8.青年の苦悩
「フェイツェイが出奔を決意するほど追い詰められていたなんて……」
朝一番にランチュァンから報告を受けたツーロンは、自分の宮の居室で項垂れていた。ランチュァンもツーロンの心痛が分かるだけに、下手に言葉が紡げないでいる。あのままフェイツェイが姿を消していたら、ツーロンの悲哀はこの比では無かっただろう。
正式に手続きを経たとしても、国外への旅は危険なものだ。国内でさえ獣や盗賊等の害が完全に無いとは言えず、外国への道中となれば言わずもがな。フェイツェイほどの武芸の腕があればそう簡単に危機に陥ることは無いだろうが、実戦経験不足、多勢に無勢などいくらでも危険な状況は考え得る。そして脅威は獣やならず者だけではない。風土が合わない、食料や路銀が上手く入手出来るとは限らない、病気になっても頼る相手がいない等々、心配の種は尽きない。近親者の心痛は如何ばかりか。
それらが全て想像出来るからこそ、ツーロンの心はより暗くなる。
「今はユージュの所に身を寄せているのでしたね?」
「はっ。一人で思い悩んでいたようですので、相談相手として適切と判断し、ユージュの下へ連れていきました。ズーチェ家にも連絡し、身の安全を保証しています。」
ツーロンは深く息を吐きだした。
「ご苦労様。ユージュが見ていてくれるのなら、フェイツェイが再び暴走することも無いでしょう。あなたも少し休みなさい。」
は、と返事をする声は歯切れが悪く、ランチュァンはなかなか退出しない。どうしましたと言うように視線を向けると、ランチュァンは少し迷った後、真っ直ぐにツーロンを見る。
「今回の件、あまりご自身を責めたりなさいませんよう……フェイツェイの視野が狭く、思い込んだら猪突猛進してしまうのは、昔からの気性です。」
ランチュァンがツーロンを案じて言っていてくれているのが分かり、ツーロンも苦笑する。
「ありがとう。……ランチュァン、少し雑談に付き合ってくれませんか?」
「御意。」
ツーロンは長椅子に座り直し、ランチュァンにも椅子を勧めると、肩の力を抜いてどこを見るともなく視線を向ける。ランチュァンは一礼して勧められた椅子に浅く座った。
「……やはり、想いはずっと秘めていた方が良かったのでしょうか。」
「……主君だけがそのように我慢し続けることはないかと……それに、遅いか早いかで、いずれ表面化した問題だと思います。」
「しかし、私が想いを伝えてしまったせいで、フェイツェイがあんなに悩んで……」
「それはフェイツェイの問題です、主君。あなたの言葉をどう受け取るかまで、あなたが制御できる訳では無い。それは分かっておいででしょう?」
「……理屈としては分かっています。しかし、彼女のこととなると気持ちが追いつかないのです……」
一人の青年としての苦悩に、ランチュァンは言葉を続ける事が出来なかった。
今までどれだけツーロンが我慢を強いられてきたか、ランチュァンは知っている。幼い頃を共に過ごした友にも、性別を明かさないためと声変わりの兆候が現れてから引き離された。その後、武芸の稽古相手として召されたランチュァンが遊び相手も務めていたが、時折寂しそうな目をするツーロンの横顔を見ては、力不足を感じていた。出会った時は淡い想いだったツーロンの恋が、時を経るにつれ強い想いになっていくのを見ていた。だからこそ、軽率なフェイツェイの行動に怒りも覚えるし、しかし傷付けずに何とかしなければという義務感も働く。
そこに、侍女頭がそっと滑り込んできた。
「ツーロン様、シェンウーのユージュ様と、ズーチェのフェイツェイ様が、お目通りを願っています。いかが致しましょう?」
正に話題の中心人物の出現に、軽く息を呑む両名。ランチュァンはとっさにツーロンを窺った。ツーロンは、一度深呼吸すると、毅然と顔を上げて侍女頭に伝える。
「……会いましょう。通しなさい。」
どうか、主君を傷付けるような真似はしないでくれ。ランチュァンは切に願った。