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第五話 『あなたの火照りを、私はひとり味わってしまったのです』



梅雨が明け、蒸し暑さが街にまとわりつくようになった頃。佐藤さんと私は、日用品の買い足しを兼ねて、近所のショッピングセンターに出かけた。


昼過ぎ、ふらりと立ち寄った家電量販店の中で、私はあるポップに足を止めた。


「エアコン即売会――設置工事はお早めに!」


赤と青の派手な文字と、価格表の数字。私は、思わず立ち尽くした。

私の部屋には、まだエアコンがなかったのだ。都内の夏にエアコンなしなんて、命にかかわるレベルだと、心のどこかで覚悟はしていた。


「買うつもり?」


横から佐藤さんの声。彼女も同じ物を見ていたらしい。


「うん、さすがにこのままじゃ、倒れちゃいそうだし……私、暑がりだから。」


と、私は笑って答えた。本当のところは、エアコンなしの夏を過ごすことに、微塵もロマンを感じていなかったからだ。

けれど佐藤さんは、目を丸くして価格のプレートを見つめていた。


「えっ……こんなにするんだ。ちょっと高いね」


その一言で、私はエアコンを勧めるのをやめた。

彼女は北海道出身で、夏は扇風機でなんとかなると思っているふしがある。

なら――それを崩してみたい、という好奇心がふと芽を出した。


(汗ばんで、息を詰めて、我慢する佐藤さん……見てみたいかも)


私は軽く罪悪感を覚えながらも、何食わぬ顔で「私はこれ買うけど、佐藤さんは扇風機で平気かもね」と笑って話を流した。

佐藤さんは、迷うふうでもなく、小さめの白い扇風機を手に取り、「これで充分かな」と言って微笑んだ。


そして、夏が来た。

三十度を超える熱気。アスファルトがじりじりと照り返し、部屋の中は温室のようになっていった。


蝉の声がぼんやりと窓の向こうで揺れる午後、テレビから流れる天気予報士の声が室内に溶け込む——「今日も各地で真夏日となるでしょう」。

そんなけだるい中、私が部屋で涼んでいると、佐藤さんが汗をぬぐいながら、私の部屋のインターホンを押した。


「エアコン、つけてる?」


「うん、どうぞ入って」


そう言ってドアを開けた私の部屋は、佐藤さんにとって天国のような涼しさだったはず。


一歩足を踏み入れた佐藤さんが、ふうっと息を吐いてソファに腰を下ろす。


「……ありがとう。生き返る……」


そのとき、私は少しぞくりとした。

優しさへの感謝が、こんなにも甘く響くものだったなんて。

けれど、それは私の中のちいさな悪意がもたらした、計算された感謝でもあった。


彼女の綺麗なうなじに浮かんだ汗、額の髪の束、そして私に向けた無防備な微笑み。


(私は、それを見たくて、黙っていたんだ)


そんな自分を意識した瞬間、心の奥に、ひとしずくの冷たい水が落ちた気がした。

その冷気は、アイスティーのように涼しくて、でも底に溶け残った罪のしずくが、ほんの少しだけ舌に残ったのです。


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