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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

塹壕の中

作者: 一匹狼
掲載日:2026/06/02

 滲む汗、ふらつく体。

 塹壕では泥だらけの兵士が鬼の形相で銃を震える手で強く握っていた。

 すると、隣にいた兵士が口角を上げて急に立ち上がった。

「あぁ……もうどうでもいいや」

「おい!指揮に従え!」

 指揮官の言葉は聞きもせず、塹壕から身を乗り出し、敵陣に向かって走り出した。

 その瞬間、血が塹壕まで飛んできた。

 彼の最期は誰も見えなかった。誰も見ることができないことを、彼自身が証明した。

 みんな怖気ずいて身動きが取れなかった。

 自分も同じだった。

 でも生きて帰る。そう妻に約束した。

 なるべく死ぬリスクを回避するために、極力行動するのを抑えた。

 だがもうここまで来てしまった。

 戦争の最前線。

 恐怖が塹壕を支配していた。

「いいか。これ以上無駄な死は避けるんだ」

 指揮官は俺らを落ち着かせたいのだろう。

 でも、みんなそんなの聞いていない。

「もうおわりだ……帰りたい……」

 みんなそう思っている。でもその時は来るのだろうか。

 その時、後方の塹壕から煙が上がる。

 塹壕内がざわつく。

「もしかしたら帰れるのかもしれないぞ」「後方が壊滅したのか?」「休戦協定を結んだんだよ!」

 指揮官はその場に立ち、赤い旗を揚げる。

「全員、突撃準備ィ!」

 みんなの顔が青くなる。

「旗を振り下ろしたら総攻撃だ!」

「そんなの従う――」

 彼を打ち抜く銃声が鳴り響くことはなく、他の銃声にかき消された。

 そいつは頭を打ち抜かれた。

 振り返った先には指揮官が小銃を持ち、佇んでいた。

「いいか、これは命令だ。従わなくて死ぬのと、国の名誉で死ぬ、どっちがいいか?」

 俺はここで死ぬんだ。そう実感した。

 ごめん。俺は約束を守れそうにない。

 指揮官が旗を揚げる。

「全員、突撃ィィ!」

 指揮官が旗を降ろし、みんな突っ込んでいった。

 でも俺は動かなかった。

 足が、動くことを拒否していた。

 みんなの唸り声が聞こえた。

 指揮官が俺を見る。

 塹壕には俺と指揮官、二人だった。

 早くいかなくちゃ。

 俺も兵士だ。

 それでも俺は動かなかった。

 頭がそう考えていても、体は動かなかった。

「おい、そこのお前!お前も突撃し――」

 その瞬間、無数の銃弾が頭上を通り抜ける。

 機関銃の音が戦場を支配した。

 しかも敵陣からだけじゃなかった。双方から銃弾が飛び交った。

 仲間の声が聞こえたが、それはもう絶えてしまった。

 そして血はこちらには飛んでこなかった。

「嘘……だろ」

 指揮官も言葉を失っていた。

 俺は強く手を握った。

 体を止めていたエネルギーは怒りと喪失感へと変換されていた。

「人間は消耗品じゃない……!」

 でも俺は何もできなかった。ただ歯を食いしばって仲間が死ぬのをただ待っている事しかできなかった。

 そして塹壕の上ではずっと銃弾が飛び交っていた。

 

 しばらくして、ある程度銃声は収まった。

 忘れ去られ、誰もいないはずの塹壕に俺と指揮官の二人だけが存在していた。

「くそっ。通信をしたいところだが、俺らは本来死んでいるはずの兵士だからできない……」

「……後方のやつらは俺らも殺す気でいました。きっと突撃していたら、流れ弾、いや消耗品として殺されるところだった」

「確かにそうだが、これからどうする。出ようにも出られない」

 俺は黙っていた。黙ることくらいしか今はできない。

「俺らは仲間を裏切ったんだ。後方のやつらと俺らは同じなんだ。」

 その時、地上から兵士が降りてきた。

「タス……ケて……」

 その兵士は右足をなくしていて、体も弾丸がかすれた跡が何か所かあった。

「大丈夫か!」

 俺らは駆け付けた。

「あ、あぁ……」

 俺らは残されていた医療箱で止血をした。

「助かった……ありがとう」

 どういたしましてなんて言えなかった。

 俺らもあっち側なのだから。

「……俺らは裏切られたのか?」

 負傷した兵士が問いかける。

「…………」

「なんで俺らを撃ったんだ?」

 胸ぐらを掴まれた。彼は家族を殺された時のような眼差しで俺を見ていた。

「お前らが撃ったんだろう!」

 少し間を空けて指揮官が言う。

「俺らは撃っていない。だがお前らを裏切ったことには変わりない――」

 俺らは無力だった。

 人のことを言えない。

 こんなことになるくらいだったら、死んだほうがよかったのかもしれない。

 消耗品として死ぬか、みんなを裏切り、一生罪を背負うか。

 俺の体は罪を背うことを選んだ。

 ――認めたくはなかった。


 前線は動く気配はなく、罪の塹壕では三人だけが座っていた。

 一日、一日と日々は過ぎ去っていった。

 残った食料と水を三人で分け合い、なんとかして生き延びていた。

 負傷した兵士、フォルトが言う。

「なあ、俺らここで死ぬのか?」

 通信は壊れていた。何も発信できないし、何も受信できない。

 指揮官が空を見上げていた。

「じゃあ頭を出してみるか?」

「……」

 俺はもうあきらめていた。これが報いなんだと自分に言い聞かせていた。

 フォルトが言う。

「お前は確か、リグだったよな」

 自分の名前が呼ばれたことだけはわかった。

「平気かよ、お前」

 全く頭に入ってこなかった。

「おーい、聞こえてるのか」

 フォルトは眉をひそめ、しゃべるのをやめた。

 ずっと考えていた。

 俺は生きている限りこの罪を背負うことになる。

 俺も裏切り者。

 ここで俺が後方に行って、こいつらが残ってるって伝えに行くのはどうだろうか。

 もし死んだとしても、これで罪が償えるじゃないか。

 いい案じゃないか。

「……じゃあいってくる」

 塹壕から出ようとし、頭を出したとき、銃弾が頭をかすった。

 指揮官が俺の足を掴み、塹壕に引き寄せる。

「もうやめてくれ」

 指揮官は怒っているようにも見えたが、悲しんでいるようにも見えた。

 俺は膝から崩れ落ちた。

 フォルトが這いつくばって、俺に話しかけてきた。

「……お前は生きるんだ。死んだ仲間の分もな。生きることが、一番の罪を償う方法かもしれない」

「本当にいいのか?」

「死んでもらっては、罪は償えない」

 みんなの分も生きないと。

 そう決めた。

 俺はあの時、家族の存在さえ忘れ、罪のことしか考えていなかった。

 そう俺は振り返った。


 その時、敵陣のほうから動きがあった。

 一斉に敵が向かってきたらしい。

 銃声が激化する。

「やめてくれ……これ以上……」

 指揮官は前見た小銃で味方を殺すような人間ではなくなっていた。

 鳴り響く機関銃。そして兵士の叫び。

 俺らはその中間で、息をひそめていた。

 そして突然、銃が飛んできた。

 多分、塹壕前で死んでしまったのだろう。

 しかし次の瞬間、人が塹壕に飛び降りてきた。

 フォルトが銃を向ける。

 軍服をみてすぐわかった。そいつは敵兵だった。

 敵兵は両手を上げる。

「撃たないでくれ!」

 フォルトが詰め寄る。

「黙れ!」

 敵兵は胸のポケットから、写真を取り出す。

「僕は学生です!家族がいるんです!お願いします!」

 フォルトが銃を下ろす。

 その瞬間、敵兵はもう1つの胸のポケットから小銃を取り出し、フォルトを撃った。

 俺は無意識にナイフを取り出し、敵兵のもとへ突っ走った。

「やめろおぉ!」

 俺のナイフは彼を刺した。

 彼はその場に倒れた。

「…………馬鹿め……最初に胸のポケットに手を突っ込んだ時に打てばよかったものを……」

 彼は続け言った。

「この戦争は終わらない……永年戦争だ……我が国に栄光あれ……」

 俺は彼を刺した。

 何度も。

 何も残らないとわかっているのに。

 指揮官はただそれを見ていた。

 

 写真を見ると父と母とさっきの敵兵らしき人物が映っていた。

 俺はその血の付いた写真を塹壕の泥の中に埋め込んだ。

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