第8話 断罪の招待状
私の部屋のテーブルに、一通の封筒が置かれている。
王家の紋章が押された、厚手の羊皮紙。
それは、卒業パーティーへの招待状であり、事実上の「処刑台への呼び出し状」だった。
私はペーパーナイフを手に取り、封を切った。
中身を確認する。
開催日は三日後。場所は王宮の大広間。
私の脳内にあるゲームの記憶が警告を発している。
『最終章・断罪イベント』。
衆人環視の中で、悪役令嬢アリアが王太子に婚約破棄を突きつけられ、身に覚えのない罪で糾弾される。
そして国外追放、あるいは処刑へと至るバッドエンドの入り口。
コン、コン。
重々しいノックの音がした。
「入りなさい」
現れたのは、私の父であるローズブレイド公爵だった。
厳格な父の眉間に、深い皺が刻まれている。
「アリア。招待状が届いたな」
「はい、お父様」
「……どうするつもりだ」
父は低い声で問うた。
「王太子派の動きが不穏だ。先日の旧校舎でのボヤ騒ぎ、あれを『お前の管理不行き届き』として押し付けようとする動きがある。あの場で、国賓の前でお前を吊るし上げるつもりだ」
さすがは父。情報の早いこと。
リナ嬢の暴走を止めたのは私なのに、それを「アリアが現場を混乱させた」と書き換えるシナリオらしい。
ジュリアン様なら考えそうなことだ。
「欠席すれば、病気療養という名目で領地へ逃がすこともできる。……だが、それはローズブレイドの名に泥を塗ることを意味する」
父の瞳が、私を試すように光った。
逃げれば命は助かるが、社会的地位は死ぬ。
行けば尊厳を守れるかもしれないが、社会的に抹殺されるリスクがある。
私は招待状をテーブルに戻し、父を見上げた。
「出席します」
「茨の道だぞ。罠だと分かっていて飛び込むのか」
「罠ではありません。あれは彼らが用意した『舞台』です。ならば、役者が変われば演目も変わります」
私は立ち上がり、背筋を伸ばした。
「逃げません。公の場で、全ての事実を提示し、誤りを訂正します。ローズブレイドの娘として、不名誉なレッテルを貼られたまま生きるつもりはありません」
父は私の目をじっと見つめ、やがてフッと息を吐いた。
「……変わったな、アリア。以前のお前なら、ただ感情的に喚くだけだっただろうに」
「良いパートナーを見つけましたので」
「フン。あの変わり者の伯爵令息か。……好きにしろ。ただし、負けて帰ってくることは許さん」
父は背を向け、部屋を出て行った。
それは、私の戦いを黙認するという、彼なりの最大限の激励だった。
◇
放課後。
私はいつもの研究室へ向かった。
卒業を間近に控え、ここに来られるのもあと数日だ。
「……来たか」
エリアスが、実験机で細かな作業をしていた。
手元には、深い青色の魔石が埋め込まれたブローチがある。
銀細工で装飾された、美しいアクセサリーだ。
「それは?」
「完成した。対『言った言わない』用決戦兵器だ」
彼はピンセットを置き、そのブローチを布の上に乗せて、慎重に私の方へ滑らせた。
微細な魔術回路が刻まれた、精密機器だ。
「これは『音声凍結』の魔導具だ」
「音声凍結……音波を魔力振動として結晶化する理論ですか? 実用化は数十年先だと言われていましたが」
私はブローチを手に取り、まじまじと観察した。
魔石のカット数が異常に多い。音の波形を記録するための超高密度加工だ。
「既存の理論は無駄が多すぎるんだ。圧縮アルゴリズムを見直して、小型化した。……半径10メートルの会話を、最大三時間まで完全記録できる」
エリアスは椅子に深く座り込み、天井を見上げた。
目の下に濃い隈がある。
この数日、徹夜でこれを作っていたのだ。
「王太子は感情論で攻めてくる。あいつらの武器は『大声』と『嘘』だ。なら、こちらの武器は『記録』だ」
「……エリアス」
「そのブローチをつけていけ。あいつらが暴言を吐けば吐くほど、それが自滅への証拠になる」
胸が熱くなる。
彼は、私の「断罪イベント」を予期して、これを用意してくれたのだ。
私が一番必要としているものを、論理的に導き出して。
「ありがとうございます。これがあれば、百人力です」
「まだだ」
エリアスが身を起こした。
真っ直ぐな瞳が、私を捉える。
「証拠だけじゃ足りない。そのデータを適切に運用し、その場で展開する技術者が必要だ」
「それは……」
「俺が行く」
彼は当然のように言った。
「卒業パーティーだろ? 俺も卒業生だ。参加資格はある」
「でも、貴方は人混みが嫌いでは……」
「大嫌いだ。非論理的な猿山に行くなんて吐き気がする」
彼は顔をしかめたが、すぐに真剣な表情に戻った。
「だが、君が一人で断罪されるのを見るよりはマシだ。……計算上、君の隣には俺が必要だ。違うか?」
計算上。
便利な言葉だ。
でも、その言葉の裏にある感情を、私はもう読み解くことができた。
私はブローチを胸に当て、深く頷いた。
「……違いません。私の計算でも、貴方が必要です」
「なら決まりだ」
彼は立ち上がり、白衣のポケットに手を突っ込んだ。
「準備しろ、アリア。最高のドレスと、最悪のシナリオを覆す論理を。……あいつらの書いた脚本を、俺たちで白紙に戻してやる」
◇
三日後。
卒業パーティー当日。
私は鏡の前に立っていた。
選んだのは、華美なフリルのついたドレスではない。
動きやすく、かつ知性を感じさせる、鉄紺色のイブニングドレス。
胸元には、エリアスがくれた青い魔石のブローチが、冷ややかな光を放っている。
武器は揃った。
記録、論理、そして信頼できるパートナー。
屋敷の玄関ホールへ降りると、そこには見違えるような姿の彼が待っていた。
漆黒の礼服に身を包んだエリアス。
いつもの猫背を正し、髪を整え、眼鏡を磨き上げた彼は、悔しいほどに様になっていた。
「……待たせたな」
「いいえ。完璧な時間配分です」
私は彼に歩み寄った。
彼がぎこちなく、しかし力強く右腕を差し出す。
私はその腕に手を添えた。
「行こうか。最終実験の場へ」
「はい。証明しましょう、私たちの未来を」
重厚な扉が開く。
外には、決戦の舞台となる王宮への馬車が待っていた。
怖くはない。
私の手帳にはもう、「破滅の予言」など書かれていない。
これから書き込むのは、私たちが勝ち取る勝利の記録だけだ。




