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自治区抹消  作者: SET
1章 兆し
8/37

7 ◆

 素人の考えではどこから手をつけていいかわからなかったが、美晴に提示して貰えた情報はひとまずの指針となる。ヴェルナーは、サラと一緒に訪れた火災現場近くの交番に詰めていた警察官を捕まえて、話を聞いてもらうことにした。リースの定休日である土曜日にしか動けないため、手際よく消化していかなければならない。

 しかし覚悟していたよりもずっと、話が通じない警察官を相手にすることになった。

「ですから、七月二十六日の午前二時あたりに起きた火事です。天ぷら油の不始末から出火したっていう……。その第一報に駆けつけた方に話を聞きたいだけなんです」

 応対した警察官は、いくら言っても頑として首を縦に振らない。

「ですから、こちらも何度も申し上げています。それはもう事故として片付いた案件です。被害者と何の関わりもないあなたに事故の詳細を教えるわけにはいきません」

「本当に事故ですか?」

 横目で交番の時計を確認すると、既に二十五分近くも同じ問答を繰り返している。お互いの言葉に険が混じってきた所で、ヴェルナーは訊き方を変えた。

「不審な点はひとつもなかったんですか?」

 じっと見つめて言ったヴェルナーに対して、ヴェルナーよりも幾つか年上であるだけに見える若い警察官は、眉一つ動かさずその言葉をやり過ごした。本当に知らないのだろうか。

「ないですよ。ひとつもね」

 そう言った後で、警察官はわざとらしく伸びをした。椅子から立ち上がる。

「困るんですよね。自治区長が殺されてからこのかた、通報回数は右肩上がりです。怪しい物音がすると言われて行けば猫がゴミを漁っているだけ。深夜に不審な男が徘徊しているという通報では、近所のじいさんが夜明け前の一服を楽しんでいましたね。正直、やってらんないですよ。これが日本のためになる仕事だって言うならやります。けど……」

 男がご丁寧に一瞥をくれる。ヴェルナーはその異物を見る視線を平静に受け止めた。目は逸らさない。

「まあ、そういうことなんで。帰ってください」


 交番の目の前を通る幹線道路沿いで見つけた、バスの停留所。そこから自宅近くへ向かうバスに乗り込んだ。車中では携帯電話をいじり、コルネリエに『今日はありがとうございました』とだけメールを打ち、送った。携帯電話を閉じてからは、ただ外の景色を眺める。

 ROTの自治区だからといって、全てがROT自身の管理によって運営されているわけではない。人口の割合は自治区全体の九割ほどをROTが占めているが、警察制度は日本政府の法律や協力を仰がなければ維持できないし、行政も議会も同じだ。自治区長などの要職確保は堅持されているものの、ROT以外の人間が組織の幹部に食い込むことによって軋轢(あつれき)が生じることもしばしばあった。

 自ら予防線を張って区別してしまうようで、ROTであるだとかROTでないだとか、普段はあまりそういったことは考えないようにはしている。しかし相手がそうでない場合は、やはり意識させられてしまう。今回のことも、ROTでなければ簡単に教えてもらえたのではないか、と。

 しばらくぼうっと揺られていただけで、バスは目的の停留所までヴェルナーの体を運んでくれた。料金を払う際、バスの運転手に軽く礼を言ってから降りた。

 ヴェルナーの暮らすアパートに取り立てて特徴はない。何の飾り気もない灰色の壁面に、黒谷ハイツと書かれた看板が掛けられている。自らの部屋の中にも際立った調度品はなく、アパートの外観を馬鹿にはできないが。ヴェルナーは部屋に入って床に鞄を放ると、着ていたTシャツを脱いで上半身裸になり、仰向けでベッドに倒れ込んだ。足で扇風機の電源スイッチを探って入れる。風量を中に設定した扇風機が蒸し暑い風を部屋の中にばらまき、空気を掻き回していく。

 スーツにでも着替え直して、今日のうちにもう一度行こう。詰めている人間も変わっているだろうし、軽装で行くよりもいくらかやりやすくなるはずだ。


 買った設定そのままの無機質な着信音が目覚まし代わりとなり、ヴェルナーはもう一度交番へ行く予定を諦めずに済んだ。携帯電話のディスプレイに表示された時刻は十八時を回っていたが、沈みの遅い夏の太陽が、部屋を橙色に染めていた。

 相手は、番号非通知。あまり気が進まないが、受信ボタンを押す。

「サラ?」

「うん。よく分かったね」

 サラはヴェルナーに、携帯電話の番号を決して教えようとはしない。用のある時に、自分から掛けるだけ。メールアドレスも、もちろん知らない。

「非通知で掛けてくるの、サラくらいだし」

「貴方、今日、法律事務所に行った?」

 微かな苛立ち以外は何も窺わせず、用件だけ伝える調子だ。

「行ったけど」

「そこ、もう行く必要ないから」

「どうして?」

「いいから。それと交番にも」

「それだけじゃ意味が分からないって。何で知ってる……のかは聞いてもしょうがないな。何で行ったらだめなのか、教えてくれ」

「お願い。これ以上、私の仕事を増やさないようにして」

「仕事? サラの仕事は夏休みの宿題を早めに終わらせることじゃないのか」

「つまらない冗談言わないで」

 サラはそう吐き捨てると、有無を言わさず一方的に通話を断ち切った。

 ヴェルナーは携帯電話を閉じて足元に放った。普段の彼女は、言葉足らずだが滅多なことでは怒りもしない、温厚な高校生……のはずだ。それなのに、祖父に命じられて何かをしているサラは他人と冷淡に接することが多く、途端に扱いにくくなる。

 忠告を無視して、ヴェルナーは大学の卒業式に着て以来のスーツ一式を、タンスと一体型のクローゼットから引っ張り出した。鼻をスーツに近づけ、匂いがついていないか確認する。春先にはここからジャケットを取り出したりしていたから、クローゼット内の空気は籠っていなかった。大丈夫だ。ワイシャツを着て、ズボンを履き替える。そして暑苦しい上着を羽織った。猛暑の中、さすがにワイシャツの下には何も着る気がしなかった。上着のおかげで見ているほうも気づかないだろう。洗面台で出かける準備を整え、ヴェルナーは部屋を出た。

 冷房の効いたバスの中で汗を乾かしたあと、交番近くの停留所で降りた。

 少し歩いただけで途端に汗が噴き出してきて、ポケットに入れたまましわくちゃになっていたハンカチで顔全体を拭った。交番が見えてきた所で、一旦、遠巻きに中の様子を窺った。午前中に詰めていた警察官がいたのでは、話が進まないからだ。人影は、一人だけ。よく見えないので、更に距離を詰めようとした。

「やめてって言ったよね?」

 そこで背後から苛立ち紛れに呟かれた声に驚き、足を止めた。

「この事件は弁護士の助言で解決できるほど、単純じゃない」

 振り返ると、学校指定の赤ジャージ姿のサラが、睨むようにヴェルナーを見上げていた。

「いま、動かれたら迷惑なの」

「動かなくていいなら、なんで俺に事件現場を見せたりしたんだよ」

「首を突っ込むとこうなるって言いたかっただけ。余計な手出しはしないでいい」

「サラ、いくらなんでもその言い方は」

「お願いだから黙って言うことを聞いて!」

 往来のど真ん中で、サラが叫んだ。周囲の訝る視線を受け、はっと目を瞠った彼女は、伏し目がちになった。

「矢内美晴は、貴方以外にも何人かから相談を受けてマークされてる。もう一度相談に行ったら、矢内美晴が殺される。火災現場に駆け付けた警察官も、殺される。貴方だって……」

 サラは軽い溜息で、言葉を区切った。それから、ヴェルナーの襟元へ手を伸ばす。

「突然、怒鳴ったりしてごめんなさい。でも、本当に、今はまだ動かないほうがいい。今、事件を発覚させようとしたら、相手は形振り構わず消しにかかってくるはずだから。死んで公表できなくなるより、死なずに機会を窺うほうがいいに決まってる」

 サラの手は、ヴェルナーが適当に結んでいたネクタイを緩めて、手際よく正しい結び目を作っていく。気恥ずかしかったが何もせず、サラの頭越しに、車の行き交う幹線道路をじっと見つめていた。

「はい。ネクタイくらい、ちゃんと結びなよ」

 爪の短く切り揃えられた手が、襟から離れていく。珍しく柔和な笑みを浮かべたサラに対し、礼を言った。

「本当に、心配しなくていいんだよな?」

 お前の、こと。

 ……そこまでは言えなかった。

「約束する」

 サラは言い切ると、ヴェルナーに背を向け、歩き始めた。一人で帰るつもりだろうか。

「途中まで、一緒に帰ろう。暗くなってきたし、女一人じゃ危ない」

「私はヴェルナーより強いから、平気」

「それは、そうかもしれないけど」

「……嘘。素直に送ってもらうよ。ありがとう」

 歩き続けていた彼女は立ち止まる。ヴェルナーは少し早足にその隣へ並んだ。

 サラのジャージ姿を見るのは、去年の体育祭を見に行き、家まで送って帰ったとき以来だった。並外れた運動神経を持ちながら、必ずエース級の活躍ができるはずの部活には入らず、ロルフの手伝いばかりしているため、あまり見慣れてはいない。

 停留所まで黙って歩き、時刻表を確認する。携帯電話に表示された時刻と照らし合わせると、次のバスが来るのは十分後だった。二人とも携帯電話で時間を潰すという習慣はなく、話さなければただ行き交う車を眺めてバスを待つだけ。そんな中でふと視線を感じ、サラの方を見遣った。

「ごめんね、いつも非通知で」

「ああ……何か理由が?」

「ヴェルナーが疑問に思ってそうなことをまとめて説明するとね。非通知なのはおじいさんから言われているから。ジャージを着ているのはただの子供と、思われやすいように。ここに居たのは、交番の前で張っていれば、相談を未然に防げるから。最後のだけが、自分で決めた行動」

 いつも言葉の足りないサラにしては、しっかりと説明ができている。必要以上に喋るところを久しぶりに見た気がして、何か話そうと口を開きかけたが、十分後に来るはずのバスが、減速しながら目の前に滑りこんできた。

 サラは先にステップを上がって整理券を取り、後ろから二番目の空席に乗り込む。続いたヴェルナーがサラの前の席に座ろうとすると、彼女は自らの隣を手で軽く叩いた。

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