2-7.準備と
未明。武官養成所の候補生たちは、まだ眠い中叩き起こされた。
先生方の説明によれば、凶悪な獣が付近で目撃されたため、訓練を早めに切り上げて撤収するとのことだ。
少なからず今回の演習を楽しみにしていた候補生たちは不満を持ちながらも、テキパキと撤収準備をしていく。
荷物を背負い、隊列を組んだチィゥスェイは、来るときと違ってフェイツェイの姿が見えないことに気が付いた。
「あれっ、フェイツェイ姉は?」
同じ班だった者に話しかければ、肩を竦められる。
「何か、昨夜のうちに具合が悪くなって、先生が先に帰したって。」
「は……?」
常に元気いっぱいなイメージのあるフェイツェイが、急病?と誰もが首を傾げる。
それでも先生に撤収を急かされれば、疑問はひとまず置いておいて帰るしかない。
「……無事でいろよ……」
事情を察しているランチュァンの声は、風に紛れて誰にも聞かれなかった。
◆◆◆
その頃、ユージュはツーロンに願って、彼の宮の広めの部屋を借り、床に大きな模様を広げていた。
ツーロンはユージュが神官だったことに驚きながらも、フェイツェイごと封印するのを防ぐ手立てがあると聞いて、急いで用意をしてくれた。
大体二メートル四方の布に、ツーロンにとって何を意味するのか分からない模様が刺繍されている。それをユージュは、羅針盤で方角を確かめながら、丁寧に床に敷く。
「ツーロン様は、この布の中心で待機していてください。わたくしが現地に行ってフェイツェイに声が届くよう細工しますので、合図をしたらひたすら呼びかけるのです。」
準備をしながら、ユージュはこの後の動きを説明する。
置いて行かれると分かったツーロンは、焦って口を開く。
「私もフェイツェイの傍へ行きます!」
「いけません。」
ユージュは、ツーロンの上げた声をきっぱり切って捨てた。
「今、成人の皇族は皇帝陛下とツーロン様しかいらっしゃいません。万が一にも何かがあってはいけないのです。」
「……あなたまで危険に身を晒すというのに、私だけここでのうのうとしていろと?」
「それがあなた様の役目ですので。」
淡々としたユージュの声に、肩を落として拳をきつく握る。自分はいつだって彼女らの足手まといだ、と。
いくら強い神術が使えても、いくら優秀だと誉めそやされても、自分は守られる側でしかない。
皇族として、皇位継承者として、自分は多くの人々に望まれている。その像に求められるのは、彼女たちと同じ立場に立って同じ様に喜怒哀楽を示すことではない。強く、堂々と、人々を率いていく姿だ。その像を裏切らない限り、という範囲でしか、彼女たちに並びえない。
だが、冷静に受け答えしていたユージュも、きゅっと唇を引き結ぶ。
「……それでも、あなた様のお力を借りなければ、この手段が上手くいく確率はずっと下がるのです。本当なら、私だけで試みるべきところを、あなた様を巻き込みました。フェイツェイにとっては、あなた様のお声が、一番の気付け薬でしょうから……」
情けなさそうに絞り出すユージュの言葉を聞いて、ツーロンは目を見張る。
こんなユージュを見るのは初めてだった。彼女はいつも彼女自身の臣下という立場、そしてツーロンの主君という立場を考えて、時に厳しく時に穏やかに、導いてくれるような存在だった。力不足を嘆き、自分を頼るしかない苦悩を見せるなんて……。
準備を終え、立ち上がったユージュは、ツーロンに近づくと透明な石を差し出した。水晶のように見えるそれは、だが水晶と違って仄かに青白く光っている。
「こちらをお持ちください。フェイツェイに声を届ける為に必要な物です。」
見たことのない石だったが、ツーロンは頷いて受け取り、両手で握り込む。温度の無いはずの石が、僅かに温かい気がした。ツーロンは、ユージュが広げた模様の中心に座って待機する。
それを見届けたユージュは、そっと部屋を後にした。
◆◆◆
明け方。皇帝の命を受けて秘密裏に捜索していた面々は、里山の入り口で倒れたフェイツェイを発見する。
這いずったのか服は土で汚れ、気を失っている。
命令のひとつ〈フェイツェイが無事だった場合、連れて帰る〉を遂行しようと、ひとりがフェイツェイを助け起こそうとした。
だが、仲間の鋭い声に慌ててその場を退く。
寸前まで彼がいた場所を、赤い炎が舐める。元気よく伸びていた雑草も、地面さえ焼け焦げた。
「ふう……ようやく動けるようになったか。」
そう言いながら立ち上がる彼女は、フェイツェイがしないような妖艶な笑みを浮かべる。瞳が赤く光り、風に流れる髪も赤い。
フェイツェイが荒神に乗っ取られた瞬間だった。




