第9話 シナリオの崩壊
王宮の大広間は、異様な熱気に包まれていた。
卒業パーティーという華やかな場。
しかし、その空気は一瞬にして凍りついた。
壇上に立った王太子ジュリアン様が、楽団に演奏の中止を命じたからだ。
シン、と静まり返る会場。
ジュリアン様は、隣にリナ嬢を侍らせ、会場の中央にいる私を指差した。
「アリア・ローズブレイド! 前へ出よ!」
よく通る声だ。
私は隣に立つエリアスと視線を交わした。
彼は「やれやれ」といった様子で肩をすくめる。
予定通り。
私は鉄紺色のドレスの裾を翻し、優雅な足取りで進み出た。
衆人環視の真ん中へ。
かつての私なら震えていただろうその場所に、今は絶対的な安心感がある。
背後に、彼がいるからだ。
「御用でしょうか、殿下」
「とぼけるな! 貴様の悪行、もはや看過できん! ここで全ての罪を暴き、断罪してくれる!」
ジュリアン様が声を張り上げる。
周囲の貴族たちがざわめく。
リナ嬢は、か弱き被害者を演じるように、ジュリアン様の背中に隠れて私を睨んでいる。その目は「ざまぁみろ」と笑っていた。
「罪、ですか。具体的におっしゃっていただけますか?」
私は胸元のブローチにそっと触れ、魔力を流した。
『音声凍結』起動。
ここからの会話は全て、改ざん不可能な証拠として結晶化される。
「ふん、しらばっくれても無駄だ! 第一に、リナへの執拗な嫌がらせ! 教科書を切り裂き、階段から突き落とそうとし、暴言を吐いた!」
「第二に、先日の旧校舎での爆発事故! あれは貴様がリナを陥れるために仕組んだ罠だという証言がある!」
「よって、アリア・ローズブレイド! 貴様との婚約を破棄し、国外追放を命じる!」
高らかな宣言。
リナ嬢が恍惚とした表情を浮かべる。
ゲームのシナリオ通りのクライマックスだ。
しかし、現実はゲームではない。
私は扇を閉じた。パチン、と乾いた音が響く。
「異議があります」
「なに?」
「その告発には、客観的な証拠が欠落しています」
私は一歩、前へ出た。
「まず第一の嫌がらせについて。いつ、どこで行われたのですか?」
「日時は……先月の五日、放課後だ! 貴様がリナを中庭で罵倒したのを、多くの生徒が見ている!」
ジュリアン様が合図をすると、仕込まれた数名の生徒が「見ました」「ひどい言葉でした」と声を上げた。
偽証だ。
私はエリアスを振り返った。
彼は懐から一枚の書類を取り出し、気怠げに読み上げた。
「先月五日の放課後、16時00分から18時00分。アリア嬢は俺の研究室で、魔力伝導率の実験を行っていた。これがその時の実験ログと、使用した魔石の残量記録だ」
「なっ……」
「さらに言えば、その時間、リナ嬢は王都のカフェ『白鳥の亭』にいた。……これが空間転移ゲートの利用記録と、店発行の領収書だ。パンケーキを三つも食べていたようだが?」
エリアスが指先で空中に図面を投影する。
光の文字が、リナ嬢のアリバイ(というより、いじめられることが不可能であった事実)を冷酷に映し出す。
会場から失笑が漏れた。
パンケーキ三つ。緊張感のない事実だ。
「う、嘘よ! 改ざんよ!」
「リナ嬢。ゲートの記録は国家管理です。一介の学生が改ざんできるものではありません」
私は畳み掛ける。
「次に、第二の爆発事故について。あれが私の罠だというなら、なぜ現場から『禁忌のマンドラゴラ』が発見されたのですか? あれは貴女のポケットに入っていましたね」
「そ、それは……アリア様が無理やり私に持たせたのよ!」
「ほう?」
エリアスが冷ややかに介入した。
「無理やり持たせた? だが鑑識の結果、あの触媒には『リナ嬢の魔力のみ』が浸透していた。もしアリアが触れたなら、彼女の魔力痕跡が残るはずだ。……説明がつかないな。物理的に」
エリアスの言葉は、鋭利な刃物のようにリナ嬢の嘘を切り裂いていく。
ジュリアン様が狼狽える。
用意していた証言も、偽造した証拠も、全てが「事実」の前で矛盾を起こしている。
「だ、黙れ! とにかくアリアが悪いんだ! 僕は王太子だぞ! 僕が黒と言えば黒なんだ!」
論理が破綻した。
ただの感情論。権力の乱用。
貴族たちが冷ややかな目で王太子を見ていることに、彼は気づいていない。
「どうして……どうしてよ!」
突然、リナ嬢が叫んだ。
彼女は頭を抱え、狂ったように叫び始めた。
「おかしいじゃない! シナリオ通りなのに! ここでアリアが泣いて謝って、私がジュリアン様と結ばれてハッピーエンドのはずでしょう!?」
会場がざわめく。
シナリオ? ハッピーエンド?
彼女の口から出る言葉は、この世界の住人には理解不能な妄言だ。
「なんで『断罪イベント』が起きないのよ! 私がヒロインなのよ! 貴女はただの悪役で、踏み台なのよ! なんで邪魔するのよぉ!!」
リナ嬢はその場に崩れ落ち、床を叩いて泣き叫んだ。
それは悲劇のヒロインの姿ではなく、思い通りにならない玩具に癇癪を起こす子供の姿だった。
私は静かに彼女を見下ろした。
「リナ嬢。ここは貴女のゲームの中ではありません」
「う、うるさい!」
「私たちは生きているのです。貴女の脚本通りに動く人形ではありません」
私が告げた瞬間、重々しい足音が響いた。
「……そこまでだ」
衛兵を引き連れて現れたのは、この国の国王陛下。
そして、私の父、ローズブレイド公爵だった。
「ち、父上……?」
ジュリアン様が顔を引きつらせる。
「全て聞いていたぞ、ジュリアン。……情けない。証拠も確認せず、婚約者を公衆の面前で辱め、あまつさえ禁忌に手を染めた者を庇うとは」
「ち、違います! 私は騙されて……」
「黙りなさい。お前の言葉はもう、王の言葉ではない」
陛下の合図で、衛兵たちがジュリアン様を取り押さえる。
そして、泣き叫ぶリナ嬢も拘束された。
「嫌ぁ! 離して! 私はヒロインなのよ! リセット! リセットしてよぉ!」
彼女の叫び声が、扉の向こうへと遠ざかっていく。
シナリオの崩壊。
強制力の消失。
それが、彼女の物語の結末だった。
静寂が戻った会場で、陛下が私に向き直った。
「アリア・ローズブレイドよ。息子がすまなかった。……そして、賢明な判断に感謝する」
「勿体なきお言葉です」
私は深くカーテシーをした。
そして、隣に立つエリアスを見た。
彼は「終わったな」とばかりに、大きく息を吐き、ネクタイを緩めていた。
「……帰るぞ、アリア。空気が悪い」
「ええ。そうですね」
私たちは、誰に許可を取ることもなく、踵を返した。
呆然とする貴族たちを背に、堂々と会場を後にする。
胸元のブローチが、微かに青く光っていた。
それは私たちの勝利の記録。
そして、新しい人生の始まりの合図だった。




