7.相談
「いらっしゃい、フェイツェイ。」
柔らかく涼やかな声が背中から聞こえ、フェイツェイは振り返る。目の前にいたのはユージュで、ここは彼女の家――シェンウー家――の門前だという事に、やっとフェイツェイは気づいた。
「さあ、こちらへ。……顔色が良くないわ、眠れていないの?ご飯はちゃんと食べています?」
夜中だというのにユージュはきちんと普段着を着込んでいて、自ら明かりを携えている。他に人の気配はなく、いつもさりげなくついている侍女の姿もない。優しい声音はただフェイツェイの身を案じ、温かい眼差しが混乱しきって硬くなったフェイツェイの心をほぐしていく。
「……ユージュ……私……」
言葉が詰まって出てこないが、ユージュはそっとフェイツェイの背中に手を添え、落ち着かせるように撫ぜる。フェイツェイはその手の優しさに任せ、素直に案内されるままユージュの部屋へと向かった。
部屋について椅子に座らせられると、ユージュが手ずから茶を入れてくれた。フェイツェイは立ち上る湯気を眺めながら、深く息を吐く。
「ユージュは、ジェジェの話を……その……」
言い淀んでいると、ユージュが向かい合わせに椅子を持ってきて座り、自分の分の茶杯から茶を啜る。
「ジェジェがあなたに告白をした、返事はまだもらっていない。……と、聞いております。」
言葉にすればたったそれだけ。実に簡単なことだ、とフェイツェイは自嘲する。
「驚いた。……ジェジェが男性だったことは、この際いい。びっくりしたけど、昨夜会いに来てくれたジェジェは、昔と何も変わっていなくて……穏やかで優しいジェジェのままだったんだ。……だから……愛を告白されるなんて、思ってもみなかった。」
フェイツェイは卓に肘をつき、顔を覆う。急に、どっと疲れを感じた。
「私には、ジェジェの気持ちが、わからない。人を好きになる……愛するということがわからないんだ。曖昧な気持ちのまま、ジェジェの前に出られるわけがない。
それに、ジェジェの妃になる覚悟もない。他に相応しい女性がいるのではないのかという考えが、頭を離れない。なぜ私なんだ……」
何度も頭の中で反芻した言葉を、ユージュの前で絞り出す。
「わからない……どうしたら良いのか、わからないんだ……」
八方塞がりで息苦しい。
そんなフェイツェイを見て、コトリと茶杯を置いたユージュは、何でもないかのように言葉を紡いだ。
「わからないなら、そのままお答えすればいいではありませんか。」
驚いて顔を上げると、ユージュが真剣な瞳で、それでいて柔らかい微笑みでフェイツェイを見ていた。
「どうするのが最良かなんて答えを、無理に出す必要はありません。わたくし達のジェジェは、迷い戸惑うあなたの答えを待てないほど狭量ですか?」
「……いいや」
「あなたを無理に妃として召すのが嫌だから告白をしたと聞いています。そんなジェジェが、迷っていると言う事を……対話を嫌がると思いますか?」
「……思わない」
ぱちぱちと目を瞬かせ、深く息を吸う。ユージュの出してくれたお茶の、ジャスミンの香りがした。
「……なんだ……そうか……」
さっきまでの閉塞感が嘘のように、目の前が明るく開けた気がする。何も怖がることなどないじゃないか、と。
フェイツェイは感謝を込めてユージュを見て、やっと茶杯に口を付けた。
「……美味いな。さすがユージュだ。」
ほっと息をつくと、ぐぅと腹が鳴る。フェイツェイが困った様に眉を寄せると、ユージュは年相応の可愛らしい笑顔で口元を押さえ、忍び笑いをする。
「お夜食を用意しておいてよかったわ。お茶のお供に軽く摘まんでくださいな。」
ユージュは別室に用意してあった点心を温め直し、運んでくる。テーブルいっぱいに広げられたおやつは、どう考えてもユージュ用の量ではない。親友の心遣いに胸が温かくなるのを感じながら、フェイツェイはお茶とおやつを頂いた。
安心して、腹も膨れると、急に眠くなってきた。
「フェイツェイ、今日は泊っていくでしょう?寝台をお使いなさい、整えておきましたので。」
「いや……ユージュの寝台を……奪う訳には……」
快眠快食健康優良児のフェイツェイには、一夜でも徹夜で考え事をしたのが堪えていた。遠慮するが、今にも瞼がくっつきそうだ。
「大丈夫です。わたくしの家ですよ、他の寝台だってあります。今はゆっくりお休みなさい。」
ユージュに支えられて寝台に移動すると、もう限界だった。
「……すまない……ありがと……」
何とかそれだけ言うと、フェイツェイは深く眠りに落ちる。ユージュは椅子を傍らに置き、空が白むまで親友の健やかな寝顔を眺めていた。