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赤松の後始末、遊郭街 その3


とはいえ、だ。とてもじゃないが今のままではこの禿は役に立つような代物ではない。

現在の評価は鳴き声ばかりが喧しい子犬でしかない。芸を仕込んだところで、それを使いこなすことは不可能だろう。姉である柃は、そんな黄葉の現実のことを流石によく理解しているようであった。


「………黄葉。さがっていなんし。ここから先はお前が関わっていい話ではありんせん」


私の事を睨み付けたまま、柃が黄葉に対してそう命令する。

しかし当の禿はその言葉を無視して、じっと私の隻眼を見つめていた。


「あんた、なんで」


何の変哲もない、肩にかかるかどうか程度の短めの黒髪を揺らして、同じ色の瞳で私を見つける子犬の様な禿。


「なんで、私を選んだんだ?」


そんな彼女が発した質問。

私はそれを、鼻で笑って返した。


「ああ、成程。お前、私がお前に何か光るものを見て、お前を選んだと思っているようですね。お前の姉の方は本当に利口だが、お前はその半分も賢しさがないらしい」

「なっ?!」

「勘違いをするな、阿呆。お前にこの提案をしたのは、偶然でしかない」


花魁が溜息を吐く。子犬の様な禿が、再び歯をむき出しにする。

私はそんな彼女たちを無視して、忘八の方へと視線を向けた。言ったはずだろう、私は子犬だけに選択を与えた訳ではなく、子犬を含むこの遊郭全体に提案したのだ。

即ち、お前たちはどうする―――と。

そもそもどうであれ、私のどの提案に乗るとしても、忘八という存在の意見なしには、遊郭に所属する女たちの行く先は決められない。ましてや忍びの者としての技術を学ぶのであれば、先ずこの枯草屋という遊郭に忍びの業を組み込んだこの店主の力添えなしにはどうしたって成り上がれない。


「………我らに何の利がありましょう」

「赤松遊郭の好きな場所に店を構える権利。それから、最も大きな店を作る権利。不足ですか?」

「本当に客が訪れるのかも分からない」

「性という娯楽の強大さはお前がよく知っているでしょうに」


大柄な図体とは対照的に呟くように話す忘八。彼は顔を伏せると唸るように考え込んだ。暫くはこのままだろう。

視線を切り替える。遣手の方は静かに私と、そして遊女と忘八を見つめていた。この場で一番落ち着いているのはこいつだろうな。

さて。すっかり話しの蚊帳の外に置かれてしまった黄葉は顔を真っ赤にして、私たちの方へと向かおうとするが、その腕を柃に捕まれていた。


「………黄葉っ!あんた、いい加減にしなんし!!何度も言っているでありんしょう?!世界はそんなに、甘くないと!!」

「―――うるさい!そんなこと、分かってるよ!それでも、私はこんな鳥籠で枯れて死ぬのは嫌なんだ!」


力強く柃の腕を払おうとして、しかし体格的にまだ黄葉よりも柃の方が強く、離れない。

禿はそれでも私の方へと近づいて、叫ぶ。


「あんた、私を拾ってくれ、私を見つけてくれ!!なんだってする、ここから逃げられるなら!」

「………」


黄葉、ではなくその背後の柃に対して頷く。

パッと手が離された瞬間、畳に頭をぶつけながらも黄葉は私の前に跪いた。

私はその様子を冷めた目で見つめる。酷い三文芝居を見せられているようだ。だってそうだろう?未だ、心のどこかではお前は、自分を選ばれた存在だと己惚れているのだから。


「本当に何でもする、と?」

「ああ」

「その覚悟があるなら、鳥籠の中で一生を暮らすことだって何ら変わりはしないと分かっていますか?寧ろ、その方がずっと簡単だ」


鳥籠と称した遊郭は確かに、器量が足りなければ、最下層の夜鷹として病を持った客に安値で売られ、鼻を欠けさせて死に至る。

けれど柃のように位が高くなれば滅多にそのようなことは起こらず、身請けされることだってある。そうなれば、鳥籠からも抜けだせて、人並み以上の幸せを手に入れることも夢ではないだろう。

だというのに、大した理由もなく、嫌だから―――劣等心と反抗心で、多少色褪せているとしても、それでも幸福な楽園を捨てようとする。実に、間抜けだ。


「馬鹿、間抜け、阿呆。三拍子揃っている。なあ、黄葉。私を見なさい、私の欠けたこの身を見なさい」


―――これが、いいや。これよりももっと悲惨な姿が、今のお前の未来の姿だ。


隻腕で潰れた右目を見せつけ、膝を崩して着物をはだけさせ、切り落とされた両の足の付け根を露にすれば、黄葉の表情がはっきりと歪んだ。

夕影が素早くその着物を直すが、この傷跡ははっきりと子犬に焼きついただろう。


「夢を見るのは結構。けれど、忍になるということは兵士とは違う意味で苦難の道を行くということになる。改めてしっかりと言っておきましょう。お前は何ら特別な所などない餓鬼だ、このままでは必ず私たちに多大な迷惑をかけて死ぬでしょう」

「特別じゃないことなんて………分かってる」

「いいえ。分かっていません。お前は未だ、特別に憧れている。人は皆、その出生を、その人生を、鮮やかに彩るような聖性に憧れを覚える」


確かに天唯を覆う下剋上の気風、戦国乱世ならばそう思うのも間違いではない。

なるほど、才能があり、努力を怠らない人間ならば手が届くのだろう。けれど、そう言った存在は………背後の桐吾や夕影、或いは霧墨然り、夢見がちなだけではないのだ。

その力に見合った計画性を、死の縁でなお前に進めるだけの精神性を。私やお前の様な凡人では持ちえないその気の触れたような鋼の意思こそが、特別であることを―――天才軍師に達人、果てには一騎当千と呼ばれるに足るだけの実力を与える。


「この世に特別な人間など一握り。子供は成長の過程で自身が特別にはなれないことを理解し、実力に見合った人生を送る。けれどお前はまだそれを知らない、理解していない」


私はお前を選んではいない。

私はお前を見出していない。

私はお前に期待していない。


まずは、そこからだ。その現実という苦い味を知るところからだ。そうでなくては、とてもじゃないが、諜報機関として使えない。

………とはいえ。私としてはこの禿のこと自体は、多少の関心はあれど本質的にはどうでもいいのである。まだなんの技も学んでいない子犬になど期待する方が間抜けというものだ。そもそも私は人間に対して何の期待も抱いてはいないが。

第一の目的はやはり、忍びの技をなぜか身に着けている、この忘八である。

偶然による拾いものだが、私のスタンスは変わらない。使えるものはとことん使う、使えないものはさっさと殺して処分する。それだけだ。子犬も、使えそうなら使うが役に立たないならさっさと野垂れ死んでもらうだけである。或いは、柃を上手く使うことに利用する。


「まあ、選ぶとしても二つ目の道にすることです。教え導く、それもまた、平坦な道ではない」


無論、三つ目の最も険しい道に比べればはるかに楽なものだろうが。

………第一、私が欲しいのは諜報機関だ。この時代、普通の忍びというのは里に暮らし、普段は農民として生きている。しかし対価を渡すことによって、彼らは農民から忍びへと姿を変え、時に情報を集め、時にその武力を持って戦に臨む。

情報収集に優れた傭兵集団、それが戦国時代の忍びの在り方である。

多少形式が異なるが、小夜がそうであるように、商人として市井に紛れる者もいる。彼らは忍びに属し、商人として得られる情報を密かに届ける。

しかし、だ。この時代のそう言った斥候たちは、その土地に暮らし、その土地の中に骨を沈めることすらある。その中で諜報任務を忘れ、只人となり、死んでいく―――この時代、そう言ったことも割とざらにあるのである。

私はそんな中途半端な忍びなど要らない。欲しいのは、それこそ現代の諜報機関の様な、情報という金にすら勝る宝を確実に入手し、届けることのできる顔も栄誉もない兵士なのだ。

その道を歩くのに、特別に憧れるような餓鬼が務まるものか。


「まあ、断定するのはまだ早計でしょうが」


小さく、本当に小さくそう呟く。誰にも聞こえない程度の囁きで。

私は子犬に期待していない。反骨心だけで安全な鳥籠を飛び出そうとする考えなしだ。

―――けれど。あれは、無鉄砲であっても一歩踏み出したのだ。先の見えないくらやみに、阿呆なりに進んだのだ。なれば、その度胸だけは、評価できる。

歩くだけの足はある。前を見据える瞳はある。あとはその心と、覚悟だけ。

一度、徹底的に蹴落として。それで上がってこなければその程度。喰らい付くならば、使えるかどうかの判断はしてやろうじゃないか。

尤も、先に判断を確かめるべきは、この遊郭の主にして、仕込み(・・・)を行える忘八なのだが。


「答えを聞きましょう。先送りすることは認めません。今、ここで答えを述べなさい」


扇子を掴み、男の顔をへと向ける、

………ようやっと。ざんばら髪の忘八が顔を上げた。




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