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神源華の翡翠  作者: さわば
一章
5/15

5.成人の儀―波紋―

 ドォン、ドォン。

 階段の最上部に用意された銅鑼が鳴らされる。普段は皇族が入場する合図で、今日は宴の開始を知らせる合図だ。思い思いに集まっていた人々が整列し、膝をついて首を垂れる。それは四家の者達も同じだ。

 今日は黄龍殿の入り口付近に薄い幕が掛けられ、その奥に仮の玉座が設えられている。皆が静かに控えている今、皇帝のたてる衣擦れの音、装飾品のしゃらしゃらとした音が、階段下まで聞こえてきそうだ。皇帝が玉座に着くと、コツコツと靴音を響かせ、またさやさやとした衣擦れの音が聞こえてきた。高貴な身分の者が立てる物音に、その人物が第一シャオジェだろうと皆が思った。

 足音が止まり、一拍置いて朗々とした声が響く。


「大義である。面を上げよ。」


 フェイツェイは耳を疑った。響く声は若い男性の物で、中性的と言われても女性と間違えるほどの声ではない。皆に合わせてそっと顔を上げれば、皇帝を覆い隠す幕の前にその人が立っている。流れる金の髪を一部結い上げ冠を被り、優し気な紫の瞳で一同を見渡す年若い青年。豪奢な刺繍が施された衣装も間違いなく男性物だ。


「神々の恩寵を受け、無事本日、成人皇族として名乗りを上げることを許された。母たる皇帝陛下から賜りし名は慈龍ツーロン。」


 優しい面差しをしているのに、雰囲気は凛々しく力強い。フェイツェイの大切な思い出が、霧か雲の様に掻き乱されていく気がした。


「これからは拙いながらも公務にも関わっていくことになるだろう。未熟な私を支えて欲しい。集まってくれた皆の為、ささやかながら宴の席を設けた。心行くまで楽しんでいってくれ。」


 わあっと歓声が上がる。口々に祝いの言葉が飛び交う中、フェイツェイはただじっとツーロンを見ていた。視線が交わることは一度もなかった。


 その後のことはよく覚えていない。フェイツェイは地に足がついていないような酷く覚束ない感じで、挨拶に来る者達と会話を交わし食事を共にして、家に帰って衣装を剥かれ風呂に入れられ、気付いたら寝台にいた。侍女達はいつも以上に反応がない主に、慣れない社交界に疲れたのだろうと判断し、「おやすみなさいませ」と明かりを消して下がって行った。

 しんと静まり返った暗い部屋の中、フェイツェイは横になるでもなく細く窓を開いた。青白い月の光が差し込む。目を閉じれば、広がるのはいつもの懐かしい景色ではなく、今日の堂々たる青年の姿だった。溜息をついて目を開ける。今まで見てきた世界が根底から覆った。生まれて初めて心細いと思った。


「……ジェジェ。」

「何ですか?」


 独り言に返事があって息を呑む。夢で聞いていたより低い、若い男性の声。宴の挨拶で聞いた青年の声だ。ただあの時の様に張りのある声ではなく、柔らかく懐かしい響きをしている。顔が出せる程度に窓を開け、きょろきょろすると「しー」となだめる声が聞こえた。


「どうぞそのまま。暖かくなってきたとはいえ、夜風は体を冷やしますよ。」


 労わるような優しい響きに目頭が熱くなる。この人は私のジェジェだ、とすとんと胸に落ちた。


「ジェジェ、どこですか?」


 青年の注意を聞かず、上着を掴んで袖を通し、窓からするりと音を立てずに庭へと降り立つ。すぐ足元に布の塊があってぎょっとしたが、それは動いて白い肌を覗かせた。

 困ったように微笑む青年は、幼い頃の姿と重なって見えた。ジェジェを喜ばせようと高い木の実を取ったり、池に落ちた毬を拾おうと泳いだり、フェイツェイが危険を顧みずジェジェの為に何かしようとしたときの笑みだ。

 へたりと座り込むと、「汚れますよ」と慌てられた。


「ジェジェ……ジェジェだ……本物のジェジェ……」


 ぎゅっと彼の姿を隠す外套を握ると、困った笑みが深くなる。


「……フェイツェイが挨拶に来てくれるのを待っていたのですよ?最後まで私の前に現われず、既に帰ったと聞かされた時は本当に驚きました。」


 ぽんぽんと、優しく頭を撫でられる。


「ずっと様子が変だったとランチュァンもチィゥスェイも気にしていましたし、ほとんど食べていなかったとユージュから聞いています。……心配でいても立ってもいられず、来てしまいました。」


 内緒ですよ、と微笑むツーロンに、申し訳なくなって眉尻が下がる。


「ごめんなさい……その、びっくりしたんだ。ずっとジェジェは皇帝陛下と同じ女帝になるんだと思ってたから……まるで知らない男の人に成長していたジェジェを見て……」

「……失望しましたか?」


 悲しそうに目を伏せる彼に、フェイツェイは慌てて首を振る。


「ジェジェが悪いんじゃない、私が勝手に女だと思い込んでたのが悪かったんだ。……こうして話をして分かった。ジェジェはジェジェだ。何も変わらない。」


 その言葉にツーロンは目を見開き、照れたように、困ったように微笑む。


「……フェイツェイは相変わらず真っ直ぐですね。それに美しく成長して、眩しいくらいです。」


 フェイツェイはきょとんと瞬きを繰り返し、じっと自分の手を見る。


「……そんなことを言うのはジェジェくらいだ。誰もそんなことは言わない。」

「皆がフェイツェイの魅力を知らないだけでしょう。私は知っています。誰よりも情が深く、信念を貫き、努力するあなたを。……別れてからずっと、花を贈ってくれたでしょう?」

「……届いてたのか。」

「ええ。私の毎朝の楽しみです。」


 驚くフェイツェイに、嬉しそうに笑いかけるツーロン。楽しみにしていてくれていたと思うと、何だか気恥ずかしい。


「……でも、明日から私の居室は後宮の外の宮になります。秘密裏の贈り物は、もう受取れなくなりますね。」

「ああ……」


 彼の健康を祈願して贈り続けていた花は、もう必要ない。寂しいが、仕方のないことだ。


「……残念だけど、ジェジェが元気だってわかるなら良いんだ。これからはジェジェの情報がずっと簡単に手に入るだろう?ジェジェの傍近くに仕えられるようにこれからも頑張るから、見ていてくれ。」


 表情変化の乏しいフェイツェイが微笑みを浮かべると、ツーロンが息を呑んだ。


「……フェイツェイ……」


 少し声が震えている。どうしたのだろうと軽く首を傾げると、彼の両手がフェイツェイの手を包み込む。


「ジェジェ、どうし――」

「聞いてください、フェイツェイ。」


 ツーロンの声は、緊張に少し硬くなっている。心配して覗き込んだ瞳は、意志の強い光を宿していた。返事をするのも躊躇われる空気に、コクリと喉を鳴らす。


「私の、妻になってくれませんか?」


 その言葉に、フェイツェイは固まってしまった。


ジェジェは何を言っているんだ?

妻?誰が?


 そんな言葉が頭の中をぐるぐるする。何か言わなくてはと思うものの、真剣な瞳が自分を見据えていて、喉が張り付いたように言葉が出ない。無言の時間は長くなく、ふっとツーロンが表情を柔らかくした。


「困らせてしまってごめんなさい。でもきっと、今しか本当の気持ちを告げることは出来ないから。」


 少し悲しげに目蓋が伏せられる。


「これから私がこの望みを口にすれば、あなたは妃として召し上げられるでしょう。でもそれは私の本意ではない。……あなたの気持ちを無視するのは、嫌なんです。」


 そして優しさの中に寂しさを滲ませた笑顔を向け、続ける。


「私はあなたを慕っています。一人の女性として。」


 ガツンと頭を殴られたような衝撃。今までにないほど大きく目を見開いて硬直した彼女を見れば、その衝撃はツーロンにも伝わった。

 いつか一生をかけて仕えたいと思っていた人の想い人が、自分だというのか。その隣に立つのは自分ではないと、ずっと思っていたのに。そう、もし今の彼の隣に立つとしたら――


「……な、何故ユージュではないんだ?ユージュの方がずっと可愛いし、女の子らしいし、きっとジェジェとお似合いで……」


 想いに対する返事ではなく、他の女性の名が出てきたことに、ツーロンは傷ついたように目を伏せる。


「私はフェイツェイを慕っているのです。他の誰でもなく、あなたを一番可愛いと思うし、一生を添い遂げたいと思う。世間一般で言う女の子らしさは関係ありません。私が望むのはあなただけです。」


 自分とは一生縁がなさそうだと思っていた口説き文句が、今まさに目の前の青年から発せられている。彼の本気を悟って、胸が高鳴るより、困惑が上回って混乱する。


「私、は……誰かを好きになったこともないし……ジェジェの(つるぎ)として一生を捧げるつもりで生きてきて……きゅ、急に、そんな事、言われても……っ」


 目頭が熱い。思考が頭の容量を超えてしまって、もう泣きそうだ。こんな情けない姿を彼に晒す日が来るとは思わなかった。ふいに、庭木が揺れて人の気配が現れる。


「主君、限界です。お戻りを。」


 気配が発した声はランチュァンのものだった。声は静かだが緊張している様子がわかり、二人に遠慮しているのか姿は見せていない。ツーロンは名残惜しそうにため息をついて、襤褸(ぼろ)を被り直し立ち上がる。


「わかりました。……宮殿の従者には内緒で抜け出してきたのです。フェイツェイも内緒にしていてください。今夜のことを知っているのは、ランチュァンとユージュだけです。返事は急ぎません……今夜は色々あって疲れたでしょう?ゆっくり休んでください。」


 ツーロンはそっとフェイツェイの頭を撫で、ランチュァンの居る木陰に向かって走って行った。そのまま二人の気配は消え、残されたフェイツェイは呆然とその場に座り込んでいたのだった。

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