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「お帰りなさいませヴァース様」
出迎えに出て来たシアは少し疲れているようだったが変わらず元気だった。ヴァースの帰還に安堵してその表情はここ数日の沈みようを全く感じさせない程明るいものへとなっている。
勿論その場に居なかったヴァース達にその変化は判りようもないが。
「ああ、どうだった、こっちは」
「特には何も。ヴァース様達が戻られる少し前にシルギード国内が騒がしかったようですけれど」
「ふふん。俺達がリエンと会ってたのが伝わったな。それから何も無いんだな?」
「ええ」
肯定したシアにイシュタルは満足そうに頷いた。侵攻の準備が無いという事は、おそらくシルギードは武力行使で強引に来るのは諦めたのだろう。
「ヒルディアはいかがでしたか?」
「まあまあ、じゃないかと思うが。とりあえず自治は認めてくれたよ」
ヴァースにしてみればまあまあという評価も甘く感じるが、当面の問題だけで見るなら『まあまあ』、でいいだろう。
何よりも折角の朗報で喜ぶであろうシアに無用な気苦労は掛けてやりたくない。適性での悩みなどヴァース個人の問題でいいのだ。
「そうですか……良かった……っ」
そして手を胸の前で組み、ほうと心からの笑みを浮かべて吐息と共に呟かれたシアの言葉にやはりそれでいいのだとヴァース自身もほっとする。
(まさか本当に自治を守れるなんて)
自分すら信じていない状況で、勝手に巻き込んでしまったというのに。
「ありがとうございます、ヴァース様。それとイシュタル殿」
「うわこそばゆっ。殿もいらないから、本っ当。つか敬称全般止めてくれ」
このままだと延々別の敬称を付けて呼ばれそうな気がしてイシュタルはそう先に頼んでおく。これからしばらくカラムに厄介になるのだから当然シアとも多く顔を合わせるだろう。
このよそよそしさは良くない。演じるのは得意だがイシュタルの素は馴れ馴れしい方に分類される。
「それで、だ。帰って来たばっかりで何だが二人に話したい事がある」
「何だ?」
「なんでしょうか」
「一度シルギードを見てみてえ」
ヴァースの言葉に二人は唖然として固まって――
『――はぁッ?』
全く揃って予想通りの反応を返してくれたので耳を片方塞いでやり過ごした。続いて来たのはやはり予想通りというべきか、怒涛の反対。口火を切ったのはまずシアだった。
「正気ですかっ。相手は貴方を殺そうとしている相手ですよッ?」
「だからだ。このままじゃいつまでもピリピリしてて落ち着かねえだろ。出来りゃ直接王に会ってシルギード側からも自治を認めさせてえ」
「シルギードが何でそんなに戦いたがってるのかが判らないからどっちにしろそれは調べるつもりでいたけど、何も今お前が行く事ないだろうっ!」
むしろ領主自らが動く方がおかしいと言える。そんな事は判っている。
――自分の力が足りない事も、勿論。
「確かに俺が行く必要はねえ。単に俺が見たいってだけだから。一応死ぬつもりはねえけどその時の為の用意はちゃんとしていく」
ヴァースに血縁はいないのでファウストフィートは絶える事になるが、次の領主は指名していけばいい。勝手に名乗りを上げる、本当に血が繋がっているかどうか判らない遠縁よりは優先されるはずだ。
「何故そんな……」
「――俺は、出来りゃこんな危うい関係じゃなくて、もっと本当に平穏に互いに行き来出来りゃいいと思ってる。カラムが出来た理由を考えりゃ突飛なのかもしんねェけど。けど、それにはまずシルギードが何を欲して戦いてェのかを知らないと話にならねえだろ」
「……単に自分の支配地域を増やしたいだけかもしれませんよ」
周辺の民族を統一し強大な国となったシルギードだ。他国に対しても同じ感覚でいてもおかしくない。
「それならそれで仕方ねえだろうな」
そういう考えの人間は、おそらくいなくはないのだろう。話の通じない輩であれば武力での対抗は止むを得ない。――例えそれが真に平穏とはならなくても。
「それを決める為にも、直接会ってみたいと思ってる」
「ヴァース様……」
「ただこれは俺個人の理想で、カラムの為っつーなら俺が動くのは馬鹿な事なんだろう。一応領主名乗っている以上、勝手に行くつもりはねえ」
今自分が死んだら間違いなく迷惑がかかる。――だから。
「どうしてもっつーなら、諦める」
「……卑怯な物言いをされますね」
困ったように――しかしどこか嬉しそうにシアは微笑む。
「どうしてもと仰るなら私も参ります。私が勝手に巻き込んだ事に貴方は十分過ぎる程骨を折って下さったから。その貴方がカラムの為にする事を私が止める訳にはいきません」
「……シア」
カラムの為ではある。だがやらなくても不都合は無い事。
それに真っ先にシアが頷いてくれたのに、正直ヴァースは驚いた。彼女は自身の目的よりもヴァースの目的を取ってくれたのだ。
「……悪い」
「いいえ。ファウストフィートが貴方で良かったと、今はそう思っておりますから」
関わりない人の苦痛にすら、心を砕いてくれるヴァースだからこそ。
「今度は残れとは仰らないで下さい。今のカラムにとって貴方を失う事の方が余程痛手なんですから。――守らせて下さい」
今度こそヴァースの隣で、自分の手で。
「イシュタル。頼む」
「――……仕方ないよなぁ」
頭の後ろを掻いて諦めたような息を吐き、イシュタルも苦笑して頷いた。
「ま、主の望みは可能な限り叶えるのが腕の見せ所でもあるし? お前のそーゆー真っ正直に誤魔化せない所、好きだしな」
そうあってくれと言ったのもつい最近だった。その自分が安全の為に意志を曲げろというのもおかしいだろう。
「――では、やはり変装はしていった方がよろしいですね?」
「ああ、ヴァースの容姿は有名だから。幻術も掛けてくけど見抜かれない保証は無いし、実際に変えて行った方がいいだろうな。眼は仕方無いけど少なくとも髪は」
「そんな勿体ない事をするもんじゃない。髪が傷むだろう」
さら、と後ろから頭の両脇の髪を梳く男の手にヴァースはぎょっとして振り返った。
「リンデンバウムッ?」
「お前っ。何でここにっ!」
つい数日前しっかり別れ、今はヒルディアにオシリスと共にいるであろうリンデンバウムがそこに居た。
「何、お前等だけじゃ道中危ないだろうってな。ヒルディアからカラムの間で襲われないとも限らないだろ?」
オシリス自身はヒルディアの王宮内にリンデンバウムが帰って来るまで留まる事になっているのである程度安全だ。何も無いならそれで良しと、念のために頼んだらしい。
「面白い話だと個人的には賛成だが、あんな不安定な地域にお前等だけじゃ心許無いだろう。オシリスの許可もある事だし、俺も付いていってやる」
「結構です。ヴァース様の身は私が護りますので」
ヴァースを庇って前に立ち、きっとシアはリンデンバウムを睨み付ける。
ヒルディアでの詳しい経緯はまだ聞いていないし会話からして現在敵でない事は判るのだが、相手は一度ならずヴァースを襲って来ているのだ。いい感情がある訳も無い。
「ふうん?」
目を細め、上からシアを見下ろし観察する様な間が数秒あって。
「お前も中々面白そうだ。魔力は話にならないが武術だけなら大したものだろ」
「ふざけんなっ、シアは」
「判ってるさ。お前の陣営の人間に手は出さん」
言われるまでも無くそんな事をしたらオシリスからもイシュタルからも怒りを買うだろう。流石にそれは遠慮したい。折角二年振りにわだかまりも解けたのだし。
「お前がヴァースを守るってならそれはそれでいいさ。俺はイシュタルを守らせてもらう。俺の力はあって悪いものじゃないだろう?」
「それは」
(そうなんだが)
微妙にまだ不安が残る。リンデンバウムが殺人快楽者なのも本当なので。
「いいじゃん。俺もヴァースも、ってか多分シアも実戦なんて殆どした事無いし。来てもらった方が助かるって」
「ヴァース様……」
「……判った。来てくれ」
確かにリンデンバウムは一流の実力者だし、十分理性的だ。趣味で自分の行動を決める事はしない。
「……ヴァース様がそう仰るなら」
「決まりだな。お前の容姿は俺が幻術で隠してやる。安心しろ、見抜ける奴はそういないぞ。ましてシルギードには教育機関が整ってないからな」
魔術というものの造詣がそもそも浅いのだ。
「……カラムはこれだけ豊かなのに、すぐ隣のシルギードは教育すら整っていないのか……」
「軍事にばかりかまけているからです」
辛辣にシアは言い放ち、同情すら見せなかった。
「ベクストル自身が悪い王という訳ではないんだが、まあシルギードの状況と性質上仕方無いだろうな」
「――そうなのか?」
『狂王』ベクストルに関しては悪し様に言われているのしか聞いていなかったので擁護するようなリンデンバウムの言葉は意外だった。
「シルギードの成り立ちは知ってるな?」
「周辺諸国の多民族を制圧して今の領土になった……ん、だろ?」
「そうだ。だがそんなお国柄だ、国内ではいつも争いが絶えなくてな。実質シルギードが落ち着いたのはベクストルが王になってからだ」
「武力で、でしょう」
『狂王』の名の由来はそこからだ。冷徹に、大胆に、見る間に反乱分子を制圧し――そして圧政を敷いていった、強力な王。
「武力でしかどうにも出来ない時もある」
「だからと言って他国を侵略していい事になどなりません」
「確かにな。だがベクストルの手腕が確かなのも事実なんだ」
勝てないのが判っているからこそ、シルギードは今カラムに手を出してこない。状況判断も正しいのだ。
「だからこそ、余計に聞いてみたいだろ」
話し合えないかどうか、話してみたい。
「やってみりゃいいさ。この町の主はお前なんだから」
「ああ。――頼む」
「はい。お任せ下さい、ヴァース様」