カエリのお守り
酔宵祭の鐘が鳴っている。提灯がずらりと並んで神社へ向かう道を照らしている。そこを行くのは獣か、妖怪か、それとも何者か。
トオリは行く者の間を縫って尻尾をパタパタさせながら歩いていきます。いや、ちょっと小走りかも知れません。ポシェットを一つ身につけて、小さな手でそれをポンと叩く。
今夜は酔宵祭だからとトオリの母親がポシェットにお金を入れてくれていました。トオリは立ち止まってポシェットを眺めては口元を緩ませます。ポシェットには硬貨が数枚と安全に帰れるようにとお守りが一つ。
酔宵祭は酒の好きな神様が神社に集まって酒を飲むお祭りです。
神様と言ってもおまつりされているのでなく、今を生きる神様たちが神社に集って各地の酒をふるまいあうという話だそうです。色んな形をした神様たちはとても仲がよく、それを見に来る客たちにも色々と祝福を分けてくれるのでそれじゃあと大きな祭りになったそうです。
トオリはこの町に来たのは少し前で、このような祭りは初めてでした。色んな者たちが着飾って歩いていたり、美味しいものを口にしているのが楽しいものでした。
トオリは飴細工屋で綺麗な鳥の飴を買いました。白と青と赤と緑の羽根が美しい鳥です。壊れないように包んでもらい手提げにいれてもらいます。
次は神様の宴会場へと向かいます。この辺りになると皆酒を飲み楽しそうに酔っ払っていて、手提げを人ごみで引っ掛けないように両手で抱えて歩いていきます。石段の上のほうでお囃子が聞こえてくる。トオリはごくっと唾を飲んで慎重に上がっていきました。
石段の頂上からは砂地が広がり、色とりどりの提灯が風もないのに揺れています。お囃子の笛が重なり空気中をかけているようでした。
トオリは少し怖い気がしたけれど両手に持った袋をぎゅっと抱きかかえて、見たことのないような色の着物の隙間を抜けてゆきます。この先にある社で買いたいものがあったからです。社では爪の長い獣が客の注文に応えています。トオリも行列の一番後ろに並ぶと順番を待ちました。
あまり待つこともなくトオリの番になり、長い爪がカッカッと板を鳴らして大きな黄緑色の目がトオリを覗き込みました。
「やあ、ぼっちゃん。何が欲しいのかな?」
「はい、体が元気になる薬が欲しいです」
「ふうん、体が元気になる薬。大きい袋は硬貨が五つ、中くらいのは三つ、小さいのは一つだ」
トオリはポシェットを探って硬貨を取り出すと、手の中でいち、にい、さん、と数えてから「じゃあ中くらいのをください」と硬貨を差し出しました。
長い爪は硬貨を数えて、刺繍の綺麗な赤い袋を差し出し、「はい、これが中くらい」「ありがとうございます」トオリは受け取ると頭を下げて社からまた色とりどりの着物の中を縫って歩いていきました。
右手側には三味線を鳴らしている大きな獣の神様が楽しそうに歌っています。
トオリは足を止めましたが、多くの着物の壁が目の前に立ってほんの少ししか見えません。隙間から楽しそうな様子を見つめて、ふふっと笑うと登ってきた石段のほうへ向かいます。
石段をゆっくりと降りて、一番下へたどり着いたときそこに座る赤い目の老婆がトオリを見て言いました。
「やあやあ、ぼっちゃん。こんなところへ一人っきりで来るなんてね」
「え?一人で来てはだめだったのですか?」トオリがドキリとしてとまどうと「まあね、この祭りは誰でも来ていいさ。でも酒飲みがようさん来るからぼっちゃんのような子供は一人っきりで来たら危ないね」
「そうか……ごめんなさい」
老婆は意地悪そうに笑います。
「あっはっは、ぼっちゃんはいい子だね。それじゃあこの婆がまじないをしてやろう。ここから一人っきりで帰る子はいつだって神様に食われてしまうからね」
「神様に食べられるんですか?」
「そうだ、頭からバリバリ食われてしまうよ。ほら、ごらん。坊ちゃんのほかに一人っきりで祭りに来た子がいるかい?」
トオリは老婆の指差すほうを見渡しました。祭りにきた子供たちは皆誰かと手を繋いでいます。
「ほうら、そのとおりだろう?さてまじないをしてやるかわりに婆になにかをおくれ。それを代わりにしてやる。ぼっちゃんのもっているものでいいよ」
トオリは手に持っていたものを見ました。
「この飴はお母さんとお父さんと一緒に食べるものです」
「ふうん」
「このお薬は船でお仕事に行くお父さんのために買ったんです」
「ほう」
老婆は指を丸めて笑う。
「硬貨でもいいよ」
トオリはポシェットを見ましたがお守りしか入っていません。
「ごめんなさい、硬貨はありません」
トオリは少し怖くなって唇を噛みしめると涙が溢れてきました。家に帰るまでに神様に捕まったら食べられてしまう。
老婆はトオリの顔を覗き込むと困った顔で笑いました。
「ううん、困ったね。ぼっちゃんの持ち物でないとまじないは効果がない。ん?ポシェットに何かあるね?」
トオリのポシェットからお守りを取り出すと、老婆はああ~と何か苦いものでも入れたような顔をしました。
「お守りか、これでもいいがお母さんのまじないがかかってるね」
涙を両手で拭きながらトオリは頷きました。
「お母さんがちゃんと帰ってこれるようにって持たせてくれたんです」
「ふうん、そうか。じゃあ、このお守りの紐だけもらおう」
老婆はお守りの先についていた紐を取ると、なにやらぶつぶつ唱え始めました。シワシワの両手の中が光って、中から小さな動物がキイッとなきました。
「これでいい。随分と小さいがなんとかなるだろう」
トオリの手の中でキュッと小さな丸い瞳がぱちりとまばたきをして、くるりと回転します。
「ありがとうございます」
トオリは胸に抱えると深くお辞儀をした。
「いいさ、坊ちゃんがちゃんと帰れるようにその生き物を持っているんだよ。神様が坊ちゃんを食おうとしたなら、それを見せるといい」
トオリははい、と頷くと神社の入り口へ走り出しました。
社のほうは明るくにぎわっているのに入り口付近はがらんとして静かでした。ポシェットの中に生き物をそっと入れてあげて両手で飴の袋を抱えます。
電灯がぼんやりと道路を照らしていて、来たときよりもあたりが暗く星が満ちている美しい空が降ってきそうでした。
「お家に帰れますように」
トオリはごくりと息を飲み込んで歩き出しました。ドキドキと心臓が大きな音を立てています。一人で来ちゃ行けないと言った老婆の声がまだ聞こえている気がします。息が早くなって足も少しづつ走り出します、でも時々もつれるように引っかかってトオリは足元を眺めながら歩きました。まっすぐの道を行って曲がって少し行けばもうすぐトオリのお家です。曲がり角が見えてトオリが息を大きく吐くと、後ろのほうでじゃりじゃり歩く音がしました。
トオリは歩きながらちらりと後ろを振り返りました。電柱の後ろに大きな黒い影が潜んでいるように見えます。けれど見間違いかも知れない、そう思ってまた早足で歩き出しました。じゃりじゃり、じゃりじゃり。トオリの足音とは違う音が後ろでしています。両手で飴の袋を握り締めて早くなっていく足に走るよう願います。あともう少し、遠くない道のりが遠く感じてきます。
涙を我慢していたのについにポロポロ零れてきました。トオリの足音とずれて聞こえる音が少しづつ早くなってきます。怖くなってトオリの足が止まったとき、トオリの耳元にはあーと生暖かい息がかかり
真っ黒で大きな爪が頬を引っかきました。ぴりっとした痛みに目をぎゅっと瞑ります。
「祭りの日に子供が一人でおでかけかい?」
後ろから前へと声がやってきます。トオリは瞑っていた目をゆっくり開きました。大きな黒い足に大きな体、長い手に真っ赤な目がぎょろぎょろこちらを見ています。
「子供が一人でおでかけかい?おでかけ、一人で、子供、美味しい、美味しい」
大きな口からよだれがポタポタ流れて、トオリは足から力が抜けて座り込んでしまいました。
「ああ、美味しい、美味しい、どこから食べる?手?頭?足?」
よだれが滝のようにダラダラ流れてきます。トオリは怖くて目をぎゅっと閉じてしまいました。これから食べられるんだと思うと怖くて仕方がなかったのです。そのときチクリと指が痛みました。目を開けるとポシェットから小さな動物がキイキイ鳴いて出てきます。もう一度噛み付いてトオリの手が痛みに弾かれると同時に小さな動物が宙を舞いました。くるくるっと回ってトオリの前に着地すると大きな声でキイと鳴き、黒いバケモノの足元をちょろちょろ走りまわります。黒いバケモノは小さな動物に気をとられ、どこかトオリのことは忘れているようでした。トオリは頑張って立ち上がると家への道を走りだしました。足がもつれてうまく走れません、でも一生懸命走ります。
怖くて怖くて後ろが振り向けません。小さな動物の鳴き声が大きく響いて消えました。もう少しと足を走らせて曲がり角まで来たとき、少し向こうにトオリの母親が見えました。
「トオリ、お帰りなさい」
微笑んで手を振ってくれる母親にトオリは手を伸ばし、背中に大きな痛みを感じながらも「お母さん」と腕の中に飛び込みました。母親はトオリを見て青い顔になり抱き上げます。トオリは少しホッとして目を閉じました。
暖かなベットの中トオリは目覚めました。父親と母親がじっと見つめています。
「お父さん、お母さん」
母親は泣きながらトオリを抱きしめました。
「ごめんなさい、怖い目にあわせてしまったわ」
「大丈夫だよ、お母さん。僕は大丈夫だよ」
父親はトオリの頭をなでながら優しく微笑みました。
「ああ、そうだね。ちゃんと帰ってこれたのだから」
トオリはうなづくと母親をぎゅっと抱きしめました。
朝が来てベットから降りるとトオリはころんと転んでしまいました。おしりを触ると尻尾がありません。ふらふらしながら歩き、仕事へ行く父親に薬を渡し見送りました。そして昼頃になると母親は神社へ行きましょうと言いました。トオリは手を繋いで昨日怖かった道をもう一度歩いていきます。
「今日は良いお天気だね、明るいから怖くないよ。お母さんも怖くない?」
「ええ、トオリと一緒だから怖くないわ。手を繋いでいるもの」
トオリはふふっと笑って、繋いだ手を引きました。神社の鳥居をくぐって階段を上がります。おまつりされている神様に手を合わせてから広々とした神社の中を見渡します。少し暗がりに昨日の老婆が小さくなって座っていました。トオリは母親の手を引いて老婆の前に来るとお礼を言いました。
「昨日はまじないをしてくれてありがとうございました」
老婆は細目を開けると頷いて笑います。
「やあ、坊ちゃん。今日はお母さんと一緒だね。あれは役に立ったかい?」
「はい、助けてくれました。でもかわいそうでした」
トオリの横で聞いていた母親は頭を下げてお礼を言うと、昨日トオリの持っていたお守りを老婆に渡しました。
「おや、坊ちゃんのお守りだね。頂けるなんてね、ありがとう」
老婆は目を大きく開くと真っ赤な目でそれを見つめました。体はぶるぶると震え指先は黒い爪が大きく生えて変わってゆきます。トオリはそれを見て母親の手をぎゅっと握りました。母親はもう一度頭を下げるとトオリの手を引いて神社の階段を降りました。
鳥居をくぐってトオリは母親を見上げました。
「お母さん」そういいかけてやめると母親がトオリを抱き上げました。
「あのお守りは昨日お母さんがトオリのために無事にお家に帰ってくるようにと願いをこめて作ったの。そして今日はトオリを助けてくれたあのお婆さんが無事にかえれるように願いをこめてまじないをしたの」
「かえれるように?」
「そうよ」
トオリはよくわからなかったけれど頷くと母親をぎゅっと抱きしめました。




