次の舞台へと
遊郭での一件の後、速やかに店は移動を始め、それにともない赤松の宿場女郎たちは根城としていた宿場町からその姿を消していった。
元々が無理のある生活をしていたものも多かったのだろう、遊郭が一つの場所にまとまり、それに伴って遊女の質も今までよりも遥かに求められるようになっていくことがすでに予見されていたため、現状ですら質の悪いと忘八に判断された遊女たちは例外的に足抜けが許されたようであった。
とはいえ彼女たちの人生はまだまだ苦難の連続だろう。しかし、私がそれにわざわざ手を差し伸べることはない。
慈善事業として国家をまわしている訳ではないのだ。ただの不良債権にしかならない使えない人材を抱え込むつもりはない。
とまあ、そんな事が記された報告書を眺め終わると、私はその報告書を差し出してきた桐吾へと返す。
「結構」
「遊郭の移動にはまだ時間がかかる見込みですが、新たなる遊郭の建物を建設するということで人や金が活発に動き、経済が活性化しているようです。それも、華燐姫………あなたの策略でしょうか?」
「国が貧しい時には何であれ産業を興す。経済を立て直す際には必要な事です」
赤松を攻め落とし、更に次いで貨幣制度の普及という国策のために大量の資金を投じた六櫻の国庫は空に等しい。
どこぞの独裁者のやり方は、この場合には非常に適していた。遊郭街の建設には土木関連の仕事を行うものが多く集い、彼らに対して商売を行う者もまたあつまる。ただそれだけでも、多くの金が動き、そして金が動けば税となって国庫に収まる。
………まあ、年貢の場合は年に一度の徴収となるため今回の税は関銭と呼ばれるものが主なのだが。
関銭とはつまるところ通行税だ。関所を通り過ぎる際に徴収される税だが、この赤松には最も強固で天唯南部にとって重要な龍の口という関所があるため、事業が活発になって人の往来が増えればその分だけ金が生るのである。
「浮いた金は他の場所に回します。須璃に居る衣笠の双子とも相談をしながら、次の事業に取り掛かりなさい。―――以降は自身で判断するように」
「御意に、華燐姫」
流石に国主としても一流であったあの赤松彰吾の血を引く男と言うべきだろうか、文官としての適性も桐吾は高く、後は任せても勝手に赤松を盛り立てるだろう。
既に手本は幾つか見せている。遊郭街の建設の他、検地による土地の税の正確な量の把握や青梅堂を巻き込んだ貨幣制度の完全なる浸透、そして金を利用した人の動かし方まで桐吾には叩き込んである。
私がいちいち確認するフェイズは終わりだろう。
「六櫻から続く街道の整備を赤松にも引き込もうかと思っています。それから、華燐姫が原案を出した石の橋と、それを利用した治水設備についても、赤松の技術者に声をかけ、進めていくつもりです。実現までには一年以上かかるでしょうが」
「好きにしなさい」
「それから、最後にもう一つ。あの子犬が、本格的に研鑽を始めたようです」
「………」
子犬の禿が優れた猟犬になるかどうかはまだ分からない。
風に乗せるがままに振り散らした花の種が、必ずしも開くとは限らない。けれど、じっと待つことは大事だろう。
私が彼女たちに望む能力はスパイである。戦う力ではなく、敵地に浸透し、情報を集め、情報的、破壊敵を問わず工作を行い、人心を操る、そんな駒だ。運動能力や戦う能力も勿論備えさせるが、それよりもまずは、裏切らぬ者という前提があり、強靭な意志を持って死をも厭わずに作戦を遂行する精神力。
現状は生意気な子犬だが、やがては大狼になる事を願おう。期待は、しないが。
「では私はこれで。それから青梅堂の小夜がお目通りしたいと」
「分かりました。通しなさい」
和紙にて綴られた報告書を小脇に抱え、一礼をして去っていく桐吾。
彼が先程言っていた治水設備はこの大きく領土を広げた六櫻にて同時進行的に行っている事業の一つだ。遊郭街の建設と同時期に行われているそれは、隼波木や赤松といった人口の多い所から多くの人工を引き込み、労働者として機能させることに成功している。
そして労働者が増えれば金も回る。益々貨幣制度はこの六櫻に盤石に根付いていく。やがてこの六櫻の金という根は天唯中に広がり、その蕾を付けるだろう。
………そんな金という猛毒の流布、その一端を担っているのが、今から訪れる小夜であった。
「華燐~?」
障子を音が鳴るほどに強く開いた小夜が浮かべるのは、怒りの籠った猫なで声という実に奇妙なそれであった。
額には青筋がたっているのが見えるが、私はいつも通り無表情で顔を傾げて見せる。
「どうしましたか、小夜」
「『どうしましたか?小夜』じゃないんですよ、あなたの無茶ぶりはあまりにも度が過ぎていると思いませんかねぇ、ふふふふふ?」
「今日の茶は天唯の中央の国で収穫された初摘みの新茶だそうですよ。気が立っているようですのでこれを飲んで落ち着いたらどうでしょう」
「それを献上したのはわたくしの商会ですが?!」
青梅堂から送られてきた新茶を隻腕で口に含む。
頭を抱えている小夜を少しばかり愉快な気持ちで眺めていると、いい加減怒る事にも飽きたのか小夜は茶を手に取り、それはそれは大きな溜息を吐きながらそれを啜る。
「華燐、青梅堂に事業を押し付け過ぎでは?他に使える商会はないので?」
「つい最近、腕の良い裏稼業の人間を見つけまして」
「………はい?」
「それによれば、事業を任せられそうな規模の商会には全てに鼠が潜んでいるようです。貨幣というものや六櫻が行っている公共事業については漏れたところで何の問題もありませんが、廻船問屋事業だけはそうはいきませんからね。現状、使えるのはお前だけです」
「裏稼業、忍びとは違うようですね?どちらかと言えば私に近い存在でしょうか」
「ええ。武を持って戦う乱破ではなく、溶け込むことで情報という力を得るという点ではかつてのお前に近い」
無論、スパイである彼らにはより優れた技術を持たせるつもりだが。
頤に指を当てた小夜はしばらく考え込むと、
「ああ、遊郭街。密かに裏稼業の人間を育てるならば確かに最適ですね。あそこは人が消えようと、増えようとそれを調べる術はありませんから。ましてや、天唯で初となる巨大な遊郭街となれば尚更ですね」
私の沈黙こそが肯定だと、小夜は理解しているだろう。更に彼女は数度頷く。
「ふふふ、信じられる商会はわたくし共の青梅堂だけと言われては多少の無理も通しましょう。とはいえ、やはり事業を集め過ぎでは?問題な事業を鼠の巣に振り分けても良いとは思いますが」
「別に好きにすればいいですが―――現状、一番金になる事業を手放すことになりますよ」
六櫻の御用商人である青梅堂に降ろした事業はその根幹として銀行事業である。これは国から離れさせ、より自由に貨幣経済を動かすために必須となるためこれからも青梅堂の根幹事業であり続けるだろう。
次いで、廻船問屋。これは六櫻のこれからを支えるためには必須となる。青梅堂はこの廻船問屋事業を通して金と流通を操り、私の欲しいものを手に入れるための道筋を作るのだ。
無論、暴走した場合には相応の制限を与えられるように既に法律は弄ってあるが、それはさておき。
この二つが現在の青梅堂の最も大きな事業であるが、それに加えて青梅堂に割り振った事業は貯水池の作成という実質的なダムの建設、古代ローマの要石の石橋技術を参考とした水道橋を用いた上水道の整備(桐吾と協力してのもの)に、塩田の開発と運用、石畳を用いた強固な街道の建造に、暴れ川に対抗するための橋の建造及び治水事業である。
これを敵国のスパイを警戒して、人数をやや絞った状況で行っているため、実際に働いている労働者は兎も角として監督者や商会内部の事務方からは悲鳴が上がっているらしい。
………残念なことに、根幹の二つは現状そこまで金を生み出すものではない。銀行事業は今は貨幣経済の浸透のために金を貸す事が多く、凄まじい程の金食い虫、廻船問屋事業も同じように実がなるには時間がかかり、更には人も金も飲み干していく。だからこそ、私は金になる事業を放り込んだのだ。
「本音を言えば軍需産業も放り込みたかったのですが、それは六櫻の軍内部に引き込むことにしました」
工廠部というものが軍部の中に新しく作られている。
流石に一般の商会に軍産業まで放り込むのは霧墨から待ったが掛かった。万が一の情報の流出や戦略の露呈を恐れたものであるが、それに関しては私も同じように考えていたので六櫻内部で抱えることになったのだ。
青梅堂にスパイが入り込むとは思っていないが、ヒューマンエラーはあり得る。複数の事業を同時に熟していれば、偶発的に混ざってしまう危険性はゼロにはならない。ならば、完全な機密として内側に隠す。
例え現状が精々刀や槍といった装備の作成や、その作成を行う刀工の囲い込み程度しか行っていないとしても、だ。
「人が足りないのですよぅ。具体的に言えば私が信頼できる人間が」
「青梅堂にも鼠が入り込もうとしていると?」
「今、この天唯南部で成り上がり、巨大になりつつある国家の御用商人ですからね。鼠を踏み潰すだけでも忙しいんですよ、華燐?」
―――軍に関係する事業を任せていないとはいえ、青梅堂が戦う術を持っていないわけではない。
「………暫く待ちなさい。黒鵬衆が本格的に動き出したのならば、鼠除けに貸し出しましょう。それまではあなた自身の嗅覚で耐えなさい」
「まったく、無茶ぶりばかりですね。どれほど耐えれば?」
「一年。一年後に、六櫻はまた大きく変わる。それと同時に影の中を舞う翼も芽吹くでしょう。だからそれまで、耐えなさい」
茶を置く。開かれた障子からは、色濃い春の気配が注ぎこみ、芽吹きのにおいを含んだ風が私たちを撫でていく。
既に、赤松を滅ぼしてから暫くの時が過ぎ、今は四月の終わりごろであった。
まさに気が付けばというべきか。慌ただしく走り続けて、ここまで来た。けれど、ここからが本番なのだ。とりわけ、六櫻という国家の内側に踏み込んでいくのであれば。
………ふわりと揺れる桜が湯呑の中に落ちた。
「次の桜の季節までとは、また長いですね。けれど、あなたもまた大きな博打の準備をするように見えます」
「人生とは常に戦い続けるものですから。大博打の前には、運以外の全てを整えておかねばなりません」
櫻ごと茶を飲み干した小夜は、その湯呑を置いて、柔らかく微笑んだ。
「友の頼みとあれば、実現しましょう。けれど、約束は守ってくださいね、華燐。友として」
「私は約束を破ることは嫌いなのですよ。知りませんでしたか?」
「いいえ。知っていましたよ」
それだけをいうと、小夜は立ち上がる。
「贈り物の準備を引き続き進めておきますね♪」
声音を変えてそう言うと、一礼をして去っていく。その後ろ姿を見ながら、私は風に揺れる自身の髪を、隻腕で掴んだ。
「六櫻」
………私を縛る呪い。
「天唯の前に、貴様らだ」
地獄を広げ、歩む道。その道の始まりは最も苛烈に焼かれていなければならない。
私の計算があっていれば、伏すのは一年。その間に、六櫻の病に侵された枝を全て間引く。
―――私は戦いは、次の舞台へと向かう。
これにて一旦ひと段落となります。
多分暫くファンタジーな新作書くと思います。また新作が出来たらお付き合いください。また時間がたったら戻ってきます。




