人間だ。いかに緘口令を敷いたとしても全てを塞ぐ事は出来ないだろう。必ず話は伝わって来る。
「そう、つまり国民は決して飢えている訳ではない。これでも大分土地は回復してきた方だぞ」
「――ちょっと待ておかしいだろ。田畑がこんな状態なのに」
「作らなくても買えば手に入るだろう? カラムだってそうだろうが」
「そりゃそうだろうが、カラムみたいな商業都市ならともかくシルギードじゃすぐ限界が――って、そうか」
ベクストルが真に欲したのは領土ではなく、自国の土地を潤す時間を稼ぐための潤沢な資金だったのだ。
「言ってくれりゃ貸す手だってあるじゃねえか」
「……それは出来ないでしょうね」
「何でだ」
「ベクストルが強硬に国を纏めて来たからさ。武力も持たないたかが一領主に国の主が頭を下げるなんて周りの重鎮が頷かない」
イシュタルの言葉にヴァースは唖然として言葉を失った。リエンも言っていたが確かに見栄は大切だ。否定はしないが――
「そんな事言ってる場合か?」
「そうだな。それは本当は下らない事だ。頭下げるのが嫌だから殺して奪うと言っているんだからな。――だが命を軽く扱う人間というのは確かにいるものさ」
「……」
リンデンバウムの言葉はヴァースよりもイシュタルの方により響く。だが当の本人はどんな表情をするべきか、居た堪れない三人に肩を竦めて鼻で笑う。
「ま、それが判ってるならお前はそうなるなという話だ。その為にここに来たんだろうが」
「――ああ」
「ではそろそろ今日泊まる宿を確保しましょうか。もうすぐに陽も落ちてしまいますし」
「そうだな」
あまり堅気には見えないリンデンバウムでは警戒されるのが目に見えているので、自然シアとイシュタルがその役目に決まった。守られる立場のヴァースは大概リンデンバウムと二人が戻って来るまで時間を潰すのが常になっている。
シルギード内の治安はヴァースが想像していたよりは悪くなかったが、それでも気を付けるに越した事は無い。悪くないとは言ってもあくまでも『想像よりは』だ。カラムやヒルディアと比べると、やはり国全体がピリピリしている気がする。
その中でも更に、今まで訪れたどの町よりもここの住人の空気は異質だった。
「まだ戦う気でいんのかな」
「そのようだな。空気が戦前のそれだ」
その空気に寒くなったような気がして腕を自分で抱え込んでぽつりと零した言葉にリンデンバウムからあっさりとした肯定が返って来た。
「でも何かおかしくないか? ここよりカラム寄りの町じゃまだそんな感じじゃなかっただろ。……首都に近いからそんな空気になるのか?」
「そう言えばそうだったな。普通国境に近い方が敏感なものなんだが」
情報が回る速度の違いは出るだろう。だが妙に隣町との温度差がある気がする。
「何かそれって、最前線が国の内側にあるみたいだ――」
よな、と続けられるはずだった言葉尻は町を囲うように起こった爆発の連鎖に掻き消された。
同時に上がった火の手が町を囲い、そして次々と建物からも爆発が起こる。
「な――っ、何だっ?」
「お前が言った通りだって事だろ。内乱だ。俺から離れるなよ」
指先で力を導く法陣を描き、妖精の瞳を発動させる。続いて魔力を追って相手を探す探索の魔術でイシュタルを探し始めた。
「どこだ?」
「とりあえず二人とも生きているな。繁華街に居る。合流して、巻き込まれんうちにさっさと脱出しろ」
「……ああ」
周りの惨状を見て気が重そうに頷いたヴァースにリンデンバウムは首を振った。
「何とかしてやろうとか考えるなよ。こうなったら一人の力なんぞ無力なもんだ」
「お前でもか?」
自分の力でそれが叶わない事は判っているので逆らうつもりはないが、リンデンバウムの言葉は少し意外だった。どうとでもしそうなイメージがあったので。
「そりゃ多少なりと出来る事はあるが、『多少なりと』だ。俺も人間だぞ、一応。それに今はお前がいるだろう」
「……そうか」
「ほら、行くぞ」
範囲を自分達の周りに設定し、移動に合わせて動く結界を造り出す。探索を発動し続けているリンデンバウムの後に付いて走る事数分、すぐにシアとイシュタルと合流する。
「ヴァース様、良かった、ご無事で!」
「ああ、そっちも」
生きている、とは聞いていたが実際に目で見るまで安心出来ないのが人というものだ。いたって無事なその姿にほっとする。
「俺が付いていてこの程度で何がある訳も無いだろう。まあいい、時間が無い。今の内にシルギード側に抜けろ」
「シルギード側にか?」
時間が無いのは判る。どこかからの攻撃である以上はここに攻め入って来る本隊がいるはずだ。乱戦に巻き込まれれば面倒な事になるのは目に見えている。しかし。
「カラムじゃなくてか?」
ヴァースの言葉に既に探索で感知しているのだろう、シルギードと逆側の三方向を見据えて首を振る。
「そっちは空いていない。こっちに向かってる集団がいる。シルギードからはこれ以上はなさそうだがな」
「それってどういう」
「今はいいから早く行け。イシュタル、シア、ヴァースを守れよ」
「ああ」
リンデンバウムにとってはイシュタルも守るべき対象だが、イシュタルにとってはヴァースが守るべき対象なのだ。軍師が剣を持つのは愚策であるが、その時になれば体を張って守るのも務めというもの。
「お前は」
「ここで少し足止めしていく。理由は後でイシュタルに聞け。――早く」
「ヴァース様」
シアに促され、躊躇うようにリンデンバウムを見詰めてから、頷いた。
「判った。……生き残る、よな?」
「死ぬ気はないな」
ならばきっと生き伸びるだろう。
大方の町の造りは把握していたか、イシュタルの先導に代わって町を抜ける。リンデンバウム程の技術を持ち合わせていないためイシュタルには数人を囲うような範囲の広い移動式の隠行術は使えないが、住人達は燃え盛る炎を消すのに必死で誰に見咎められる事も無かった。
(一体どこが、何で)
間もなく町を抜ける、という所まで来たヴァースの耳のすぐ側をチッ、と弓矢が掠めて通る。
「っ」
「ヴァース様!」
「馬っ、シアっ!」
咄嗟に名を呼んでしまったシアをイシュタルは咎める。名前を呼んでしまっては何の為の変装だか判らない。
はっとしてシアも自分のした事にうろたえるが、幸い周囲の騒音に紛れて襲撃者達には届かなかった。
「どこに行く貴様等ッ!」
「どこにも何も! 逃げるに決まってるだろうが! 鎮火を手伝えとか言うなよ旅行中に死にたくないんでね!」
人情味が無いこと甚だしいが旅行中の人間としておかしくはない行い。命を掛けて何の所縁もない土地の沈静化を手伝うような人間はそうそういまい。しかし襲撃者はそうは取らなかった。
「やはりそうか! 今のシルギードに旅行者などが来るものか! ましてシルギードへ逃げるという事はこれをしでかしてくれたのは貴様等だな!」
「違う――っつっても聞きそうにないな」
男達の眼は冷静を失っている。何を言っても聞きはしないだろう。説得は早々に諦め、各々の武器を構えて次の相手の行動に注意を払う。
「イシュタル。ヴァース様を連れて抜けて下さい。ここは私が止めます」
「シアっ!」
「シルギードに明るくない私では先々ヴァース様を守れるか判りません」
「それは同感だがここは俺が止める。お前がヴァースと共に行け」
ちらりとシアに眼をやった後できっぱりとイシュタルはそう言った。
「しかしっ」
「俺は一人なら生き残る自信がある。お前はどうだ」
霍乱・足止めに使うのに幻術程優れた技術は無い。自分一人だけなら隠行で隠れる事も可能だ。
「どうせなら全員でカラムに帰りたいだろ?」
「……はい」
「よし、行け!」
叫んだイシュタルを置いて、ヴァースとシアはシルギードへと走り出した。だが幾らも進まぬうち、その眼前を遮るように騎馬が一騎槍を構えて突っ込んでくる。
顔を隠し、戦場に慣れたその空気は町の人間とは明らかに異質だ。
「退がって!」
ヴァースの前に飛び出しシアは突き出された槍を払い馬の脚を狙って剣を振るう。ちっと馬上の男は舌打ちをし、馬の脚を落とされる前に己の武器を引き戻し大きく凪いで間合いを取る。
(出来る。私ではこの男をかわしながらヴァース様を連れて逃げる事は出来ないかも知れない)
人一人を庇って戦える余裕のある相手ではないと交えた剣が教えてくれる。
「ヴァース様、私が奴と斬り合っているうちに抜けて下さい。先の町で落ち合いましょう」
相手に聞こえぬよう、小さく抑えた声で視線は逸らさぬままそう告げる。
「――だがっ」
「貴方の腕では足手まといですから」
二人掛かりでかかって行っても、ヴァースを狙われればシアが動き辛くなるだけだ。そしておそらく相手はその力量をすぐに見抜いてくるだろう。
「――……っ。判った……」
「必ず生きて貴方の元に戻ります」
微笑み頷いて――ぐっと両手で剣の柄を握り締める。
「ふっ!」
ヴァースとシアが地を蹴ったのは同時。騎兵は一瞬ヴァースへ眼を向けたが、すぐにシアへと向き直る。その時点でシアが気を緩めてしまったのは確かだった。
シアと切り結びながら騎兵はヴァースが己の後方に走り過ぎたのを確認し、いきなり馬を降りシアへと向けて走らせた。
「なッ!」
鍛えられた軍馬は主の命に忠実だった。剣を構え直す間もなく突進してきた馬をかわすので精一杯。
その間に騎兵はヴァースへと駆けて行く。
「くっ――」
唯一覗く男の眼には爛とした強い意思が視え、ヴァースはそれに既視感を覚える。
(こいつ、まさか)
騎兵はヴァースを間近で見て一瞬迷うような色を浮かべ、しかしその迷いもすぐに消え失せ構えていたヴァースの剣を一撃、二撃と打ち据える。
(強ェ……ッ!)
力の重さも技術も、ヴァースの敵う相手ではない。痺れた手から力が抜けた瞬間、騎兵は柄の部分でヴァースの体を強打した。
「が……ッ」
崩れた体を抱えて口笛を吹くと、待機させていたのだろう、二頭目の馬が前方から駆けてきて、ヴァースを引き上げると自分も飛び乗りその場から駆け去っていく。
シアが馬の首を落とし戦線に戻る事が出来たのは丁度その時。
「……ッ、――ッ!」
呼ぶべき名前を押し殺した口から声にならない悲鳴が上がる。
「シア! 逃げるぞ!」
向こうの方のケリがついたか、こちら側の騒ぎに気がついたか、合流してきたイシュタルに腕を取られシアは悲痛な声を上げる。
「イシュタル……っ」
「早く追わないと……あいつ、多分……っ!」