3.少女の日常―訓練―
武官候補生養成所、屋外訓練場。朝の訓練を前に、既に候補生達が集まって各々体を温めるために運動を始めている。男女比は半々くらい。一国の軍人の候補生にしては女性が多いような気もするかもしれないが、この国では普通の光景だ。
現在の皇帝が女帝であり近衛兵は女性が好ましいこと、シャオジェの性別により男女どちらの近衛兵も需要があること、他国とは良好な関係にあり長い間戦争がないことなど、女性が軍人になることには忌避観が少ない。だが本当の理由は、この国特有の神の加護がある為だろう。
訓練場に監督役の教師が数人入って来た。それを見た候補生達は言われずともキビキビと整列していく。点呼の後、一人の教師が口を開いた。
「本日は神のご加護を武術として使いこなす為の訓練をする。新加入生は先輩の気の流れをよく見ておくように」
元気よく返事をする一同を教師が見回し、ひとりの男子に目を留めた。
「チンロンの藍川。前に出て見本を見せなさい。」
「はっ!」
返事をした男子は慣れた様子で教師陣の前に進み出る。歳の頃は十五、最上学年の五年生だ。肩甲骨に届きそうな青い長髪を後ろで一括りにしている。最前列に並んだ新加入生を見る瞳は髪と同じ濃い青で、厳しさを秘めた眼光を宿している。
「皆、座学で神のご加護を術として利用することを神術と呼ぶと習っただろう。私は風を操る神術を得手とする。チンロン家の傍系にも多い能力と聞いている。本日は攻守に有用な盾と刃の作り方を実践しようと思う。」
はきはきとそう言うと、ランチュァンは集中し始めた。下級生が見やすいよう、ゆっくり丁寧に気を動かす。皆からは、彼から青白く靄が立ち上がるように見えた。彼が軽く手を上げて、ふっと軽く腹に力を篭めるように息を吐くと、立ち上がった靄が掌から射出されるように円を描き、次の瞬間その円に合わせて透明な壁のようなものが浮き上がる。教師がそれを確認すると、軽く木製の短剣を投げつける。盾にぶつかった瞬間、風が吹き出し煽られるように短剣が流され、カツンと地に落ちた。
「重要なのは効果をしかと思い描き、気を乱さず放つことだ。」
今度は訓練場にある人型の的に向け、さっと手を横薙ぎに振る。手から放出された気が弧を描き、的に飛んでいく。ざっと音を立てて人型が割け、中の綿が飛び散った。複数人から、おお、と感嘆の声が漏れた。
シェンユェンファの住人は皆、強弱に差はあれ神術が使える。非力な女性でも神術に長けていれば、十分軍人として通用するのだ。
「基本的な扱いは以上だ。まずは己の中の気の流れを把握し、集中して思い描いた通り動くようにすること。生活に密着した神術であれば誰でも使えると思うが、武術としての効果は薄い。より強く気を練ることが必要だ。」
説明が済むと、ランチュァンは教師達に礼をし、列に戻っていく。ランチュァンが戻ったのを確認すると、教師が振り分けを始める。
「では新加入生はまず己の気の流れを把握し、想定通り動かすことを目標に練習を。他の者達は各自組手の相手を探すように。」
全員が返事をすると、各々行動を開始する。一年生は端に並んで練習を始め、二年生以上は基本的に自分と実力の近い者を探して動き出す。
「さすがランチュァン兄、説明上手いな!」
ランチュァンに近づいたのは、白銀の短髪に日に焼けた肌、灰色の瞳を輝かせる少年だ。バイフー家の子で、名を秋穂という。三年生、十三歳だ。ランチュァンはフンと鼻を鳴らす。
「いくら実技が優れていても、フェイツェイにはこういう役目は向かないからな。」
ランチュァンの視線を追って、チィゥスェイも一人ぽつんと突っ立っているフェイツェイを見る。確かにフェイツェイに今日のような役回りをやらせると、「グッとしてブアッ」とか、「ドーン」とか擬音ばかりで訳がわからない。チィゥスェイは苦笑して話題を変える。
「なあランチュァン兄、今日はオレがフェイツェイ姉の相手してもいいだろ?ランチュァン兄はさっき活躍したんだからさ。」
「ぬかせ、あの程度準備運動にもならん。またむざむざ負けに行くのか?大人しく実力相当の相手を探せ。」
二人が睨み合っていると、フェイツェイがのこのこやってきた。
「二人も相手がまだ見つからないのか?」
呑気に声をかけると、最初に動いたのはチィゥスェイの方だった。くるりとフェイツェイに向き直り、誘いをかける。
「フェイツェイ姉、今日はオレとやろう!どのくらい強くなったか見てよ!」
その肩をランチュァンがガッと掴む。
「最初から勝敗が決まっていたら訓練にならないだろうが!俺にしておけ、フェイツェイ。」
フェイツェイはそんな二人のやり取りをボケッと見て、少し考えるように間を置く。
「私はどちらでも構わない。チィゥスェイの身体強化の術もなかなか侮れなくなってきたし、ランチュァンとも接戦が続いているからな。」
フェイツェイが決められなかったことによって、じゃんけん勝負にもつれ込んだ。彼らを遠巻きに見ている他の候補生達は、聞こえない程度の小声でこんなことを話していた。
「毎日飽きないわね、あのお三方」
「ランチュァン様もチィゥスェイ様も、実はフェイツェイ様をお慕いしているのかしら?」
「お気楽だな、残った方と当たった奴は堪ったもんじゃないぞ」
「四家同士で気安いんだろ?フェイツェイ様は確かに強いが、女としてはちょっと……なぁ?」
年頃な話題で華やぐ女子に対し、男子は戦々恐々で引き気味だ。じゃんけんに勝ったのはランチュァンだった。組み分けが終わり、訓練場にはピリッとした空気が漂う。教師が全体を見て、声を張り上げる。
「では組手を始める!お互いに礼!」
お願いします!と声が上がると、各所から拳を打ち込んだり弾いたりする音が響き始める。
一方、ランチュァンとフェイツェイは、じりじりと間合いを詰めるだけでまだ動かない。ゆらりと二人から気が立ち上り、場の空気が張りつめていく。最初に動いたのはランチュァンだった。素早くフェイツェイに駆け寄る。体格差で到達距離に分があり、拳がフェイツェイを捉えるかに見えた瞬間、フェイツェイが大きく踏み込んでランチュァンの懐に入り顎を狙って肘を繰り出す。
しかしその動きは読まれていて、見えない壁に阻まれ風が巻き起こる。フェイツェイは風の流れに逆らわずランチュァンから大きく距離を取る。フェイツェイから立ち上る赤い靄が炎の塊を生む。炎を纏うようにしてフェイツェイが駆け寄ると、ランチュァンは風の刃をいくつも生み出しフェイツェイに向かって放つ。炎と風がぶつかり合って爆炎を起こすがフェイツェイは構わず突っ込む。直後、ドンと重い音が彼女の背後で聞こえた。ランチュァンが風を纏って跳躍し、そのまま風を叩きつけるように蹴りを放ったのだ。無人の場所を踏み抜いたランチュァンの足元の石畳にヒビが入っている。射程圏内にランチュァンがいることを察知するなり、フェイツェイは回し蹴りを放つ。顔を狙った蹴りは紙一重でかわされた。足を掴まれることを厭いすぐさま炎を纏う。
二人が距離をとるのと、教師から声がかかるのは同時だった。
「止め!」
声に反応し、シュウと炎が消える。
「お前達は少し控えなさい。殺傷能力が高すぎて他の者の訓練にならぬ。」
教師の溜息と共に二人が周囲を見渡すと、他の候補生達は広い訓練場の端に寄り、恐る恐るこちらの様子を見ていた。ランチュァンとフェイツェイの周りは、風によって入ったヒビや炎を起こしたことによる焦げ跡だらけだ。チィゥスェイだけが、「二人ともすげー!」と目をきらめかせてこちらを見ている。
「「……申し訳ありません」」
試合に集中するあまり、周囲が見えていなかったようだ。二人は場を皆に譲り、端へ行って反省会を始めた。そんな日常に波紋が投げかけられるのは、数日後のシャオジェ成人の儀のこと。