告白の訳し方
「月が綺麗ですね」
「ッ!?」
「って言葉があるじゃない?」
隣の少女から投げかけられた言葉に、思わず俺は瞠目してしまう。
思わせぶりな言い方をしてきたのはそっちだろうというのに、少女は楽しげな表情を浮かべながらに「ねえねえ、なにをびっくりしたの?」と、わかりきったことを聞きながらにニシシと笑う。……くそ、うまくからかわれた。
その顔が整っているのだから、妙にムカつく。
夜の高校。その庭園。この時点で中々に非日常ではあるのだけれども。
加えて、彼女のその格好。銀糸のように綺麗な髪と、それをよく引き立てる青のドレス。
……まあ、実際のところは俺も相応の格好をしているのだけれども。
俺たちの通う学校は、いわゆるそういう学校で。おかげさまで所作やらなんやらを身につけるためのマナーの授業がある。
それで、今回の授業内容はというと夜会であるとか社交界であるとか、そういう場における立ち居振る舞いの練習というわけである。
まあ、特段平凡な人間としては、それなりに参加をしつつ場をいなしていれば、夜間の開催ということもあり翌日の授業がなくなってくれるのでおありがたい話ではあるのだが。この見目のいい幼馴染はたくさんの人からお誘いをされていた。さすがというか、なんというか。
それを勝手に受けていればいいだろう彼女が、それなのにこちらに振ってこようとするのだから、適度にサボろうとしていた人間からしてみると、周りからの視線が痛い痛い。男性諸君からは敵視に近いものを振り撒かれていたし。
まあ、彼らの気持ちもわかるが。動く努力をしていないお前がなぜ、というね。俺としても君たちが優先されるべくは道理だと思うよ。イカれてるのがそこの幼馴染なだけであって。
息の詰まりそうな空気に少しだけ堅苦しくなって。こっそり抜け出してきて来た、というわけである。
俺たちの姿を、月だけが優しい顔で見下ろしている。
「まあ、君がどんなことを想像したのかについては追々聞くとして。月が綺麗ですねって言葉がI love you.として使われることがあるじゃない?」
「お前、わかっててさっき言っただろ」
「さあ、なんのことかな?」
コロコロと喉を鳴らす彼女。じゃああの一瞬の間はなんだったんだ。絶対意図してのものだろう。
「夏目漱石がそう意訳したとかで有名な言葉だけどさ。いや、実際は漱石が訳したわけじゃなくて。……この話はややこしいから横に置いておこうか」
「勝手に話し始めた上に勝手に混乱して勝手に話を畳むんじゃない。ついていけてないこっちの身にもなってくれ」
「まあまあ、とにもかくにも話したいことは、我君を愛すという直接的な方法ではなく、月が綺麗ですねという迂遠な言い方で漱石ならば表現をするだろう、というようなお話なんだけどさ。正直なところ、今の御時世だと意味を理解しているか全く以て伝わらないかのどちらかになってしまっているから、見方によっては意図が破綻してしまっているんだよね」
「その点については時代の変遷や情報の加速化なんかもあるだろうし、漱石は悪くないだろう。というか、そもそも漱石が言ったわけじゃないが」
……本当にややこしいな、この話。
「それに、伝わらないというのも無理な話ではない。そもそも月が綺麗ですねという言葉自体が漱石の時代から慣習的に愛を伝える意味合いを持っていたかというとそういうわけではなくて、そういうことを言い合えるような関係性であればすなわちそれは愛を伝えているのと同じようなものであろうというような考え方だろうし。……今となってはなぜかむしろ直接的な言い方になってしまっているが」
「そう。そこなんだよ」
俺の言葉に、彼女がフィンガースナップとともに反応をする。
いや、どこなんだよ。
「月が綺麗ですね、ということを直接に言い合えるような間柄であれば、即ち愛しているということを伝えているのと同じである、とするならば。似たようなコンセプトでも同様に言えるんじゃないかなって思って」
「例えば?」
「このドレス、似合ってる? とか」
彼女はそう言うと、ツッカッカッと靴音を鳴らしながらに三歩前に出るとくるりと振り返ってみせる。
月に照らされたその姿は、まるで美術品のようで。
「いや、さっきまで大量の人間にドレス姿を見せていた時点で、そこまで特別性のある質問ではないんじゃないか?」
「……君という人間は、相変わらずだねえ」
「なんだ、貶されたのか? 俺は」
俺の言葉に、彼女は「そうとも言えるし、そうじゃないとも言える」と、曖昧な答えが返ってくる。
どっちなんだ。……まあ、正直どっちでもいいんだが。
「それでいうと、君が言ってくれた、パーティを抜け出して休憩しないか? というような言葉のほうがより相応しいかな? いやはや、私がたくさんの人に対応しているのを見て嫉妬しちゃった? それとも私が疲れているのを見抜いて――」
「うるさい、飴でも舐めて黙ってろ」
ぺらぺらと人の心情を掘り起こそうとしてくる悪い口に、棒付きのキャンディを突っ込む。
やはり、彼女を黙らせるには飴に限る。
「全く、君という人は相変わらず雑だなあ」
「もう一本突っ込まれたいか?」
もはや常套の対処法になっているから、鞄の中には用意がたくさんある。
それを知ってか、彼女も「いや、いいよ」と諦めた様子を見せる。
ドレスに棒付きキャンディという中々にミスマッチな様相だが、彼女はどこか嬉しげな表情をしつつ、カラコロと口の中で飴を動かしていた。
「やっぱり美味しいね、飴は」
「そうなのか」
「鞄の中に男子高校生にそぐわないほどの飴を入れているくせにそんなことを言うんだね」
事実ではあるが、実情としてそこのうるさい幼馴染を黙らせるための手段であって、俺が食べるためのものじゃないからな。
「ふぅん。こんなにおいしいのに」
「お気に召してもらえたようでよかったよ」
「ああ、そうだ。それで、少しばかり話は戻るけど。結局のところ、月が綺麗ですねって言葉が愛してるって言葉になるのは、それを言い合うだけの関係性であるということが大切なわけでしょう?」
口の中から小気味の好い音を立てながらに彼女はそう言う。……もう少しサイズの大きな飴を買っておくべきだったか。
「ということはさ。ある意味では、自分が好いと思ったものを共有したいという感情も、それと同じようなものだと思わない?」
「まあ、一理はあるな」
「だよね」
そう言うと、彼女はニィッとなにかを企むような表情を見せながらに。
ツッカッカッ、と。こちらに一気に距離を詰めてきて。
「この飴、おいしいよ? ってのも。ある意味、そういう意味だと言えるんじゃないかな?」
そう言いながら、彼女は俺の口の中に、飴を突っ込んでくる。
じんわりと広がってくる甘味。その下からやってくるほのかな酸味。
「……だとしても、風情がないだろ」
「ははっ、それはそうかもね」
でも、いいものでしょう? と。彼女は小さく笑ってみせた。
本当に、相変わらず顔がいい。こんな場面でもとても絵になってやがる。
誰かに見られていたら、面倒なものだが。お生憎様に、覗き見ているのはお月様だけ。
優しい光は、秘密をそっと隠してくれるだろう。
「月が綺麗だな」
「そうだね。君とならいつまででも見ていられるよ」




