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 私の新しい職場である西ノ宮大学(にしのみやだいがく)附属総合(ふぞくそうごう)病院(びょういん)は、自宅があるマンションからそう離れていない場所にある。

 徒歩で約五分。

 医師は基本不規則勤務であるため、疲れていても負担が少ない歩いて通える距離のマンションにした。とはいっても、なるべく帰るつもりはないのだが。


 大きな建物が目の前に立つ。

 立派な大理石の看板には、『西ノ宮大学附属総合病院』とある。青信号の音に背中を押されるようにして、私は病院の敷地に入った。 

 改装されたばかりの大学病院ということで、内装は近代的で清潔感がある。換気がしっかりしているためか、病院独特の嫌な匂いも鼻につくことはなく、一見病院とは思えない高級感が漂っていた。

 一般の人間が入ることのない事務棟の白い廊下を進み、ひとつの扉の前で足を止めた。事務長室だ。

 控えめに三回ほどノックをすると、「どうぞ」と低く穏やかな声で入室を許される。

 事務長室は全体的にシックな造りで、四面のうち一面は本棚、もう一面は大きな窓ガラスで開放感がある豪華な部屋だった。手前には応接用のソファとテーブル。ほのかに珈琲の匂いがする。

 正面の事務机に目を向けると、一人の男性がいた。年齢は五十前後辺りだろうか。男性は音もなく立ち上がると、私ににっこりと微笑む。

「はじめまして。事務長の柴崎(しばさき)雅人(まさと)です」

音無(おとなし)(あん)と申します。今日からよろしくお願い致します」

 事務長は痩せ型で、柔らかい話し方をする人だった。かちかちに緊張していた私は、彼の陽だまりのような笑みにホッとしつつ、丁寧に頭を下げる。

「よろしくね。ええっと、音無先生の希望科は……」

 手元の資料に視線を落とす事務長に、私はぴしっと姿勢を正して言った。

心臓血管外科(しんぞうけっかんげか)です」

「そうそう。音無先生はこれからサブスペシャルティ領域の研修だったね」

「はい」

 初期研修を終えた医師はまず、基本領域と呼ばれる十九の科目から一つ選び、専門医の認定を受けるための研修を受ける。そしてその資格取得後、希望する人はさらにサブスペシャルティ領域と呼ばれる二十九の科目から一つ選び、さらなる専門的な知識と技術をつけるために腕を磨くのだ。

 私は基本領域である外科専門医を取得したところで、今は新たに、さらに専門的な資格となるサブスペシャルティ領域の中から心臓血管外科専門医の資格取得を目指しているところなのである。 

「聞いてるよ。君は初期研修での評価がすごく高かったそうだね。君みたいな優秀な子がうちを選んでくれて嬉しいよ」

「私こそ、こんな素晴らしい環境で学ぶ機会をいただけて光栄です」

「うん。素直な良い子だ」

 ふと、沈黙が落ちる。事務長は私の顔をじっと見つめた。

「? あの……なにか?」

 首を傾げながら尋ねると、事務長は私を真似るようにして首を傾げた。

「音無先生ってさ、なんで医師目指したの?」

 一瞬、詰まりかけた息をなんとか吐きながら、私は平静を装って答える。

「……どうしても、会いたい人がいるんです」

「……そうか。あぁ、いや。深い意味はないんだけどね。履歴書見ても思ってたけど、音無先生ってすごくお綺麗だからさ。なんとなく医師っぽくないっていうか……なんかほら、テレビとかに出てそうだなって。女優さんとかアイドルとか」

 事務長はわざと明るい声で言った。

「あ……」

 容姿について言われることはこれまでもあったけれど。未だにこういうときの模範解答を見つけられていない私は、どう反応すべきかと目が泳ぐ。

 事務長は私の戸惑いを察したのか、にこやかに立ち上がった。

「ごめん、話が逸れたね。じゃあ、早速行こうか」

「あ、はい……」

 私はばくばくと騒がしく鳴り出した心臓を誤魔化すように、事務長のあとに続いた。

 

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