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イデアール  作者: 長月遥
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第一章 自由都市カラム

「――……っ……」

 カーテン越しに差し込む朝日に、ヴァースはまだうとうとしながら寝返りを打つ。このルベルリア大陸には存在しない金髪が陽光を弾いてちらちらと輝いた。

一回起きてしまうともう眠気はどんどん失せて行き、諦めてのそりと上半身を起こす。

「……朝か」

 この一月強、怠惰になろうとすればいくらでも出来る生活を今のヴァースは送っていた。

シアに連れられて来たカラムで滞りなくファウストフィート公爵の名を継ぎ、領主館で過ごしている。

無論、領主の仕事がそう暇な訳はない。本来ヴァースがやるべき仕事の殆どをシアがこなし、どうしても直筆のサインが必要な書面だけが回されて来るのだ。お陰でヴァースは一ヶ月経った今もカラムの事を何も知らない。

かなりハードな日々を送っているらしいが、知った事ではなかった。

(それぐらいしてもらわねえとな)

 何しろこんな面倒な町に自分を連れて来たのだ。それぐらいやって貰わなくては困る。

自由都市の名を持つここ、カラムはどこの国にも属さない土地だ。その歴史は決して古くはなく、数十年前、大陸随一の大国であるヒルディアと新進軍事国家であるシルギードが長き戦争に自国の国力弱化に懸念を覚え、停戦を結んだ時から始まった。

どこの物でもない土地を国境とし、その間の都市を軍事・政治介入一切禁止の自治区として作り上げたのである。

作られた理由はとても誇れるものではなかったが、何しろ大国に挟まれているという立地の都合上流通の便も良く、また武力による圧力から大陸全体で守られたその都市が発展するのにそう時間は掛からなかった。

優れた芸術品や知識の宝庫、そして財産――

最早自治区にしておくのは勿体ない富の町と化していた。

しかし大陸全体でこのカラムへの政治、軍事干渉が禁じられている以上、これ程の旨味のある都市にも理由なく手出しは出来なかった。

領主ファウストフィート公の失踪が起こるまでは。

ファウストフィート公リカルドとその息子は失踪し、カラムの領主の座は空席となった。そこで遥かに遠い親戚筋だという者が名乗りを上げてきた。

ヒルディアと、シルギード両国から。

(機会があんなら金は幾らあってもいい)

 ファウストフィート公が失踪したのも両国からの圧力――はっきり言ってしまえば暗殺を恐れ、耐えられなくなったからだという話が有力だ。

そうだろうとヴァースも納得した。身命を賭して町を守ろうなどという人間ではなかった、彼等は。

空席のままではヒルディアにしろシルギードにしろ、その干渉を突っぱねられない。そこで白羽の矢が立ったのが間違いなくどことも関係のないヴァースだった、という訳である。

一応ヴァースの母は正室だったので、連れ子であったヴァースも一緒にファウストフィートの名をもらっている。母がどうしてもとヴァースを手放すのを拒んだおかげだ。

本当の所は血が繋がっているかどうか定かではないような遠縁筋よりはまだ近しい。それに何より、市民達は絶大な声でヴァースを望んだ。それを押してまで他国からの干渉で排斥は出来なかったのだ。

ファウストフィートの名前を持っていてくれるだけでいい――シアの言葉はそういう意味だ。

ぼんやりと町の中央に建てられた城から町を眺めていると、静かに扉がノックされた。

「シアです。宜しいですか」

「ああ」

「失礼します」

 扉を開けて入ってきたシアの手には薄く纏められた書類の束。おそらく今日はこれで終わりだろう。

「サインをお願い致します。明日取りに伺いますので」

「判った」

「有難うございます。それでは」

 すいと頭を下げ、早々にシアは踵を返した。ヴァースがファウストフィートを継いで一ヶ月強、彼女との会話は常にこんな感じだ。

それは全く構わない。むしろヴァースの方が面倒がってそうしたと言っていい。シアにしてみればヴァースにやる気があるに越した事はないので始めはそれなりに町の事なども聞かされたのだが、関心を向けなかったヴァースに尚もそれを要求したりはしなかった。

だから普段ならこれで終わり――なのだが、ふと思いついた疑問を彼女に向けてみた。

「なぁ」

「はい?」

 ヴァースから呼び止められた事に少々驚きつつ、シアは足を止めて振り返った。

「何であんたはファウストフィートに拘るんだ。確かにヒルディアなりシルギードなりを受け入れりゃゆくゆくは統合されるかも知んねえ。間違いなく便宜は図る様になるだろうさ。だがあいつ等が欲しいのはこの町の利だ。支配者が変わったって別に何も変わりゃしねえよ」

「いいえ。どこかの属領になった時点でもう自由ではありません。この町が自由なのはどこの物でもないからなのです。それにこの町が不可侵領域である事でどれだけの人が安寧を得ているか知っていますか?」

「……」

 国力の衰えを理由に停戦してから数十年。決して短い年月ではない。それこそ国力を再び回復できる程度に。

間にカラムが存在するが故にお互い進軍が出来ない。それもヒルディアやシルギードがカラムを厭う理由の一つだ。

そして属領となり、戦が再発した日には真っ先に戦場となるのがここ、カラムだ。

「ここは私の、今まで住んできた町です。その大切な場所を、人を、守りたいと思うのが不思議な事ですか?」

「……俺は場所にも人にも執着はない」

「そうでしたね。けれども貴方はここにファウストフィートの名を持って居て下さっている。それで私には充分です」

 シアは始めからヴァースに期待という事をしていない。勿論御免だ、ただでさえ面倒だというのに。

「では、失礼します」

 そう言って去ったシアを、今度は呼び止めはしなかった。すっきりはしなかったが納得できる理由も貰って、用は済んだ。

(守りたい物を守るには力が要る)

 力がなければ理不尽な強者に弱者は踏み付けられるだけ。それは避けようのない事実だ。今のカラムと同じく。

しかしそんな事、他人のヴァースが言うまでも無く住民皆が判っているだろう。だからこそヴァースを風除けに欲したのだから。

正直、風除けの盾など御免である。――だが、彼等は必死だ。

ヴァースが少しぐらい、付き合ってもいいかと思うぐらいには。

場所にも人にも思い入れの無いヴァースではあるが、その必死さには覚えがある。どうしても守りたいものの為に、必死に足掻くその姿。

「どうせどうにもなりゃしない」

 この戦いに勝ちはない。何故ならどう足掻いても結局カラムに力がないからだ。

このまま領主の座に居座り続ければそのうち自分は殺されるだろう。

自分一人の人生だ。楽に殺してくれるならそれもいい。

「……」

 シアが置いていった薄い書類の束に手を伸ばし――しかし気分にならずに手を落とし、だらだらと入ったままだったベッドから起き上がり窓から町を見下ろした。

自分の立場を考えればあまり賢いとは言えないのだが、鬱々とした気分に勝てずヴァースは城の外へと足を向けた。

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