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第三章:白鱗の監視者

Ⅰ.論理の波紋と静かな報復

テラ・シルト属国へのマナ貨供給プログラムへの介入から数週間が経過した。

経済省大臣ヴィクトル・ディエクル・ノワールからの報復は、静かに、そして精緻に進んでいた。

電法省でんぽうしょうの執務室に戻った侯爵ルーカス・エルミナージュ・アステアを待っていたのは、経済省から届いた一通の報告書だった。


ルーカスの机上に置かれた電子クリスタルには、テラ・シルトの「資源徴収レート」と「マナ貨/コインの為替レート」が描く複雑なグラフが浮かんでいる。

表面上、ヴィクトルはルーカスの「非論理的な緊急避難措置」を受け入れたように見えた。マナ貨供給は再開され、飢餓死亡率は一時的に頭打ちとなっている。

しかし、グラフの最も非情な箇所が、ルーカスの注意を引いた。「帝国による開発費支払いにおける固定為替レート」だ。


ヴィクトルは為替そのものを動かすのではなく、契約書の裏側に隠された「技術移転費用」と「環境整備負担金」の適用率を極秘裏に引き上げていた。これは、テラ・シルトが必要な資源を購入する際、実質的により多くの現地通貨を要求されることを意味する。資源徴収の総量は変わらないが、属国の購買力だけが静かに削がれていくのだ。


「恐ろしいまでの冷酷な論理だ」

ルーカスは苦々しく呟いた。自分が「情動」で救った命を、ヴィクトルは「論理」で、その価値をゆっくりと削ぎ落とす方法にすり替えたのだ。

報告書には、テラ・シルトの官僚たちが苦肉の策として、資源への魔石含有率の変更を検討しているとの記載もある。


これでシステムは、マザーが演算する『竜種繁栄』の論理に合致するように再修正された。管理システムA01は、これを『論理的最適化:成功』として検知するだろう。

ルーカスは電子クリスタルを握りしめた。指先から熱が奪われ、クリスタルの冷たさが彼の昂ぶりを鎮めていく。


ヴィクトルの手口は、A01のコアロジックを直接動かさずに打てる、最も精緻な報復だった。マザーの演算にノイズを出さず、契約書の数字という「小さな誤差」の範囲内で属国の息の根を止める。

これはルーカスへの明白な警告だった。これ以上動けば、A01は彼を「損害変数バグ」として排除するだろう。


「この静かな攻撃に対抗するには、同じ論理の土俵では勝てない」

ルーカスは立ち上がり、窓の外を見やった。帝都の巨大な魔力炉が夜空を淡く照らしている。あの灯火は、誰かの命を燃料にして輝いている。


彼は部屋の隅に隠した独自の演算機「L01」を起動させた。自身の角に直接接続コードを挿入し、機密ネットワークへのアクセスを開始する。

機械がうなりを上げ、電法省の地下深くに張り巡らされた未知の回線へと繋がった。

そこはA01からもヴィクトルからも隔絶された、帝国の真の「裏帳簿」。

前執行官が肉体消滅の際、ルーカスだけに遺した負の遺産だ。


接続を待つ間、ルーカスの琥珀色の瞳は鋭く夜景を射抜いていた。

彼は知っていた。このビルの端々に、ヴィクトルの「黒鱗こくりん」のように冷酷な監視の目が光っていることを。

やがてディスプレイに一つの古いファイルが展開された。


『Project:Lyra - The Origin of U-001』


それは、前執行官がルーカスを「道具」として選定し、再構成した、彼の出生の真実に関わる機密文書だった。


「まず、己の情動の起源を知る必要がある」

深淵の情報を読み込み始めたその時、通信ポートが青い光を放った。


『閣下、情動省アルビオン・ミニストリーより入電です』


応答したのは、秘書官のイヴ・レイスだった。彼女は異種淵源種(ハイブリッド)でありながら、一切の情動を見せない無表情さと完璧な事務処理能力により、ルーカスの「最も信頼する道具」として機能している。

ルーカスは眉根を寄せた。母方の実家であるアルビオン公爵家は、「繁殖倫理を司る情動省」と「純血種の精神衛生管理」を牛耳る、彼の『情動のバグ』に対する最も執拗な監視者だ。


画面に映し出されたのは、白銀の甲冑を纏った一人の竜人。アルビオン家の特徴である白鱗を持つ男。

情動省・論理監査上級統括執行官、グレイ・ファウスだ。

グレイはアルビオン家の傍流のハイブリッドであり、純血の証であるミドルネームを持たない。その劣等感を払拭するため、彼は誰よりも厳格に論理を執行し、自身の情動を徹底的に否定することで今の地位を築いた男だ。


『アステア侯爵様。閣下を情動省・第三監査室へ召喚します。直ちにご準備を』

グレイの声には、ルーカスが「情動による逸脱」を行ったという、冷たい確信が滲んでいた。

ルーカスは通信を切る直前、イヴに命じた。


「イヴ、私が戻るまで演算装置の電源を落とすな。そして、私が『U-001』と合図したら、即座に『Lyra』の情報を電法省のメインシステムへ偽装パケットとして流せ。……監査は長引くぞ」


「承知いたしました。論理的指示として受理します」

イヴは表情一つ変えずに答えた。彼女もまた、電法省の職員として精神操作を受け、己を殺した「道具」であった。


Ⅱ.アルビオン家の冷たい倫理

情動省第三監査室は、マナの灯火すら最小限に抑えられ、室温は氷点下に近い。純血種が高い論理性を保つためには、感情を刺激する熱を排除する必要があるからだ。

ルーカスは、身震いしたい衝動を抑えて椅子に座った。混血ハイブリッドの彼にとって、この寒さは骨身に染みた。

グレイ・ファウスは、正面のガラス机にルーカスが開発した「竜核形成未満児用保育器」の設計図を広げていた。


「侯爵。テラ・シルトへの介入は、ヴィクトル侯爵の修正により『最適化データ』として処理されました。しかし、貴方の『情動のバグ』に対する懸念は、省内で増幅しています」

グレイの口調は、高位貴族に対するものではなく、不具合を起こした「機械」への技術監査そのものだった。


「その懸念は、私の保育器と関係があるのか?」

グレイは白鱗の指で、情動安定化プログラムの回路を指した。


「この装置は、竜核が固まっていない二十歳までの不安定な時期を論理的にサポートし、生存率を飛躍的に高めた。これは『竜種繁栄』に資する、前執行官以来の偉大な成功です。……しかし」

グレイの眼光が鋭くなる。


「貴方の最近の行動は、この成功が『情動の増幅』という負の側面を生んだのではないか、という疑念を呼んでいるのです」


「私は情動を増幅させてなどいない。安定化させただけだ。設計図を見れば明白だろう。製造は帝国直轄工場だ。私が細工する隙などない。私は論理の外側に、種の生存に資する『新しい論理』を見つけようとしているに過ぎない」


「新しい論理?」

グレイが冷笑した。


「貴方のお母上も、似たような非論理を追求していましたね」

ルーカスの表情が凍りついた。

母ライラはいまだ遊戯場アミューズメント・フィールドに囚われ、純血の繁殖母体として出産を繰り返している。それは前執行官との契約による、永遠の責務だ。


「彼女は異種の劣等種に執着し、クローン技術を用いたソレとの『夫婦ごっこ』の七十年を繰り返している。その裏で、最短二年のスパンで帝国へ純血の種を提供し続けている。……たかだか一匹の家畜のために高貴な肉体を捧げる。永遠の契約。どう見ても狂気の情動です」

グレイは立ち上がり、ルーカスの背後に回った。重たい軍靴が、冷たい床を静かに叩く。


「貴方はその狂気を血筋で受け継ぎ、論理のバグとして増幅させた。貴方の情動は、母上と同じ『論理からの逃避』ではないのですか? 貴方もまた、前執行官の実験の延長線上にある『道具』に過ぎないのだ」


Ⅲ.絶望死の論理的根拠

グレイは、一枚のクリスタルをルーカスに突き出した。

そこには『純血回帰種(子爵・男爵家)絶望死:傾向分析レポート』と記されていた。


「侯爵。貴方は『絶望死』の論理的根拠をご存知か?」

近年、下位貴族の純血回帰種が、成人前後に自ら竜核を破壊して命を絶つケースが急増していた。


「現在、子爵・男爵家の大半はハイブリッドです。彼らには戸籍こそあれど、その先は茨の道だ。子爵・男爵家が身内に配れる『位』はほとんどない。自力で爵位を勝ち取るか、後継のない家へ養子に入るしかない」

グレイは淡々と説明を続ける。


「貴方の保育器は、多くの純血回帰種を成人させました。しかし、彼らは高位貴族の血を引くほどに『飽きと絶望に弱い』という性質をも受け継いでしまった」

じっと、グレイはルーカスを冷たく見下ろす。


「彼らは直面するのです。純血の兄弟との格差、爵位継承権の欠如、優秀な移民との競争……。その論理的な限界を見たとき、受け継いだ情動的な脆弱性が爆発する。ハイブリッドゆえの情動の揺れが、絶望を加速させるのです」

グレイはルーカスの耳元で囁いた。


「つまり貴方の『保育器』は、生存率を高めると同時に、『絶望死の論理的な可能性』をも高めた。そして貴方の『情動のバグ』が、その絶望を伝播させる触媒となっているのではないか」

グレイの指摘は、ルーカスの胸を深く突き刺した。彼の技術は「竜種繁栄」を支えたが、その代償として新しい犠牲者を生み出し、システムはそれを「絶望死」という形で排斥している。


「貴方はさらに、遊戯場の雑種から純血を取り出すことにも成功した。お姉様のフィリア嬢のはらを使い、貴方は帝国に最も貢献している」

グレイの冷たい瞳がルーカスを値踏みする。


「しかし、論理の外側で生まれた情動は、内側の絶望に感染し、帝国を内部から崩壊させかねない。これは情動省にとって『警告レベル:5』に相当する。貴方は、母上の狂気を再現したいのですか?」

ルーカスは、手元のデータとグレイの瞳を交互に見た。

己の行動が、「最高の成功作」か「排除すべきバグ」かの二択を迫られている。


「私は道具だ。道具は、論理的な損失を出すバグを放置したりはしない」

ルーカスは冷徹な表情の奥で、鋼の意志を固めた。


「だが、グレイ執行官。私は絶望死という究極の非論理を、『性質上の必然』として処理することに飽きたのだ」

ルーカスは、情動省の冷たい静寂を射抜くような声で言った。


「私は、私の情動を、純血種の論理的な絶望に対する『非論理的な解毒剤』として利用する。テラ・シルトへの介入は、その実験の第一歩だ」

グレイは沈黙した。ルーカスの言動をどう記述すべきか、その演算に没頭しているようだった。


「白鱗の監視者。報告書にはこう記すがいい。『情動のバグは確認されたが、それを新たな論理として利用しようとしている』とな。前執行官の信奉者たちは、私を『最高傑作』と称賛しているのだろう? ならば、私はその期待に応えてみせよう」

ルーカスはグレイに背を向ける。


「私は、情動を飼い慣らした道具として生きる」

ルーカスはそう言い残し、冷え切った第三監査室を後にした。

背後ではグレイが依然として動かず、ルーカスの言葉が持つ「論理的な価値」を測り続けていた。

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