赤松の後始末、遊郭街 その1
「騒がしいぞ、どうしたのだ」
私が興味を持ったことに気が付いたのだろう、先んじて隣の桐吾が花魁と禿に話しかける。
ふ、と意識を向けた花魁の方は華美に飾られたその髪型を崩れさせることもなく、静かに一礼をしたが、隣の禿の方は子犬のように歯をむき出し、唸っていた。
随分と威勢がいいことだ。そもそも私は兎も角として、桐吾の事は分からないのだろうか。
「………そこの小娘、ここに居るのは六櫻の姫と、赤松の名代だぞ。不用意な事をすれば首が飛ぶと知れ」
「知るか!!殺すなら殺してみやが―――いっつ!?!」
「おやおや」
死角であったため良くは見えなかったが、花魁の方が禿の鳩尾へと拳を捻じ込んだようであった。
暴言を吐いていた子犬の禿はそれによって息を詰まらせて、吐きそうな顔のまま黙り込む。あれはまあ、痛いだろう。
なにせ内臓に直撃である。桐吾もまたその流れるような一撃を見て、堅い顔を崩して苦笑していた。
「まあ、なんだ。華燐姫は行列を遮られたからと言って首を撥ねるような質ではないが、このような往来で騒ぐものではあるまい。他の店も迷惑がっているぞ?」
「ええ、ええ。確かにその通りでありましょう。御前を失礼させていただきます。………ほら、行くよ黄葉」
「………っ」
まだ青白い顔をする、黄葉と呼ばれた禿の腕を引いて店の中に戻ろうとする花魁。正確に言えば、宿場女郎か?
私は左の隻腕を唇に当てて数瞬考えると、その二人に呼びかける。
「―――待て」
「………なにか。もしもご機嫌を損ねてしまったのならば」
「いいや。私を案内なさい。今、すぐに」
「ちょっと待て、いや待ってください華燐姫。貴女、歳と性別を考えて」
「お前も大して変わらないでしょう」
「私は一応元服を迎えていますが!」
元服と裳着、それがこの世界の男女の成人の境。初潮の来ていない私は当然、まだ裳着を迎えていないので未成年扱いである。
まあ裳着を迎えていたら色々と困るのだが。神瀬の国が以前私に提示したタイムリミットは裳着が来るまで。実際のところは私に初潮が来たかなど分かる筈もないので、一年間が期限だろう。
その一年のうち既に半分は過ぎ去ったが、六櫻は須璃と隼波木、そして赤松を飲み干して天唯南方最大の国家となった。特に龍の口を抑えたこともあり、神瀬の国が一切の犠牲もなしに六櫻を滅ぼすことは不可能になった。
恐らくは最低でももう一年、奴らは様子を見る。多数の犠牲を出しながらの強行軍は、その時間を捻出するための物であった。
………それだけの時間があるのであれば、私にはまだまだ欲しいもの、作りたいものが無数にあるのである。その一つに、あの禿は使えそうだ。
「面倒ですね。未成年の女が女と遊ぶ店に出入りして何が悪い」
「悪いことしかないでしょう!夕影、あなたからも止めてください!」
「華燐様は男児に興味がないようでしたが、なるほど女色家でしたか。しかしその場合、世継ぎに困りますね。どうしたものか」
「変な勘違いをしていますね、お前たち」
はてと首を傾げる夕影はさておき、慌てる桐吾を無視して花魁の前に立つ。
立つ、と言っても目の前に行けば背丈の関係上、頭を下げている筈の花魁と目線は大して変わらないのだが。
「返事は?」
「………はい」
私を見ても感情を見事に抑え込む花魁は、流石と言うべきか。
ゆったりとした動きで顔を上げる彼女の瞳の奥には、しかし表情とは異なり明確な熱があった。その熱の名は、敵意である。
―――花魁は腰布に紐を巻かない。だから、身体をゆっくりと動かす必要がある。その時間のかかる動きのほんの一瞬に、私は彼女の耳元に近づいて囁きかけた。
「怖がる必要はない。私はお前たちの敵ではない」
無論、味方でもないが。
しかしその腹の内側は言葉にする必要もないだろう。どうせこの後に私を飲み込むのは、欲望渦巻く遊郭の戸の内側なのだから。
うっすらと口を裂く。笑みとは思われないが、一応は意識して浮かべた微笑みだ。
花魁はその汗の滲まない筈の顔に、代わりに苦しさを滲ませながら、絞り出した様な声で言う。
「どうぞ、こちらへおいで来なんし。遊郭、”枯草屋”、正式な取次は遣手へとお願いいたしんす」
「勿論。忘八にも話があります。まずは遣手の元へと」
「ようござんす」
営業用に遊女特有の廓詞へと変えた後に、店へと歩みを進める遊女の後を追えば、話しの流れについていけていない禿と、頭を抱えている桐吾が渋々と言った体で私のさらに後ろを歩く。夕影は変わらず、私の三歩後ろを追っていた。
宿場町に作られた遊郭、枯草屋。その店構えは当然、私の前世で知るところの吉原の大遊郭に比べればその規模は劣るだろう。しかし金をかける場所にはきちんとかけられているのが分かり、遊郭街の表店に軒を連ねる大店としての風格はきちんと存在していた。
室内の欄間は繊細な松の木が彫られており、動物の木彫りが行灯によって照らされている。
暫しそこで待っていると、店の奥から高齢の遊女が一人やってくるのが見える。
「お前ですね」
静かに首を垂れるその老齢の遊女の事を、遣手という。客と遊女を引き合わせる管理業務を担当する遊女であり、大抵場合は年嵩の、経験を積んだ遊女がその役に付くことが多い。
ああ、正確に言うならば元遊女だろうか?ちなみに彼女たちは一つの店に一人という訳ではなく必要に応じてその数が増える。
この規模の店ならば一人でも回せるだろう。赤松の遊郭の大店とはいえ、それでも発展しきっていない宿場女郎たちだ、どれほど品が高かろうと限度があるのだ。
「部屋をご用意させました。本来ならば柃は一度で常入れとはなりませぬが、赤松の名代様と―――六櫻の姫様となれば」
「情報が速くて結構」
「なにせ、姫様は特徴的でござんしょ。すぐに忘八も向かわせます。どうぞ、ごゆるりと」
数人の低級の遊女が私の周りにあつまり、部屋へと誘われる。とはいえ、その低級の遊女たちの視線の多くは桐吾の方へと向いていた。
私は既に人の美醜について気を遣うことが出来ないのだが、確かに桐吾は彼の父に似て整った顔立ちをしている。遊女の視線が向くのは納得できた。
当の本人は流石に慣れないのか、笑顔を浮かべつつも額にほんの少しだけ汗をかいているのだが。意外なこともあるものだ。
「初心ですね。まだ女を知らないのですか?」
「………あなたは男を知っているとでも?」
「犯されそうになったことならありますね」
「………」
口を噤んだ桐吾は放っておき、三階建ての遊郭、枯草屋の通路を進んでいく。イメージとしてはまさに昔ながらの遊郭そのもので、艶やかに飾られた木造の細い通路の脇に、幾つもの襖で仕切られた扉があるという形だ。
静かに進む私たちに、その襖の奥から女の喘ぎ声や、男の汚い声が僅かに響く―――文字通りここは情欲が満ちる場所。
「おや?」
しゃらん、と。
澄んだ鈴の音が鳴った。
「………」
夕影が刀に手を置く、僅かな音が聞こえる。
しかしそれよりも目を捉えたのは、鮮やかな、白にも銀にも見える髪だった。太陽に照って、眩しく輝く雪よりも綺麗なその髪色は鈴と風鈴が飾られた大きな角笠から垂れ落ちる程に長い。
それを複雑に編み込んで、腰ほどまでの長さとなっていた。
「女………?」
不思議そうにつぶやいた私の声が聞こえたのだろうか。角笠の奥から閉じた瞳がこちらの方へと向けられる。
―――閉じていた筈なのに、見られた。そう、感じた。
「ああ、お主が」
私を見て、その後閉じた視線は夕影を見る。桐吾の方へは向かず、そして視線は元の位置、前方へと戻った。
「良い時間だった。また機会があったら訪れよう」
「ええ、ええ。あなた様とのお話は面白いと遊女たちの噂になっておりんす。またお来してくりゃれ」
華美な白い着物を揺らして、その腰に細長い白鞘の刀を携えて、すれ違った鈴の音の女剣士は去っていく。
夕影が蒼い瞳をうっすらと開いて、その後姿を追っていた。
「夕影?」
「―――はい。行きましょう、華燐様」
彼女は何者なのか。少しばかり気になるが、それは本題ではない。
私が今やるべきことは他にあるのだから。
低級の遊女たちによって襖が開かれて、私は遊郭の一室へと足を踏み入れた。




