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医療スタッフ専用の通用口に向かうと、扉の向こうには当たり前のように夜の帳が落ちていた。
どこまでも続く暗闇の視界に、思わず扉の前で立ち止まる。
西ノ宮大学附属総合病院は都会のど真ん中にあるとはいえ、昼と夜では雰囲気ががらりと変わる。風が葉を鳴らす音すら、私の耳には迫り来る足音のように届いた。
手のひらがじんわりと湿り気を帯びた。
(中で待ってていいよね……外、人の気配ないし)
一人で扉の先の暗闇へ入る勇気が出なくて、私はくるりと方向転換をした。
そのときだった。
すぐ近くで人の気配がして、その瞬間、敏感になっていた心臓がどきりと大きく跳ね上がった。いつもなら気にならない心音が、今はやけに騒がしい。
せっかく動き出した足を止めて、私はびくびくと周囲を窺う。
廊下の角に立つ私の前に、すうっとひとつの影が伸びた。ゆっくりと近付いてくる足音と共に、心臓の鼓動も大きくなっていく。
そして……角から現れたのは、藤宮先生だった。
「あ、なんだ……」
その瞬間、息を吐くことを忘れていた私は、どっと溜まっていたそれを吐き出した。そんな私の態度に気付いた藤宮先生は、不快そうに眉をひそめている。
「なんですか、人を化け物みたいに」
目が泳ぐ。
「……いえ、すみません」
バッグを強く握り込み、なんとか笑って誤魔化した。
「ここは病院ですよ。人影に怯えるなんて子供じゃないんですから」
鼻で笑われる。
「…………」
私は言い返すこともできないまま、かといって笑い飛ばす余裕もないまま口を噤む。
悔しくて、一人で帰ってやろうかと思いガラス一枚で隔てられた暗闇の世界を見るけれど、やっぱりそんな勇気は出てこなくて、私は窓からも目を逸らした。
「……あの、私やっぱり今日は仮眠室に泊まります。藤宮先生はこのままお帰りください」
藤宮先生の手が、歩き出そうとする私を静止する。
「どうして?」
藤宮先生にまっすぐに見つめられ、ぐっと息が詰まる。
「……あなたはいつも、どうして帰りたがらないんですか?」
べつに、帰りたくないわけではない。
「まさか、本当に暗い道が怖いとは言いませんよね?」
「…………」
普通の人なら、冗談だと思うだろう。
でも、どうしてもダメなのだ。
特に今日みたいな曇りの夜は。どうしたってあの日を思い出してしまう。
部活の帰り道だった、あの日を。
「……笑っていいですよ。いい歳して、馬鹿みたいでしょ」
思いの外、棘のある言い方になってしまった。
けれど、藤宮先生はなにも言わずに私を見つめて――そして、手を取った。触れ合った手のひらから、じんわりと温かな体温が伝わってくる。
「……鬼ですか、俺は」
「え?」
首元に手を置いて、藤宮先生はバツが悪そうに視線を彷徨わせている。
「誰かのぬくもりがあれば、少しは和らぐでしょう」
驚いていると、藤宮先生は今まで見たことがないくらいに優しい顔をして、私に微笑んだ。
「大丈夫。お化けが出たら、俺が退治してあげますよ」
これ以上ない子供扱いを受け、顔に熱が集まった。
「……べ、べつにお化けが怖いわけじゃ」
思わず言い返すと、藤宮先生は小さく笑った。
優しく私の手を引きながら、扉の先の暗闇へ入っていく。
(わっ……わぁ……。嘘。藤宮先生って、こんな顔するの……!?)
心臓が今までにないくらい騒がしい。
暗闇が苦手だと言っておきながら、それでも今だけは外が暗くて良かったと思う。
だって、
(今私、絶対顔赤い……)




