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赤松の後始末、遊郭街 その5




ぴしゃりと閉じられた襖の奥、畳の敷かれた灯りの無い室内を照らすのは、外と繋がる障子から仄かに差し込む光だけ。

白から桃へと変わる奇妙な色彩の髪をした、私とそう歳の変わらない少女が、その隻眼で私を射抜く。


「さて」


紅い左眼と、花飾りが施された狐の面を右目の上に付けた、六櫻の姫だという彼女。

仄かな光を背負うその人に、思わず私は見蕩れてしまった。


「特別に憧れるのであれば、お前に一つ、選ばせてあげましょう」


彼女の帯紐が解かれて、その下から小刀が現れる。

どうでもいいとばかりに放られたその小刀が、私の足元へと落ちる。トス、と軽い音が響いた。

小刀と、六櫻の姫。その二つに交互に視線を彷徨わせていると、彼女は更にその左腕を使って、自身の胸元の着物をはだけさせる。


「あ、あんた何を………!!?」

「特別になりたいのでしょう?」


薄い、あまりにも薄い胸元だと思った。女性らしい柔らかさがないわけではない。けれど今にも壊れそうな、金細工のようなそれ。

遊女に付き従う禿として、成熟した女の身体は何度も見ているが、それとはまったく別種の、禁じられた美しさを感じた、感じてしまった。

私のそんな思考などどうでもいいのか、彼女は静かに話を続ける。


「その小刀を私の胸元に差し込めば、簡単に特別な存在になれるでしょうね。私はこの赤松や―――それ以外にも敵が多いですから。私の命を奪ったというだけで、ただそれだけであなたは特別な人生を歩んだことになる」


………私にもわかる。そんなことをすればどうなるのか。

私は特別にはなれるのだろう。ほんの僅かな奇跡の道と引き換えに、私は残りの人生をすべて失うことになる。

それでも、分かっていても、想像してしまう。間違いなく特別な二人を率いるこの少女の命を、私の手で奪ったその未来を。その、快感を。


―――きっと、気持ちが良いんだろうなぁ。


放られた小刀を手に持つ。畳に当たった音は軽かったが、引き抜いてみれば存外に重かった。

これが凶器の重みということなのだろうか。命を奪う道具には、ただそれだけで重さが宿るのだろうか。

私はその切っ先を、服をはだけさせた六櫻の姫へと、向けた。


「………」


傷だらけの癖に、なんであんたは綺麗なんだ?なんで、刃を向けられて、怯えもしないんだ?

一歩進む。けれど、六櫻の姫は動かない。瞬きすらせず、静かな瞳で私の瞳を見つめる。

さらに一歩。彼女の紅い瞳が、私を見透かすように、私を熔かすように、私を暴くように、見る、視る―――。


「さあ。あと一歩ですよ、子犬の様な禿よ」

「ッ!!」


手に持った小刀の先端がいよいよ、その触れただけで折れてしまいそうなほど薄く、けれど本当に仄かに柔らかく膨らんだ少女の、その心臓の上へと辿り着く。

切っ先が肌を裂き、珠の様な紅い雫が伝っていく。彼女の左の隻腕が、私の頬に触れるか触れないかのところで手招くように揺れる。

逆光、影に染まる六櫻の姫の表情。

………跳ねる鼓動、荒くなる息は私のもの。特別、この刃を差し込めばそれだけで私は、きっとどんな形であれこの鳥籠から出られる。首だけになっても、それでも一瞬の栄光を得られる。

だけど、それでいいのか?


「おや、どうしました?」


私が、私としての自我を得た時から、私はこの鳥籠の中にいた。

優しい鳥籠、けれど逃げ場の無い鎖の牢。姉はその世界に順応して、この鳥籠の中でも燦然と輝く”特別”となった。その時点で、姉は籠を抜けて、太陽のような存在になった。

姉に付き従う私は禿。髪の伸び切らぬ、見習いの遊女。そして、私は分かっていた。私の性格では、姉さん程にこの鳥籠の中では飛ぶことが出来ないと。

だからだ。だから、私は特別に憧れたのだ。この鳥籠から抜け出すための夢として、そんな夢想に浸ったのだ。


「仕方のない子犬だ。しっかりと握っていなさい」


手にかかる力が強くなった。抵抗が強くなった………何故?

定まらない視線の先で、傷だらけのお姫様が、小刀へと自身の身体を押し込もうとしていた。肉を裂く感触が更に強くなり、あと一瞬でも私がこのまま呆けていれば、きっと私は私が憧れた通りの、夢想した通りの特別に、なれるだろう。

一瞬だけの、考えなしの栄光を得るだろう。

―――あれ。だけど、私が望んだのは、そんなものだっけ?


そう、考えた私の瞳に、彼女の紅色が映る。その桜色の唇が、笑みを描いているように、見えた。


「………」


トスリ、と刃が畳に刺さる。

気が付けば私は自分の胸元を強く抑えて、蹲っていた。お姫様の胸元に刺さる筈だった刀を、畳へと叩き付ける様に突き刺して。

顔を上げなくても分かる。きっと、六櫻の姫様はさっきの笑みが勘違いだったのかと思うほどの無表情で、私を見降ろしている筈だ。

だけどこれでいい。私は間違ってない。


「保身じゃ、ないよ」


絞りだす。声を、気迫を。

抑える胸の奥へと宿った熱を、確かめる様に。


「私が欲しいのは、歩き続けられる力だ。栄光じゃない」


この鳥籠の外で、嵐が吹き荒ぶ夜の空の上で、それでも飛び続けることのできる翼だ。

なぜ、特別になりたかったのか。それは特別な存在には力があるから。私は、鳥籠を抜け出して空を自由に舞う翼に憧れたのであって、ただの飾られただけの冠になど、興味はなかったのだと、やっと理解した。

視線を上げる。頬から汗が垂れる。後光を背負う、お姫様を目を見開いて、視界の中に収める。

その後で自分の心に問いかけるのだ―――だったら、じゃあ私が憧れるのは?


「栄光を諦めると?」

「うん。いらない」

「………選んだ道によっては一生日の目を見ることもなく、影と人の波の中で埋もれることになる。歴史には残らず、記憶にも残らず、あなたを覚えているのは私のようなごく一部の者だけになるでしょう」

「それで、いい。自分の翼で飛べるなら。鳥籠の外で、確かに生きているって言える道なら、それでいい。どんな困難な道でも、歩いてみせる」


傷だらけの、壊れた足でそれでも地獄へとつながる道を堂々と歩く、そんなあんたに―――お姫様に、付いていけるなら。

同じ道を、歩けるなら。

特別なんかには、もう憧れない。代わりに、私はこの綺麗なお姫様に、憧れる。そして、彼女がその昏い道を進むための導となるのだ。

きっと私はこのお姫様に乗せられている。この一瞬で心を掴まれるように、誘導されている。

それでいい。例え心を操られたのだとしても、確かにこの心の奥に灯った熱は、本物なのだから。


「合格」


簡潔に言い放たれてすぐに、お姫様は私の横を通り過ぎる。

慌てて振り向けば、いつの間にかそこにはお姫様が従えていた、女武者が立っていた。蒼い瞳を薄く開き、彼女は私を見定めている、それが分かってしまう。吐き気がするほどの威圧感。


「腕前はまだまだですが、その心構えがあれば最低限、役には立つでしょう」


いつの間に?

一切の気配を感じなかったし、音もなかった。そもそもさっき蹲った時には見えなかった。無意識に首元に手を当てながら、私はお姫様に震える声で問いかける。


「………一応、聞くんだけど。私が本当に小刀を刺すつもりだったら、どうしてたんだ?」

「たわけ」


ぴしゃりと言い切ったお姫様はさらに続ける。


「何事にも備えておく。それは私の様な凡人にも必須の考えであり、これからのお前はさらに徹底しなければならないのですよ」

「えっと、つま………り?」

「首と胴が永遠に泣き別れにならずに済んで、良かったですね」


やはり最初から掌の上で踊らされていた訳だ。私がどうしようと、私に栄光など訪れなかった。

それでいい、無意味な飾りなんて価値はない。この気付き(・・・)の方が余程価値がある。

両手と膝をつき、完全に服従するように傅けば、お姫様は「精進しなさい」と着物を直しながら襖の向こうへと去っていく。



憧れに、追いつくように。あなたに付き従えるように。その言葉の通りに、精進しよう。



”枯草屋”の禿、黄葉。

その名は今日この時より消え失せて、それから暫くして身元不明の女児の死体が見つけだされる。恐らくは遊郭街移転のどさくさに紛れて枯草屋を足抜けしようとした禿であろうと判断され、それはこの黄葉という禿だろうと噂された。

………黄葉の名が消えてから凡そ一年後、六櫻の姫の周囲には最も強力な刀である夕影と、俗に()と称される馬廻衆………洲鳥と珠によって率いられる白鬼衆に続き、()と呼ばれる、もう一つの影なる刃が現れたという。

その名は正体不明の”黒鵬(こくほう)衆”。従来の忍びとはその在り方を大きく変える、六櫻の姫の切り札の一つ。

終ぞ、六櫻の姫の旅路が終わるまでその正体を晒すことなく、歴史の闇に生まれて歴史の闇に消えた、櫻の影。その長は、六櫻の姫とそう年端の変わらぬ少女であったというが、情報は錯綜し、その実態は誰にもわからなかった。



活動報告に書いた通り、そろそろこの作品がひと段落するので別のものに着手したいと思います。幾つか案がありますが、今のところ特に要望がないので作者の気分の予定となっております

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