1.「おれの仏壇に水を供えないでくれ」
その一軒家は、ひっきりなしに波の音が聞こえた。
私が一人住むようになってからちょうど8カ月になる。
寝苦しい夜が続いていた。7月に入ったというのに、エアコンの修理を後回しにしたから今になってツケが来ていたのだ。後手に回すとロクなことはない。
これは浅い夢か、それとも現か。
歩が色鮮やかなすみれ色のシーガルウェットスーツ姿で、私の枕元に佇んでいた。
彼の全身から、ムワッと潮の香りがする。
夫は190を超す長身だった。
聳えるような高い位置で、髪の毛もずぶ濡れなのが見えた。あいにく表情は暗すぎてよくわからない。どうか安らかな顔でありますように。
前髪から、氷柱が解けるかのように雫が落ちてくる。きっと枕も畳もぐっしょり濡れているだろう。
あれほど大事にしていた長さ7フィート超のミッドレングスを抱えていないのはどういうわけか。カリフォルニアのサーフショップから取り寄せたお気に入りのサーフボード。しかも伝説のプロサーファー、ケリー・スレーター本人のサイン入りだというから、盆と正月がいっしょにやってきたようなもんだと騒いでたっけ。
まるで悪戯を見つかったために、廊下に立たされている児童のように覇気のない姿だった。まったく、32にもなるというのに……。
サーフボードを失った歩は、ひどく頼りなさげに見える。男性機能がダメになったも同然だった。インポテンツの歩。
そのとき、枕元に立つ彼はゆっくりとまばたきをくり返し、
「おれの仏壇に――」と、言った。唇は動かなかったのに、私の脳にダイレクトにはっきりと響いた。「水を供えないでくれ。潮水でお腹いっぱいなんだ。どうせなら、日本酒か焼酎を燗にしてくれ」
歩の奴、自分勝手に死んだくせに、幽霊になってからでさえ贅沢な注文を言うんだから。
◆◆◆◆◆
案の定、すっきりしない寝起きだった。
カーテンもしていない東側の窓から、白い光が差し込んでいる。
私は欠伸を洩らしながら上半身をひねった。
枕元には、濡れた跡がバッチリ。
枕は干せばいいとして、畳はどうしてくれる? 水の染み込んだ畳はそのまま放置しようものなら数日経つと異臭がするようになるのだ。
布団を畳むと、私はすぐエタノールスプレーを吹き付け、雑巾で畳をゴシゴシこすった。
思い返せば、波乗りの好きな歩と私が出会うのは必然だった。
この千葉県いすみ市岬町にある太東海水浴場の近くで、オンボロ借家で暮らすようになったのは、ほんの2年前のこと。
余暇ができるたび、夫はサーフボードを片手に、海にくり出した。
1966年、第一回全日本サーフィン大会が開催された歴史的な海岸線である。今となっては海の色も濁っているし、波も小さく穏やかすぎる。初心者向けのビーチだった。夏場となれば、それこそ芋洗い場のように、サーファーでごった返した。サーフィンには厳格なマナーがあって、一つの波につき一人しか波乗りしてはいけないルールがある。これではなかなか波と戯れることができない。
私だって波乗りしたかったが、結婚してからは、彼のプレイを眺めるだけで我慢した。
ふだん、歩は貸別荘の管理人兼雑用係で、私はドラッグストアとカラオケボックスのスタッフを掛け持ちして働いていた。
私は主に午後から深夜にかけての勤務体系となり、夫とはプチすれ違いの生活になってしまった。
どっちにせよ、夫婦はこうして老いていくはずだった。
贅沢とは無縁だが、平凡な暮らしになると信じて疑わなかった。
ところがそんな結婚生活もわずか1年で泡と化す。
去年の秋、台風明けの海岸にどうしても行きたいと夫は駄々をこね、私の制止をふり切って出かけた。家から太東ビーチは目と鼻の先なのだ。
その結果、歩は高波にさらわれ、消息を絶ってしまった。
これは国道128号線から物見遊山がてら荒れた波を見ていた若いカップルが目撃している。あいにく私はふて寝してしまったのだ。
海上保安庁のみならず、地元漁師らの協力もあり、両沿岸は10キロ範囲にわたって捜索してもらった。
沖合など30キロ先まで懸命に捜したが、遺体は見つからなかった。
ビル7階建てに匹敵するほどの高波に揉まれたら、さすがの泳力のある歩でも助かるまい。はじめから私は諦めていた。
あのとき、引きずり倒してでも彼を止めるべきだったと悔やんだが、もはや後の祭りである。