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イデアール  作者: 長月遥
13/29

 3―3

「これはこれは、ファウストフィート公――」

「お待たせいたしました。ヴァース・ファウストフィートです」

 どこか慇懃な笑みを浮かべながら立ち上がって会釈をしようとした使者二人だったが、薄く微笑し、名を名乗ったヴァースを見た途端静止した。

幼い頃公爵家に来た時からきっちり礼儀作法も叩き込まれている。はっきり言って嫌いだったが、今は学んでおいて良かったと切実に思う。

(……想像以上だな)

 ほうと心の中でだけイシュタルは称賛の溜息を吐く。

声の抑揚の付け方、佇まい、表情――どれを取っても申し分ない。これが幼い頃かじっただけの人間の纏う雰囲気か。

おそらく彼には天性のものがあるのだろう。

(ヴァースは頭も悪くない。これで学んで本気になれば――)

 ぞくぞくと歓喜に近い感覚がイシュタルの背を駆ける。しかし今は目の前の事が第一だ。

「どうぞ。お掛け下さい」

「あ、ああ――はい。これは……どうも」

「……?」

 ヴァース本人に自覚は無い。狼狽した様子のまま促されぎくしゃくと座った使者達に流石に怪訝な表情になる。慌ててすぐにそれも消したが。

傍目からそうと見えなくても内心はかなり必死に取り繕っているだけなのだ。

席に着き、互いに名を名乗るとイシュタルの名前に相手の表情が明らかに強張った。シェアディールの名前はそれだけで武器になるのだ。

その動揺に微笑したまま早速イシュタルは本題を切りだした。

「さて、互いにお見合いの為に席に着いた訳ではありませんし、本日はどのようなご用件で?」

「ええ、実は――先日当国に内通者がいる事が判明いたしまして。しかもこのカラムに逃げ込んだとの情報が入っているのです。都市への捜索部隊を入れる事を許可して頂きたい」

(内通者……)

 本当かどうかはとにかくとして、それはまずいという事ぐらいはヴァースにも判る。カラムの公式な許可を得て入って来たシルギードの軍が国境ででもヒルディアと何かがあったら大問題だ。

イシュタルも勿論同じだろう、困ったような表情を造って小さく唸った。

「それは困りましたね。どんな形であれ軍人を入れるのは難しい。お判りでしょう」

「無論重々承知しております。しかしカラムにとっても他人事ではない話」

「と、言われますと?」

「どうやら奴等はファウストフィート殿の首を持ってヒルディアに向かう模様。我等は貴君とは良き関係を築きたいと思っているのですよ」

(ヒルディアに俺の首か)

 おそらくそれは自作自演だろう。ヴァースの首を狙う者がいるのは確かなのだろうが、内通者などではないに違いない。

――だがヒルディアにしろシルギードにしろ、ヴァースの首が欲しいのに違いは無いのだ。つい最近ヒルディアから直接襲われた事を思うと冷笑が込み上げてくる。

何という茶番。

「カラムに正式な軍隊が無い以上、警備をするにも万全とは言えますまい。ファウストフィート公、貴殿の身を我等の手で守らせて頂きたい」

「成程、確かにそれは他人事という訳にはいきませんね。何しろ主の命が掛っている訳ですから」

「それでは」

「しかし先程も申し上げた通り、非常に難しい問題です」

 薄く微笑し――イシュタルは続けてきっぱりと言い切った。

「お断り致します」

「な、何と――……。それでは貴君はファウストフィート公の命が失われてもいいと、そう仰るのですか!」

「そうは申しません」

「ただ己の命惜しさに民に無用な心労を掛けたくはありません。今この時に軍を受け入れる、それだけで多大な緊張を強いる事になってしまいますから」

 イシュタルに自分の命を『どうでもいい』発言させる訳にはいかずさらりとヴァースはそう割り込んだ。受け入れない建前でも勿論ある。しかし何よりも本心だった。

「……ファウストフィート公……」

「貴国の事情も良く判ります。カラムの性質上町を封鎖――等という事は出来ませんが検問ぐらいでしたら引く事は可能です。こちらが御協力できる精一杯とご理解下さい」

 しばらく使者はじっとイシュタルを見詰めて――頷いた。

「判りました。残念ではありますが……ご協力感謝いたします」

「ご理解頂けて何よりです」

「それでは我等は失礼致します。お忙しい中時間を下さり有難うございます」

「こちらこそ。道中お気を付けて」

 去っていく使者を見送って――完全に姿が見えなくなってから、はぁとヴァースは大きく息をつきどっかとソファに座り直した。

「あー、息苦しかった」

「でも空気読むの上手かったじゃないか」

 にぃと眼を細めたイシュタルがどことなく嬉しそうなのは気のせいだろうか。

「……流石に部下って事になってる奴に『領主の命はどうでもいいんで』とは言わせられないだろ」

「うん、助かった」

 笑いながら頷いてイシュタルも大きく伸びをする。

「さて、あんまり時間が無くなってきたぞ。今日中に準備してさっさとヒルディアに向かわないとな」

「? 時間が無くなった?」

「シルギードもお前の暗殺に本気になったって事さ」

 ヴァース・ファウストフィートと『良き関係』を築けなかった以上、シルギードにとってのヴァースは邪魔者でしかない。

理解できる分、ヒルディア――というよりも姉が暗殺を仕掛けて来るよりもはるかにすっきり事実を受け入れられる。

「マジか……」

「シルギードは始めから交渉なんかする気は無かったって事だな。ま、いっそストレートでいい。シルギードの内部が本当の所どうだかは判らないが素早く制圧する準備が整ったらヴァースを暗殺するつもりだ」

「暗殺って……いやそっちは判るが、制圧?」

 確かヒルディアもシルギードもまずはカラムの領主という座を得て、という形を取ろうとしていたはずだ。それが何故いきなり制圧などと話が飛ぶのか。

「暗殺の話が表で出されてきた以上乱暴な手段で来ると思っていい。ヴァースを殺したらその内通者を捕える名目でシルギードは押入って来る。力尽くでも来るだろうな。ヒルディアが反発して接触したらもう止まらないぜ。そっちのが早いのは確かだしな」

 その場合、どちらがカラムを先に占領し金品を得るかで勝敗が変わる。

「それでも一応、名目は気にすんのか……」

「今押し入ったらカラムは即行ヒルディアに付く。軍隊が着くまでには金品持ってヒルディアに逃げ込むのも難しくないし。けどヴァースが殺された直後に全権限を持ってカラムを動かせる奴はいないだろ?」

「あぁ……そうか」

「だから急いでヒルディアに行く。相手の準備が終わる前にな」

 ここまで来たらシルギードとの戦をヒルディアとの盾にしてもいい。ヒルディアが自治を侵すようならシルギードに付く。だがシルギードがカラムを侵すようならヒルディアに付く。

(……バランスゲームだな)

 しかしシルギードが焦っているのが気に掛かる。カラムの財力がヒルディアに付く事でシルギードに対する抑止力になるかどうか……

(けど今のカラムじゃ調べる手が無いし時間も無い。状況見ながらやるしかないんだ)

 まだカラムで誰が信用置けるかもイシュタルは把握していない。シアなら大丈夫だろうが、彼女は交渉事や隠密といった事には向かないだろう。

ヒルディアとの交渉も長くはかけられない。シルギードが動き出す前に終わらせなくては――

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