赤松戦、決着
夕影が爆発的な加速で突っ走る。
彼女を追いかけてきた一騎当千と赤松の兵たちは六櫻が作り上げた漏斗の構えのちょうど中央を進み、この最終盤でいよいよその殆どが脱落した。
赤松の三人の一騎当千も瀕死、今まで命を賭して夕影の進行を防いでいた足軽やその他の侍も死に絶え、息をしているものの方が少ない始末。
………それも仕方がないだろう。六櫻華燐が居るのは漏斗の構えの中央部だ。赤松彰吾がその首を狙いにまっすぐ走ったのであれば、その最短で向かうための道筋は最も戦力が集まることになる漏斗の中央を突き抜けるという形になる。
夕影が居なければ、一騎当千の武力と精鋭足る赤松の兵によって抜けられた。だが夕影によってその武力は削りに削り取られて。
こうして、いよいよ夕影の刃が赤松彰吾の首に届く、その領域にまで来ているのだ。
腕の先を伸ばす。夕影には届かない。体勢を立て直すにはあと一呼吸足りない。誰も彼も、届かない。―――稲妻のように残像だけを残し、一刀によって僕たちを切り裂いた天狗の女が駆けていく。
血によって真っ赤に変色した視界の中で、お館様の姿が見える。そのすぐ先に、忌まわしい六櫻の姫の姿が、見える。
そうか。もうそんなところまでたどり着いていたのか。流石はお館様だと、こんな状況だというのに笑みがこぼれる。
………お館様が連れた最精鋭、馬廻衆は半数が姿を消していた。赤松の鎧を纏った兵が幾つか地面に伏しており、その頭蓋は矢が生えているか巨大な武器で叩き潰されているかのどちらかが殆どであった。
六櫻の姫へと意識を向ける。不思議な色合いをした小娘は、視線を一切逸らさずに、旗を持ったままお館様を見つめていた。色の無い、人形のような不気味な瞳で。
そこに来て初めて、お館様が何を危うく思っているのか、理解できた気がした。
「なるほどなァ………ありゃ、駄目だ」
人の営みを、人の心を、人の想いを、あれは切り捨てている。
知らないのではない。きっと、知っていて不要だと、そう判断しているのだ。何が彼女をそのようにしたのかは知らない。しかし、あのような人間が指揮を執る国がどのような呪いを振りまいていくかなんて、考えるまでも無い。
きっと全ての人間が不幸になる。あれの歩みは滅びの道筋になってしまうだろう。だからこそ、お館様はあれの前に立つのだと思った。
―――僕はあの人の従者だ。だからこそ、あの人を信じて、やりたいことをやらせる。深く、息を吸った。
***
いよいよ誰も夕影を止められず、戦場を突っ切って彼女は進む。進路上にいた騎兵二人を目にもとまらぬ斬撃で切り落としつつ、その刃はいよいよ赤松彰吾の首へと迫った。
「………」
―――極度の集中状態が故だろうか。私の視界は灰色と紅色以外全てが消えて、そして音も限られたもの以外の認識が出来なくなった。守られているだけだというのに、何に緊張をしているというのだろうか、私は。
確かに、国主として私は後ろに引くことは出来ない。だが、私に宿る血が、私をこんな場所で死なせは次第だろうと確信が持てるのだ。
一瞬だけ彼の視線が背後に向き、馬の腹を強く蹴るのが分かった。
薄めから覗く蒼い瞳に剣呑な光を宿したまま大刀を振り上げた夕影の一刀が、いよいよ振り落とされる。
「―――ッ!!!」
戦場の空を突くどよめき。血飛沫が舞って、しかし………赤松彰吾は、死んでいない。
恐るべきことに縦に両断された馬が、自身が死んだことにも気が付かずに数度蹄を動かし、バランスを崩して倒れる。その上を切り落とされた赤松彰吾の左腕がくるくると舞っていた。
甲冑の上から両断された自身の左腕には目もくれず、数度体を回転させて受け身を取った赤松彰吾は刀を抜き、私の方へと向かってくる。
「六櫻、華燐」
渋い声で、そう名を呼ばれた。獲りに来た。シンプルにそう感じた。
仕留めきれなかったことに動じず、再び斬撃を繰り出そうとする夕影の背後から轟く声が聞こえる。
彼の、いや彼らの動きは前へ、ただ前へと駆けるものだった。その目的は、ただ一つだろう。
「鬱陶しいと!!」
大地を大きく踏みつける夕影が叫ぶ。
「何度言えば!!!」
脇を引き、突きの姿勢をとる。
「分かるのですか!!!」
再びの稲妻の様な加速―――それは今度こそ、赤松彰吾の首を獲るであろう一撃。
「もう一度………すまないね、お前たち」
左腕を失った男は、そう呟いた。
………粉塵と血風を巻き上げながら迫る夕影の刃が鈍い音を立てて突き刺さる。
「が、はぁっ!!!ははは!!!行かせるかよ!!!」
「気合入れろォォl!!!これが、ガハ………正真正銘、最期だ!!!」
「―――カ、ヒュ………、!!!」
―――夕影と赤松彰吾の前に立ちふさがったのは満身創痍の赤松の一騎当千、三人。
血に塗れ、文字通り血反吐を吐いた彼らがその身を賭して肉の壁を作り上げて、奇跡のようにもう一度、夕影の歩みを止めたのだ。
更にはそれだけじゃない。駆けた指で、或いは片手で。
夕影の大刀を握りしめる。大地を深く踏みしめて、少しでも時間を稼ごうと、その散り行く命を更に燃やす。大刀の先から大量の血が滴り落ちて、大地にべたりと染みていく………。
夕影がその表情に驚きを滲ませて、そして初めて唇を噛み、強い苛立ちを表現して見せる。
味方ながらにあの女の歩みを止める、ただそれだけにどれほどの労力が必要になるのか、想像したくもない。彼ら三人は間違いなく、英傑と呼ばれるに足る存在だろう。
………敵ばかりを賞賛している場合ではなかったか。ほんの一時、十秒に満たない時間であっても、私の目の前にやってくる赤松彰吾には、時間が出来たのだから。
「………」
「初めまして、ですね」
左腕を無くし、その甲冑を泥に塗れさせ、それでもなお精悍な年齢不詳の美丈夫が、いよいよ私の前に立つ。
右腕に握ったのは一本の刀。一歩その足を進め、彼の背後の夕影がその度に暴れ、近づいてくる―――彼女が私の前に立つにはまだもう少し、時間がかかるだろう。
………低い姿勢で戦場を駆ける影があった。疲労によって荒い息を出しながらも振り回される巨大な棍棒の勢いは衰えず、しかし赤松彰吾はそれを難なく受け止め、返す刃でその影を、珠を殴り飛ばした。
「ギャッ」という悲鳴と共に彼女は吹き飛ぶが、呻いている様子から少しばかり意識を飛ばしただけだろう。
「ほう、まだ若いというのに優れた戦士だ―――まあ、彼女の事は良い。今は君です」
更に一歩。
カチャリと音を立てて赤松彰吾が刀を掲げ、私に近づく。私は表情を動かさず、ただその男を見上げた。
洲鳥や白鬼衆が彼を止めようとするが、珠ですら止められなかった彼を止めることが出来る筈もなく、倒れていく。元々疲労もたまっていたのだろう、悪態をつきながら動けなくなった洲鳥が膝を付く。
―――矢が飛ぶ。私を狙う一撃はしかし、白鬼衆によって逸らされ、私の首筋を薄く抉っただけに留まった。戦のまさに最終盤、そこで赤松彰吾が、私に語り掛ける。
「君は、戦を重ね、屍を積み重ね、死を積み上げた先に………何を望む?」
揺らめく炎影が、夜明け間際の薄明かりが、私たちを照らす。
私の視界は未だ血以外の全てが灰色だ。それでも光影だけは認識できる。血に塗れた男が、不思議な事を問いかけた。
はて。一体何を言い出したのだろう、この男は。カキリ、と壊れた人形のように、私は首を傾げた。
「なにも。私が、何を望む必要があるのでしょう」
「………野心なき野望とは。これはまた、厄介な事だ。それはいずれ、終わりなき呪いになるでしょう」
一歩、更に進む。
夕影がいよいよ、大刀を抑える三人の赤松の一騎当千を両断した。上半身と下半身が泣き別れした彼らはここで完全に生き絶えただろうが―――その死に顔は、不思議と後悔の影が見えなかった。羨ましいと、心のどこかで感じた。
………彼女が私の元に辿り着くまで、あと三歩。
「見つけなさい。君の願いを。それはいつか、希望となる。見つけられる今は、見つけるために生きなさい。見つかった後は、叶えるために、逝きなさい」
諭すように、男は語る。
それでいてその腕は、私を殺すために刃を振り下ろす。
矛盾しているようで、間違ってはいない。自らの利益のために動き、それでいてきっと彼は、最悪の事態を防ごうとしている。その手段と目的が、目の前の動きに反映されているのだろう。
例え片腕であろうとも、赤松彰吾の刃は私の細い首など簡単に斬り落とすだろう。
ああ、いいな。死ねば、私は楽になるのかな
心の片隅にそんなことが思い浮かんで。私は、鈍い痛みを発する足を動かして、前に進む。
夕影が辿り着くまで、あと二歩。私が、赤松彰吾に首を獲られるまで―――あと一歩。
「生き残ることが、出来たのであれば。私の言葉を、覚えておいてください」
………刀が、死が振り下ろされる。
遠くで叫ぶ声が聞こえた。叫んでいるのは私の名だ。洲鳥が、珠が。
そして夕影が、叫んでいた。
鈍い煌きのそれが私に斬りかかられるその寸前。
「―――ッ!!!」
甲高い音をたてて、その刀が弾かれる。
驚愕に見開かれる男の視界に飛び込んでくるのは、欠けた鏃の矢………遥か後方より射られた、正確無比な一射であった。
………驚いたのは、赤松彰吾だけではない。私もまた、私を守るように、否。事実私に迫る凶刃を防いで見せたその一撃に、ほんの少しだけ目を開いた。
「………古森」
弓兵の名を口にする。彼女が矢を射る際に見せる鷹のような鋭い瞳が思い浮かぶようであった。
やがて目線は殺意と共に私を諭す男のそのやや後ろへと。何もかもの踏み潰すかのような足音が、大地を揺らすような錯覚をすら私に感じさせ………そして、彼の背後にいよいよ死神が現れる。
「残念、あと一歩足りませんでしたか」
「最期に言い残すことは?」
「特には………ああ、いや」
彼の背後で、無言のまま夕影が大刀を構える。
私と彼、二人の国主はそれを知りながら、静かに言葉を重ねた。最初で最後のやり取りを。
致命の刃のその後で、私たちはほんの一時だけ、ただの人として立つことが出来たのだろう。
彼は少しだけ苦笑しながら、呟いた。
「私の死後の赤松を、どうか―――」
頼みますか、それともよろしくなのか。
その言葉を私が聞くことは出来なかった。何故ならば、言い終わる前に………その男の首は、宙を舞っていたからである。
横凪に大刀を一閃した夕影が、その首が地面に落ちる前に手で掴む。その首はこの戦を終わらせるための、重要な鍵なのだから、当然だろう。
ふわりと私の前に首を持ったままの夕影が降り立ち、片膝を付いて私の前に跪く。その後ろでは、頭蓋を無くした赤松の国主の首から、勢いよく血が吹き出しているのが見えた。
左に握った旗から手を放し、手を伸ばす。霧となった血が、私の額を穢していく。私の腕を、文字通りに染めていく。
「………勝利だ。六櫻の勝ちです。さあ、勝鬨を上げなさい」
「華燐様。こちらの、首を」
「ええ」
恭しく差し出された赤松彰吾の首級を旗の代わりに持ち、私は進む。前に、前へ、遥か彼方へ。
薄く笑う死者の首。その目から何の感情も読み取れぬ、閉じた瞳。年齢不詳の美丈夫のその首を掲げながら、私は嗤った。
私の願い。呪われたこの身に、そんなものが抱けようものか。
―――下らないと思う。それでも、その言葉はどうしてか欠けた心に綺麗に嵌るようで。
「歩みを止める訳には行かないのだから」
どんな理由であれ、立ち止まることはもう出来ない。この命と魂を燃やし続けるためには、燃料足る理由がいる。赤松彰吾としては、その焔が正しく燃えることを期待しているのだろうが。
「そんなこと、最早自分自身ですら分かりはしない」
私がどのように身を焦がし、この天唯という天下を灼いていくのか。私を含めて、誰にも分からない。
ただ言えることは、私はこれからも歩み続けるという事であり、そして―――この戦が終わったという事だけだった。
夜明けの冷たい風が私の頬を撫でていく。これで終わりではない、寧ろここからがようやく始まりだ。
大きな戦が終わった。さあ、では………次の戦争を始めましょう。
戦場を埋め尽くしていく歓喜の声の中で、私は色なく温度なく、冷たくそう、口の端を歪めたのだった。
戦闘描写はずっと苦手。
赤松編と後処理が終わったら少し別の書くかもしれません。




