赤松の後始末、遊郭街
人の往来の激しい龍の口の宿場町を、私と桐吾、それから夕影の三人で進んでいく。一応やや背後に桐吾の付き添いの老兵がいるが、あれが私に話しかけてくることはまずないだろう。
当たり前だが私は彼に嫌われている。別にその感情を好転させようとも思っていないので、それでいい。
「流石と言うべきでしょうか、ここには町屋が多いですね」
「華燐姫の言う通り、赤松はまず最初に、交易によって栄えた国でしたから。彼ら商人たちはこの国の礎ですよ」
町屋というのは、居住区と店舗が一体化したものだ。分類としては住宅に当たる。
商業で栄えた場所には大抵こういった形式で店が立ち並ぶのだが、やはり宿場町と呼ばれる場所ではとりわけ大きく発展する。
この天唯ではまだ戦国乱世の真っ只中であることから、江戸時代程には宿場町そのものの規模が大きくなってはいないものの、この龍の口の宿場町は間違いなくこの天唯南方に於いて………いや、恐らくは天唯全体を見ても上位に位置するであろう規模だった。
それほど巨大な宿場町であれば、俗に言う表店と裏店が存在する。
先程から視界に入っている二階建てから三階建ての町屋は表店と呼ばれるもので、裕福な商人や高給取りの職人などが住んでいる場所である。裏店は文字通りそんな表店の背後にあり、比較的薄給の貧しい商人や下働き、職人が暮らしている。
ちなみに本来の日本では、町屋の発展は城下街が発展しきり、通貨もある程度浸透した戦国時代後期から江戸時代にかけてなので、若干この世界の方が商売の発展が速い事になる。まあ、人口が多い分より効率化しなければ商売が成り立たなかったのだろう。それはさておき。
「染物、野菜類に魚の干物、大工といった職人の店もあるようですね」
「あのあたりは大店ですね。彼らにとっては、恐らく六櫻銅貨の浸透は望ましいことでしょう」
「ふむ。では問いましょう。なぜそう思ったのですか?」
「………おっと、勉強の時間ですか、華燐姫」
狐の半面に揺れる鈴飾りを鳴らしながら桐吾の方を見れば、苦笑しながら自身の頭を軽く叩いた。
「物々交換では欲しいときに欲しいものが手に入らない。また、時によって物の価値が変わってしまう」
「半分は正解です、桐吾。戦が遠方で起これば行商人が武器を買い付ける。戦の中心地では武具や米、塩は高く売れ、反物といった嗜好品は値が下がる。時によって物の価値に増減があるのは、貨幣が浸透しても変わらない。しかし、物と物よりも物と金の交換の方が、物流は円滑に動く」
物々交換の場合、そもそも取引にならず物が停滞する場合がある。仮に売れたとしてもそれは最早二束三文で投げ捨てるようなものであり、本来の労力に見合ったものでは無くなる。
一か百かでなく貨幣という潤滑剤を挟み込むことによって、値崩れしたとしてもきちんと取引という形になるようにする。それもまた貨幣を導入した理由の一つであった。
後はなるべく米や塩と言った物を通貨として使わせたくなかったというのもあるが。あれらはれっきとした軍需品だ。出来れば金に物を言わせて国庫に納められる形に整えていきたい。
「………物の価値自体は変わるのか。ふむ、確かに当たり前ですね。金を挟み込んでも何かを欲する人の元にそれは集まり、あつまれば別の場所で不足する、か」
「需要と供給ですね」
或いは、神の見えざる手だろうか?世界恐慌の時には簡単に切り落とされた腕であるが、自由競争を讃える美辞麗句としてはこの上ない。
「藍染家………いえ。青梅堂は、既に銀行の支店の設立に向けて動いているとか?」
「ええ。小夜は、あの子猫は商機に敏感です。最近は徐々に人脈と商会の人工を増やしているようですし、この赤松の経済も上手く支配下に置くでしょう。お前も彼女を巧く使いなさい」
「逆に使われないかが心配ですがね………」
「精進することです。腕の見せ所ですよ」
そんな雑談を交えつつ、私たちは宿場町をどんどんと進んでいく。
町には様々な人がいた。日焼けした浅黒い肌を持つもの、色素の薄い髪を持つもの、驚くべきこととして西洋に近い顔立ちの者もいた。
天唯は大陸国家であり、他の国と地続きである。桐吾曰く、西方の国々は更に向こうの”遥かなる西”からやってきた民族と交わり、顔立ちや髪、目の色が特徴的であることが多いという。また、北方でも同じような現象があるらしい。
………最も北方は天唯と天唯に攻め込む蛮族との争いがかなり苛烈であり、交わる場合は奴隷としてであったり、或いは強姦されてという事が多いそうだ。それ故か差別対象にもなりやすいとかなんとか。
まあ私も含め、この世界には奇妙な髪色や瞳の色をしたものが生まれ落ちることが多いため、元の世界よりは差別意識が薄いらしいが。そもそも夕影とてあの細目を開ければ蒼い瞳が覗くのだ。
「っと、華燐姫。この先は遊郭街です。私たちにはまだ早い」
「………阿呆、これは視察ですよ。最も見なければならない場所の一つがここでしょうに。連れてきた文官も幾人か入って行っています」
「それは年嵩のものに任せれば………いや、貴女はそういう人ではなかったな。はあ―――分かりました、行きましょう」
しかし、と桐吾は続けた。
「遊郭街は正直に言って、治安がかなり悪い場所です。私や夕影殿、それから爺が居るにしても油断はしないように。いつ女衒に攫われるか」
「私を?どれだけ見る目がないのやら」
「いや、貴女は確かに傷を負っているがきちんと美しい………いや。なんでもありません、とにかく気をつけてください」
「………いいでしょう。分かりました」
正気かお前という表情で桐吾の顔を覗き込んでやれば、咳払いをしてそう締められた。
「私としてはあまり勧められることではありませんが、華燐様は頑固ですからね」
「失礼ですね。お前は変わらずに仕事をしなさい」
「御意に」
夕影にそう命令して、改めて遊郭街へと足を運ぶ。
「案の定というべきでしょうかね」
路地の裏の方には店を持たずに客引きをしている、鼻が欠けた女たちの姿が見える。
あれは治安が悪くなる。それに見た目からして梅毒も蔓延しているようだ。性を商売にしている以上は必ずそういった問題はついて回るが、この時代にあれを治す薬はあっただろうか。
「そのあたりの知識は流石にないな」
まあないなら、見つけだせばいい。既に舞台は整えられているのだから。
それにしてもまだ朝っぱら………は言い過ぎか。昼も近いというのに、随分と人が多い。この時代、灯りの確保といった理由もあって生活リズム自体が早寝早起きあとはいえ、よくもまあこんな真昼間から盛れるものだと呆れる。
人間の欲求とはどうにも、底なしである
「放せッ!!私はこんなところで働く気はねぇ!!」
「じゃあ野垂れ死になさい。あんた見たいな餓鬼がまともに飯を食えると思わないことね」
「どんなに死に方するにしたって、男に股開いて病気になって死ぬよりはましだね!」
「………」
大通りで聞こえてきたのはそんな喚き声だ。
幼い、とはいっても私よりはやや年上だろう声と、それを叱りつける大人の女性の声。
視線を向ければ、騒いでいるのは禿と遊女だろう。どのような関係性なのかは知らないが。顔立ちは似ているので、もしかしたら子供なのかもしれないし、年の離れた姉妹なのかもしれない。しかし、それよりも気になる事がある。それは、遊女の方の装いだ。
「花魁、か」
最も位の高い遊女。美しく着飾った、本来ならば見ることも難しいそんな遊女が居たのだった。
狩猟生活から抜け出せない




