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赤松の後始末、遊郭街 その2



遊郭の廊下と部屋を繋ぐ襖が閉じられて、私はゆっくりと腰を降ろす。

着物の隙間から覗く私の義足に、遊女と禿の視線が向くのが見えた。


「珍しいですか。まあ、そうでしょうね。一応は貴重品のようですから」


欠陥品とはいえ、だ。

禿の方は少しばかり顔を顰めたが、遊女のほうは表情を崩さず、座敷の上座の方でじっと私を見つめていた。


「それで。いったいわっちらに何のようでありんしょ」

「営業用の言葉は要りませんよ。私はお前の身体を買いに来たわけではない―――いや。ある意味では身体なのか?まあ、良い」

「あくまでもわっちは遊女、そうはいきなんし」


どちらにしても詳細な話は遣手と忘八を待たなければならないのだから。

柃とかいう名の遊女に目線で指示され、禿が渋々と言った体で私の前に茶を置く。湯呑に触れてみれば、少しばかり温度が高すぎる。片手ではうまく飲めないだろう。

手でその湯呑を机の奥へとずらしつつ、暫く待っていれば襖の開く音がした。

足音は二つ。大きいものと、先程の老婆のもの。それは私と遊女の間に存在する机の脇にそれぞれ左右分かれて座り込んだ。


「忘八。八つの徳を忘れたとされる、遊郭の主。お前ですね」

「………」


無言で頭を下げるのは、無精髭を生やし、ざんばら髪をした大男だった。

時代劇等でもあまり忘八という存在は描写されないが、贅沢に遊び惚ける女郎買いか、或いは遊郭の主人の事を指すことが多い。

当然、忘八を呼んでこの男が来たという事はこの宿場女郎たちの元締め、小さな王国の主がこの大男という訳だ。とはいえ、


「身の程は弁えているようですね」

「赤松を下した六櫻の姫と、その姫に忠義を誓う赤松の血を引くものに対して、頭を垂れる以外の選択がありましょうか」

「それで良い。賢いものは嫌いではない。さて、ここは遊郭―――当然、秘め事はその胸の裡に仕舞っておいてくれると、そう判断して良いのでしょう?」


小首を傾げてそう水を向ける。大男は一瞬だけ動きを止めた後に、何かを合図する。それに反応したのは遣手の婆である。溜息を吐くように唸ると、僅かに指を動かすのが見えた。

そっと桐吾が私の耳元に忍びより、囁いた。


「天井の裏に潜んでいたものが居なくなりました」

「油断も隙もないですね。まあ、国家によって制度が保証されていないこの宿場の遊郭では、他の手段によって身を守らねばやっていられなかったのでしょうが」


そう………例えば、遊郭には地元の名士や権力を持つものがやってきて、遊女相手に重要な情報を話すこともある。本来ならばそれらのプライバシーは守らねばならないものだが、問題にならない範囲で巧く利用していたとしたら。

その情報の収集のために、一部の禿や遊女に、隠密の術を教えておいたのなら。

不安定なこの時代の遊郭でも、大店と呼べるに足るだけの勢力を手にすることは出来るだろう。無論、それは確実に薄氷の上の危うい安定なのだが。


「六櫻の姫は武には優れていないと聞き及んでおりましたが、どうやらそれは誤りのようだ」

「いいえ、合っていますよ。ただカマをかけただけですから」


ようやく少し冷めた茶を啜りつつ、表情を変えない遊女と遣手、何が起こっているのかよく分かっていない様子の禿へと視線を向けた。

あの禿はまだまだ、何も仕込まれていないらしい。恐らくはあの性格が故に、ただの遊女としても遊郭の暗部を担当するような遣手としても、教育が出来なかったのだろう。

湯呑の中身が半分ほど減った。軽くなったそれを机の上に戻すと、私は着物の帯から扇子を取り出し、口元を覆う。


「では本題に入りましょう。まずは一つ」


口元の扇子を、遊郭の畳へと向ける。


「雑多に並ぶ遊郭を、一か所に固めます。これはすぐに六櫻全体の法として整備し、赤松だけではなく須璃や隼波木でも同じようになるでしょう。遊女は一つに纏める―――これより、本当の意味での遊郭街を作ります。お前たち枯草屋は、その赤松遊郭の先駆けとなる事を命じます」

「………何ゆえに、でしょうか」

「税を集めやすい。人の出入りの管理がしやすい。治安の維持が容易くなる。以上」


秀吉が遊女を集めた理由そのままであるが、実際に国家を運営するにあたってはそれ以外の理由など存在しようはずもない。


「返事は?」

「………承りました」


不服そうなのは、確実に遊郭街の中に組み込まれれば今以上に税を支払うことになるからだろう。それは諦めてもらうしかない。お上はいつだって絞り取れるところから金を奪うものなのだ。

金は天下の回り物、金を搾り取り、更に回す。私はただそれをするだけのこと。

その過程で不幸を浴びた人間に対してシャーデンフロイデを感じていようが私には知ったことではない。どうせ人間の本質は悪意と憎悪と欲望なのだから、全ては気にするだけ無駄である。


「まだ、あるようでござんすね」

「その通り。柃と言いましたね。お前付きの禿は娘か?それとも妹か?」

「………妹でござんす」

「今のままではお前の妹は確実に野垂れ死ぬか、夜鷹となって病に蝕まれて死ぬことになるでしょうね」

「なっ!お前、なにをいってやがッ………ウ」


私の指摘に感情を荒立てた瞬間に、先程と同じように鳩尾に打撃を受けて青い顔をする禿。学習しないというより、柃がその禿の事をよく理解しているといった方が正しいのだろう。

禿が動き出した瞬間には既に冷静に拳を叩きこんでいるのだから、流石は姉妹という訳か。


「勿体ないですね。良い姉を―――家族を持っているというのに、そこから逃げ出そうとするとは」

「………うるさい。結局どれだけいろんなことを覚えようが、私は姉さんみたいに美人じゃないんだ。一流の遊女になんてなれやしない」

「遊女に求められるのは目を引くような美貌ではなく、教養や知識だと聞き及んでいますが」

「はんっ、最後に物を言うのは顔だろ!あんたも私も、遊女っていう売り物としては同じように使い物にならないんだよ!」


そうは言うが、禿の顔は整っている部類である。整ってはいるのだが―――姉であるという柃は更に整っている。それはまあ、間違いないだろう。

好き嫌いと言う点では認知できないので、私の整っているは芸術的な意味にはなるが、柃の方がより静かな、彫刻的な美しさを纏っているのは事実だと感じる。ようは、姉に対する劣等感が反骨心を生んでいるのだ。

まあ、それ自体はどうでもいい。


「では、私より提案を行いましょう。禿、お前は黄葉(もみじ)とか言いましたね」

「………そうだけど」


自己紹介はされていないが、柃がそう呼んでいたのでそのまま名前で呼ぶ。

すぐ横の桐吾が今度は何をやるつもりだと言わんばかりの表情で私を見ているが、勿論無視である。


「お前には今、三つの道があります。まず一つが遊女にもなれず、野垂れ死ぬ道」

「………決まったわけじゃ、ないだろ」

「いいえ。この世界はお前の様な考えなしで、計画性の皆無な小娘が一人で生きていける程、易いものではないのですよ」


一度痛い目を合えば覚えるだろうが、大抵の場合痛い目を見た時が命の終わりである。

私だってそうだ。ああ、思えばあの時の私は本当に考えが甘かった。人間に、誠意をもって迫れば動いてくれるなどと、そんな信頼を置くべきではなかったのだ。最初から権力と暴力で人を操るべきだったのだ。

ちなみに、何度痛い目を見ても覚え無い馬鹿については知らない。勝手に死んでいろ。


「残り二つの道は複雑ですが、歩き慣れれば、いつかはお前の人生になるでしょう」


扇子を机の上に置き、黄葉に向けて指を一本立てる。


「二つ目の道。それは、六櫻の寺小屋の教師になる道です。お前は既に、最低限ではあるが遊女としての知識や教養を学んでいるようですからね。文字の読み書きに給仕。恐らくは算術も出来るでしょう?」


………茶を入れる際に、茶葉の入った箱を見分していた。文字を見て、適した茶葉を選んでいた。お湯の温度は高かったが、そんなことよりも文字がきちんと読めること、それ自体が重要である。


「姉さんに仕込まれたから………まあ、出来る。少しだけど」

「今のままでは教える側のものとしての力が不足しているので、もう少し勉学に励む必要はありますが、一番安定した道でしょうね」


なお、この寺小屋は六櫻の文官に対して開いているものではなく、大衆に向けたものだ。

貨幣の時代に於いては。ある程度証文や勘定が出来なくては困るので、せめて江戸時代初頭程度には民衆の平均学力―――とくに算数関係の力を上げておきたい。

金を回すには民がいる。民が計算できなくては、金が回らない。それは、困る。

遊女にはこういった算術が出来るものも多いので、本来ならば禁じられている足抜けも、場合によっては認めるような法律を作る予定である。それはさておき。

私は黄葉の前でもう一本指を立てて見せる。そして、目を細めた。


「最後の道。恐らくは最も険しく、最も危険な道でしょうね。お前に選ぶ度胸があるかは知りませんが」


黄葉が喉を鳴らす音が聞こえる。私は意図して、うっすらと唇を裂いて笑みを作ると、最後の道を黄葉へと伝えた。


「なん、だよ」

「―――忍びの者。私は、私のために情報を集める乱破者が欲しいのですよ」


先程天井を這いまわっていたあれらの技術を更に高めた、戦のための忍び。私が想定する忍びは、この世界において最も最初に創設されるであろう、専門的な諜報機関のことである。

遊郭、そしてその遊郭より生まれた知識を技術を持つもの。彼らは、その組織を構成する人間としては、非常に有用だろう?


「さあ、黄葉。お前は、いいや………お前たちは、どうしますか?」


私は、問いかけた。




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