6.うすらいさんのその後
遅ればせながら、病気の進行具合を記しました。
途中、アウトが多すぎて訳の分からない事になっています。
2023年12月5日に食事制限を受けてから、4週間。12月29日。
私、薄氷恋はキレた。
突然どうでもよくなって、研いだばかりのお米に冷凍むきエビとバターとコンソメと冷凍コーンを入れ、エビピラフを炊いたのだ!
毎日ホッケやタラや鮭を焼いて、味噌汁はワカメ抜きで具は豆腐のみの食事。
キレないでいられるか。
12月21日のクリスマスパーティーも、なんとかグラタンとケーキ(糖質オフの4号ケーキひと切れ(苺はパートナーにあげた)でしたが、ホイップクリームが美味しゅうございました)を食べたものの、世間一般の方は皮がテリッとしたチキンやカリッと揚がったチキンを食べてるかと思うと奥歯がギリィッ。
いや、奥歯抜いたんだったわ。
奥歯手前の歯がギリギリッ!
自由に好きなものを好きなだけ食べられないストレスでまたお腹が痛み、エビピラフを前に「もうホッケが嫌なんて言わないから、今だけエビピラフを食べさせて……」とパートナーに泣きながら訴える始末。
好きなものを自由に食べられないというのは思ったより遥かに苦痛なんですよね。
腐女子、いえ、歳的に貴腐人だったので好きだったBL漫画も生々しいのは読めなくなりました。
だって、レクタブルを入れる時、お尻めっちゃ痛いんだもの。
検査の時、「これBL小説書く時に実体験活かせr…………無理無理ムリムリ。痛い痛い」って腐女心が萎みました。
そんな訳で正月用に買ったみかんも薄皮剥いて食べる羽目に。面倒くさくて、みかんはほとんどパートナーと母の口に入りました。
はい、そんな話は置いといて、お正月パートと行きましょう!
2024年元日。朝も昼も食事制限。悲しい。
そして午後4時寸前、パートナーの叔母様達が訪れた直後、令和6年能登半島地震が起きました。
こちら(奈良県)も、震度3でした。
当時石川県に友達が居て、胸は痛むは、腹は痛むはで、まあ大変。
(結局、友達は石川県を離れて関東の自宅に帰ったんで安心しました)
問題なのは、外食に出た叔母様が持ってきて下さったおせち。
蓋を開けた瞬間「鰻巻きあるよ~」とパートナー。
私も思わず「鰻巻き~!?♡」とトゥンクして……。
鰻巻きを2切れ食べました。
はい、アウトー!!!
後は田作りもかじりました。
はい、アウトー!!!
パートナーが嫌いな金柑が入ってたんで食べました。
はい、アウトー!!!
そして外食から帰ってきた親戚ーズから
しらす丼のお土産を頂き、食べました。
ホームラン!2点リード!
なんのゲームですか?
その夜はパートナーの甥っ子くんが夜泣きしてたので、思う存分、刀剣乱舞ONLINEをプレイしてました。
だって朝から忙しかったからカフェインゼリーをキメてたんですもの~。夜泣きなんか無くても眠れねーわ。
翌朝。ゆうべは おたのしみ でしたね。
(刀剣乱舞の連隊戦を)
ブランチはコメダ珈琲店に誘われ、でも限定メニューしか無かったから
コメダ特製デミグラスバーガーを頂きました。
はい、アウトー!!!!
夕食はホッケ焼いて食べてました。
はい、セーフ。
親戚ーズはまた外食。お土産に焼きおにぎりをお願いしました。
と、いったところで親戚ーズから着電。
叔母B「焼きおにぎりは冷めたらご飯が固くなるんやって。だから代わりに炊き込みごはんのおにぎりは大丈夫? 具は(後略)」
私「大丈夫です!」
おあげとごぼうと人参とコンニャクでした。食べました。
勿論アウトです。
その晩、早くに甥っ子くんが寝たのでみんなでYouTubeのジブリ動画鑑賞会。
シータのシチューを再現したものが美味しそうでした。
あとはわかるな?
翌朝のブランチはモーニングとコメダ特製ビーフシチューを食べました。
肉は一欠片だけにして、残りのシチューを食べた所で離れたテーブルに居た叔母様Bが言いました。
「あんなに脂の少ない肉なら食べたら良かったのに。多分シチューの方が脂多いで」
デッドボール!!!!
そんな食生活でしたが、無事?正月を乗り越え、少し体調悪いかなー?、また食事制限って言われるかなー?って思いながらずるずるとアウト気味な食生活を続け、それでまたストレスを溜める。
そして1月15日を迎え………ついに年明けの通院です!
年始の病院やべーわ。午後に行ったのに採血番号162?
採血看護師さん3人体制で?
一日一人あたま54人も血を抜いてるの?怖っ!
そんな事を考えながら採血され、このエッセイを半分くらい書いてたら……。
「うすらいさーん」
「はーい!」
ドキドキしながら診察室に入ると、S先生と、N先生が主治医だった頃から外科外来に居る看護師さんが迎えてくれました。
新年の挨拶もそこそこに、診察。
なんと、炎症反応はほぼなし! 血沈も24……!!
S先生「これは寛解と言っていいでしょう!」
私「やったー!!」
思わずバンザイする私。
微笑んでくれる先生と看護師さん。
そういえばパンフレット貰うのをすっかり忘れてたから要求したら
「IBDサプリ」というアプリのパンフを貰いました。
これ、今も使ってますがすっごい便利です!
一日の排便回数や、下痢が何回あったかとかをスマホの画面をタップするだけで簡単に記録出来ます。
血便の有無や、下痢止め飲んだか否か、後は総合的な体調をラジオボタンで一発記録出来て、更にメモ欄もあります。
私はメモ欄に朝リアルダを飲んだら記入、朝昼晩おやつに至るまで記入、更にお通じの状態まで記入してます。
これ、寛解前に教えて欲しかったなw
後は何食べて良いですか?と聞いたら
「何でも食べていいですよー」と返ってくる幸せ!!
診察室を後にした私は、口笛のひとつでも吹きたい気分でしたが、約20年前に罹った顔面神経麻痺の後遺症で私はを口笛吹けないんでした★
とにかくその日から浮かれまくった食生活に戻りましたが、唐辛子系には手を出してません。
とにかく嬉しくて。ポテチもアイスもチョコも解禁したし、鶏肉も皮付きで食べられる!
でも不思議とファーストフードには手を出しませんでした。
1回だけカップ麺に手を出した後はちょっと調子が悪かったからです。
それでも食べる事が大好きな私は、嬉しくて嬉しくて、色んなものを食べました。
そして───1月30日。
便器が赤く血で染まった。
慌ててかかりつけの救急病院へ連絡。
S先生はオペ執刀中。暫く待っているとオペが終わったらしく、看護師から電話。
看護師「今すぐ来てください。無理なら明日来てください。血が止まらないなら救急車も視野に入れて下さい」
緊急事態に頭はパニック!
でも車は持ってないし、バスもない時間。
更に24時間以内にファ〇マで支払いしなければいけない案件を抱えてたので、ファミ〇に行き。
病院には翌朝に行きました。
その余裕は何かと申し上げますと、翌朝、小用だけを足してトイレットペーパーでお尻まで拭いたら血が……。
あ、これ痔だわ。(少し安堵)
という訳で潰瘍性大腸炎の再燃に少し怯えながら病院に行くと……
ひえぇ、なんじゃこの採血受付待ちの列は!?
20人は採血申請機の前に並んでました。
並びすぎて別の廊下に列の最後尾が。
私も並ぶ。勿論並ぶ。
しかし、トイレに行きたくなって列を離脱。
再び並んだ時には列は短くなってましたが、採血番号は84番。朝10時で?
調査兵団採血部隊さん達、お疲れ様です……。
さて、S先生ですが、奇跡的にその日の午前中のオペの予定が変更になり、午前中まるまるフリーとの事で沢山お話をしました。
まず、痔の可能性を伝えてIBDサプリのメモを見せると、S先生に下着を下ろして診察台に上がるよう指示されました。
そこからが少し笑えるんですが……
S先生「あれ、ゼリーがないよう」
S先生「空っぽだよう。いくら振っても出てこないよう」
(奥の看護師に向かって)「ゼリーなーいぃ? こっちの空になってるよう」
(私に向かって)「ごめんねぇ、寒いよねぇ」
私は尻を出したまま診察台の上で笑いを堪えていました。(尻は寒くなかった)
やっとの事でゼリーを手に入れた先生。私の尻を診察するなり……私も先生も悲鳴を上げました。
「うすらいさん! ひどい切れ痔だよ! 指入れた時点では切れてなかったけど肛門鏡を入れたら、もう裂けてて新鮮血がブワーッって出てる!」
痔とか潰瘍性大腸炎専門の医者に「ひどい」と言われる私の切れ痔とは???
「ポステリザン軟膏は入れてたんですがね……(ぐったり)」
「これはポステリザンじゃ力不足やね。出血を止めるのに特化した軟膏に変えるね」
そして血液検査の結果を見ると……
炎症反応はまだ普通。しかし血沈は32。
S先生「再燃はまだしてないけどちょっと怪しいね。お腹に優しい食べ物を心掛けよう! チョコレートはバレンタインまでお預け! 先生もね、1年のうち8割くらいお腹を壊してるから一緒にガンバろっ? ねっ?(コテッと首傾げ)」
「はいっ!(コテッとつられて首傾げ)」
あれれ、先生もお腹弱いのですねぇ。
首を傾げる仕草が私とそっくりですよ。
そして……4日後……先生との約束を破ってラーメン屋に行きました。
(パートナーの誕生日ゆえに外食したかった)
ケーキも食べた。(パートナーの誕生日だから)
チョコレートも食べた。(腹が減って)
アイスも食べた。(いっぱい食べた)
ギョーザのタレにはラー油。
そして今日、2024年2月9日……アイスとソフトクリームとカレーライスを食べて、また痔がひどくなってる(白目)
尻に度重なるざまぁをされても学ばないね、うすらいさん!
次回通院は2月19日!
次回更新まで、いいねとか色々押して私を元気付けて下さい……。
マジで再燃勘弁!
痔も勘弁!