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自治区抹消  作者: SET
1章 兆し
14/37

幕間

 ヴェルナーの育ての親――伯父のホルスト・リースが現れたのは、店を閉めて少し経った、夜九時を過ぎた所だった。自立してホルストの家を出て行った後も、ときどき電話で近況を伝えあい、新年や盆などには会っていたものの、この騒動が始まってからは一度も連絡を取っていなかった。ホルストは、ヴェルナーが食器を片付けて調理室から出ると、カウンター席の近くに立っていた。驚いて立ちすくんでいると、近づいてきたホルストに軽く抱き寄せられ、二度ほど背中を叩かれた。ホルストはヴェルナーから体を離すと、店の掃除をしていたコルネリエにも、同じことをやった。ヴェルナーがやっても様にはならないだろうが、ホルストがやると、いちいち格好がついている。

「父さん、久しぶり」

「ああ。変わりなかったか。コルネリエ、お前は少し老けたな」

「ホルストも、髪がやせ細ってきてますよ」

 ホルストがコルネリエにヴェルナーの幼い頃の世話を頼んでいた関係からか、二人は気心が知れた仲だ。コルネリエは掃除をやめ、カウンターの内側の、いつもの席に座る。それからホルストにカウンター席を勧めた。ヴェルナーはホルストからひとつ開けた席に座った。

「私がちょっと外に出ている間に、大変なことになっていたみたいだな、自治区は?」

「ええ、色々と……」

「外に出てたって、何?」

「ああ。長期休暇を取って、ドイツに行っていた。調べたいことがあったんでな」

「話が長くなりそうなら、飲み物出しましょうか? お金は払ってもらいますけど」

「そうするよ。いくらだ?」

「二百円」

 告げられた通りの値段を、ホルストは財布から取り出し、カウンターに置く。コルネリエはレジを打ってから、アイスコーヒーを作りに調理室へ消えた。

「ドイツには何しに行ってたの?」

 観光旅行でもしていたのだろう。気楽な気持ちで訊くと、ホルストは安らいだ笑みを打ち消した。

「ヴェルナー。今日は大事な話をしに来た」

 突然、視線と視線をしっかりと合わせ、目に力を入れたホルストに、ヴェルナーは当惑した。

「自治区を出よう。コルネリエも、サラも、とにかくお前の知り合いという知り合い全員と一緒に」

「え?」

 ホルストが長い両手を伸ばしてきて、ヴェルナーの両肩を掴んだ。

「とにかく、出るしかないんだ。直に自治区は人の住む所じゃなくなる」

 目と目を合わせて言った後、ホルストはすぐに肩から手を離した。

「何、言い出すんだよ」

 コルネリエが慰謝料を使って建てたこの喫茶店はまだ健在で、サラもこの事件が終わるまではここにいるだろう。自分だけ、自治区を離れるつもりはない。

「ドイツに行ったのは、もちろん観光のためではない」

「……なら、何のため?」

「昔話に登場する、ある一族を調べてきた」

「さっきから父さん、話に一貫性がないよ」

「ロルフから、昔話を聞いたことがあるか?」

 ホルストがそう言った所で、三つのグラスを器用に抱えたコルネリエが調理室から戻ってきた。ホルストのアイスコーヒーと、ヴェルナーの水、自分用の水。それらをカウンターへ載せる。コルネリエもカウンターの内側へ座り直し、ホルストの言葉に耳を傾け始めた。

「どの昔話かは分からないけど、たぶん、ない」

「それなら、順を追って話をしよう。消滅したROT共和国は、ドイツの南西にあった。それは知っているな?」

 話の意図が分からないまま、頷いておいた。

「ROTはもともとモンゴル高原の辺りの出身らしいが、フン族などの強力な遊牧民族に圧され、ゴート族などと共にヨーロッパへ逃げ延びていった民族だ。一緒に逃げ延びたことが連帯感でも生んだのか、ゴート族はROTを攻撃することはなかった。しかし近代国家が生まれ、領土や国境といったものが重要性を帯びてくると、ドイツとスイスの間に挟まれていたROT共和国は、ドイツに領土を狙われるようになった」

 自分も民族教育は受けているから、それくらいのことは、知っている。冗長になりそうな話だが、なぜわざわざそんな講釈を始めたのか分からない以上は、黙って聞くしかない。

「うん。そこまでは、知ってる」

「大事なのはここからだ。マルセル・フォン・グレーナーという名前に、聞き覚えは?」

「ない、かな……」

「彼はドイツの侵攻軍において、部隊の中核を担った将軍らしい。思い込みの激しい民族優位性論者で、無抵抗のROT市民の虐殺に一役も二役も買った人物だったという話がある」

「その人、今回の事件と関係が?」

「グレーナーの一族は、ROTとの小競り合いで当主が死亡した経験を持つ一族だ。それからは代々洗脳に近い愛国教育を受け、ROTへの憎悪を確固たるものにしてきた。ROT共和国への侵攻が始まった時、グレーナーは、ROTごときに敗れ去った一族の不名誉を晴らす時が来たと、大張り切りだったんだろう。多数の兵士を率いる司令官であるにもかかわらず、前線にまで足を運んで指示を送っていた。そこを狙ったのが、ティナ・リース」

「ティナって確か、俺の曾祖母の……お姉さん、でしたっけ?」

「ああ」

 ますます話が、掴めない。グレーナーの一族と曾祖母の姉と今の自治区の状況、どこがどう繋がるのだろう。

「そうだ。話を始める前に、言っておこう。実はお前の名前についてなんだが、俺の妹……お前の母親の反対を押し切って、お前の父親が決めたものだったらしいんだ。お前の母親にずっと口止めされていたから言ってなかったが。お前の名前は、ティナ・リースが乗っていた、軍馬の名前から取ったらしい」

「は? 馬?」

 裏返り気味の声で訊き返すと、ホルストが、少しだけ頬を緩めた。

「話に、入ろう」

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