3―2
「結局昨日シルギードの方はお帰りになりましたし今日も何もありませんでしたけど、大丈夫なんですか?」
「ああ、大丈夫大丈夫。上手く立ち回ればカラムの立場は別に今すぐ弱気になるようなもんじゃないぜ。下手に下手に出る方がどんどん立場悪くする。昨日見て回ったけどすぐに金として出せる貯蓄だけでも結構あるな?」
昨日の内にカラムの内政は把握して来たらしい。
ヴァースは今の今まで気にもしていなかったがイシュタルの言葉は少し意外だった。何というか、もっと使い込まれている印象があったので。
「はい。不必要な嗜好品については城内の者も苦心して止めてきましたので。――それでも大分使い込まれてしまいましたけど」
義理とは言え父である。ヴァースの手前あまり悪く言いたくはないがどうしても声と顔に苦いものが混ざってしまう。実際の所ヴァース本人は全く気にしていなかったが。
「十分十分。つまりだ――ヒルディアとシルギードの間で戦争が起こった場合、カラムが付いた方が物質的に余裕が出来る。今の状況ならこっちが強気に出りゃ向こうも強くは言えないぜ」
「そうか。機嫌損ねて敵側に付かれちゃたまんねーもんな」
「そういう事。対等以上の振る舞いしたって大丈夫だよ。しないけどな」
カラムが自治を守るなら、周辺諸国との関係は考えなくてはならない。ただし『対等』は強調させてもらった――という訳だ。アポイント無しで他国の王との謁見など適うはずがない。
「……じゃあやっぱり、会う事は会うんだな……」
「心配するなって。言ったろ、お前は見栄えする。舐められる事は無いさ。な、シア」
「え――ええ、そう、ですね」
微かに頬を染め、ヴァースからやや視線を外しながらシアは頷く。
「やっぱりシルギードに付けって言われるのか?」
「それは無いな。今それやると条約違反だから。それに、シルギードは自分達が不利なのをよく知ってる。二者択一なら誰だってヒルディアを取るってな」
それが判っていて相手に選ばせるような真似をする者はいないだろう。
となれば当然、行動としては協力させるか、支配するかになる。
「昨日調べてみたが、シルギード内に特に目立った動きは無い。あんまり深い所まで探る手は持ってないし……どう言い掛かりを付けてくるかは正直その場になってみないと判らない。ま、向こうの態度からしてもこっちを舐めてるみたいだし大した用意はしてないと思うけどな」
「じゃあ使者との謁見が済んだらヒルディアへ、か?」
「そうなる」
「ヒルディアへ? ヴァース様、まさか」
ファウストフィートの名前でヴァースがカラムを渡してしまえば本当にそれで終わりだ。
「いや、自治都市は売らない。リエンに会ってくるだけだ」
「そういう意味じゃシルギードの使者が来たのは丁度良かったかもな。話漏らさないようにしないと」
リエンに会うのがシルギードへの牽制になるのと同じだ。シルギード国内に入るのを忌避していたイシュタルにとっては好都合。
「……そうだ。さっき、リンデンバウムに会った」
「っ」
息を飲み、微かにイシュタルは表情を強張らせた。その横でシアが首を傾げる。
「どなたですか?」
「この前俺を殺しに来た奴だ。それで、シェアディールの護り樹」
「な! ――……っ、ご無事、だったんですね……」
(……あ)
少しまずかったかとシアの表情にヴァースは後悔した。ヴァースが襲撃されているのに気が付かなかった事を彼女は気にしていたのだ。忘れていた。
「今日は殺気も無かったしな」
大した慰めにもならないだろうが、ヴァースは一応そう言っておく。小さくはいと答えてシアは唇を噛み締めた。
「リンデンバウムは何て」
「ヒルディアで待つ――ってさ。とりあえずお前の姉貴がヒルディアに居る事ははっきりした訳だ」
「え、待――待って下さい。シェアディール殿の姉君なら」
シェアディールがヒルヂィア、シルギードのどちらかに付いたという話自体ヴァースはシアにしていなかった。いきなり聞かされた方としてはうろたえて当然だ。
「あ、名前の方で呼んでくれ。まだシェアディールって名乗りたくないから。そう、俺の姉上――シェアディールの当主はそっちだ」
流石にシェアディールの資格を持っていない、とまでは今の状況でシアには言えないのでその辺りは適当に濁す。
「そうか……でも、ヒルディアか」
シルギードに付くよりは納得できるが、やはりまだ判らない。
(何にしろ俺もヴァースとヒルディアには行くんだ。その時姉上に会ってみればいい……)
勝手に逃げだした自分を姉は怒っているかもしれない。気分は重いが避けては通れない道。
もう一度、シェアディールとして立とうと決めたのだから。
「カラムは……自治を守れるのでしょうか」
「守れるさ」
今まで自分に言い聞かせる事で奮い立たせてきた肯定の言葉を他人から――しかもあっさりと言っていい程の口調で返って来て、シアははっと顔を上げる。
「カラムが自治を守る事がこの大陸にとって一番いい。少なくとも、今は。だから――」
(きっと姉上だって同じはずだ)
自分は姉を信じている。自分より余程優秀で、強くて、間違えないシェアディールの当主を。
だからこその不安もある。ヴァースを殺す事になるかも知れない不安。
しかしそれは心の内に押し込めた。今のヴァースやシア――カラムの生命線を担う軍師として。
「とにかく事はシルギードの使者が来てからだな。そしてヒルディアに行ってからだ」
(クソ、堅っ苦しい……)
いつもは質はいいが比較的装飾の少ない服装をしているヴァースにとって、正装は少々肩が凝るものだった。
しかしこれは仕方がない。イシュタルもきっりとした士官の格好をしている。
「俺も嫌いだから判るけど、まずは見た目な」
「判ってるよ。何も言ってねえだろ」
「顔が言ってる」
笑いながら断言された。間違っていないので舌打ちをしてそれには答えない。
「基本あんま喋んなくていいから」
「判ってる。自分からボロ出そうとは思わねえ」
頷き、私室の窓から外を眺める。丁度使者が門を潜ったのを見てしまって憂鬱な思いで眉を寄せる。
「――ヴァース様」
ややあってからシアが部屋まで呼びに来た。案内し終えたのだろう。
「よし、行くか」
「ああ」
覚悟を決めて立ち上がり、応接室へと向かう。正装が余程珍しいのか、城内の人間にまで妙に視線を止められるのが鬱陶しい。
しかしやる以上は出来る限りは演じるつもりだ。普段はあまり気に掛けない上品な足運びで応接間まで辿り着き、ノブに手を掛け――扉を開いた。