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天狗と一騎当千



止まれ―――と声を張り上げる。

しかし戦場を暴れまわる雷は、僕の声など聞き入れはしない。


”囃子。私のために死んでくれませんか?”


その言葉が脳内で何度も強く反響する。


「糞が………」


速さならば決して劣らないと自負していた。僕の刃には老兵の鋭さも、壮年の侍の重さもなくとも、それでも速さこそが力であり、その速さによって一騎当千という名を持つに至ったと理解しているから。

一騎当千は我流の戦い方をするものも多い。達人という壁を越えられるものは常人ではなく、故にこそ只人の戦い方では収まらない。根底にこそ基礎があろうとも、特異な発展を遂げ、それは戦場における鮮やかな花となる。

………足の速さだけならば、夕影にも届くと想っていた。だが、現実は?


「糞がッ!!!」


届かない。

あの天狗の娘は僕たちとの戦いに飽いたのだろう。今までで一番冷たい目をすると、背後を振り返った。がら空きのようにも見えるが、その時に赤松の兵の全てが感じ取ったのは最悪の予感(・・・・・)であった。

夕影を抑え、先んじて六櫻華燐を仕留める―――それが表向き(・・・)のお館様の作戦だ。その背景には僕には分からない何かがあるようだが、それでも赤松はそこに勝機を見出し、賭けた。

しかし夕影は更にそれに先んじてお館様を仕留めるつもりなのだ。赤松の一騎当千三人がかりで挑んでも、夕影を留めるだけで精一杯。しかし逆に言えば留める事だけは出来る。

この戦場で最も強い兵を止められれば、お館様の策が実を結ぶ可能性は非常に高まる。それを、この女も理解していたのだろう。だから僕たちに背を向けた。

………例え手傷を負うとしても。


「お前がッ………お前がッ」


肉を切らせて骨を切る―――弱者である僕たちではなく、お前がそれをするんじゃねぇ、と。心の中で叫ぶ。

勿論現実ではそんなことはしない………出来ない。限界まで足を廻し、久方ぶりに息が切れる。それでも天狗の娘には届かなかった。


「ッチ」


鋭敏になった耳に夕影の舌打ちが聞こえた。

見れば彼女の頭上に幾つもの矢が放たれている………背後、後方からの決死の援護だ。

きっとあいつらは更に背後から攻め込んできている、螺鈿城を焼いた六櫻の別働隊によって死ぬだろう。しかし僅か数秒でも、夕影の動きが止まったのだ。

隙とも呼べない数瞬。しかし距離を詰めなければ何も出来ない!!


「じっとしてろ、クソ女ァァァァァ!!!」


鬼きり藤吉が煌く。

再び、漸く僕は夕影に追いついた。


「囃子に続け、包囲を緩めるな!!!」

「死しても肉の壁となってあの女を止めろ!!!お館様に近寄らせるな!!!」


稲葉と大槻が叫びながら、戦場の隊列を立て直していく。再び膠着状態に持って行かせるために。

………僕の役割は、こいつを動かせないこと。死んでも、お館様の元には行かせない。

大地を蹴り抜いて下段から肉薄し切り上げる。それを紙一重で裂けると、すぐ傍に迫っていた矢を大刀を振り回して吹き飛ばす夕影。

袴から覗く、化け物じみた怪力には似つかわしくない程よい肉付きの太腿に力が入ったことを認識した。僕は刀を振り抜いているためにすぐにはそれに反応できない。だが、それ以前に………この状況で、僕を無視して更に先に進もうとしていやがるのか?


「まずい、距離を取られる!!!」


僕という一騎当千にとどめを刺す事を些事と投げ捨てた、凄まじいまでの傲慢。しかし赤松にとっては最悪の一手。

足軽が槍衾を開くには時間がかかり、そもそもこいつ相手に役には立たないだろう。達人ですらない只の兵の槍など、その先端を散歩でもするようにこいつは踏みつけて駆けていくはずだ。

どうする、手が足りない!!


「「フンッ!!!!!」」

「―――ッ」


僕以外の一騎当千二人が、その跳躍を止めようと捨て身で大上段から斬りかかる。

火花を散らせつつ、剣と槍が夕影の持つ大刀と鎬を削った。


「オ、オオオオオオ!!!!」

「囃子!!動けェェェェ!!!」

「………ッ、応!!」


二人の声に叱咤され、刀を構える。狙うのは最速の突き、それを正確に喉元へと突き入れるのだ。

まさに千載一遇、夕影が急いたからこそ見せた、本当の隙。決して見逃せない。


「死ね!!」


構え、突き入れるまでに一秒すらかからなかった。しかし僕の視界は反転し、気が付けば地面に投げ捨てられていた。

何があった?頭を打ったのか、血が流れ額が疼く。思考がまとまらないが一瞬の後に頬を叩いて気付けとした。顔を上げると、僕の脇を稲葉と大槻が同じように投げられている光景が目に入った。

………こいつ、一騎当千二人で押さえられているというのに、その大刀を手放して僕を投げたのか!!

押さえつけられることを嫌って、一瞬力を抜いた夕影は甲冑柔術で僕の腕を掴み、そのまま投げ捨てた。さらには鮮やかすぎるその投げの間に一騎当千二人の背後に回った夕影は、そのまま両腕の力で大の男二人を投げ飛ばしたのだ。中空で柄を下にしながら落ちてくる大刀”深緋櫻”を手にした蒼い瞳の女武者を見て、僕は思わす口の端を吊り上げた。


「敵わねェな、この天狗には………けど」


言いながら、既に立ち上がっていた。止める。止める、絶対にここで止める。

頭から血を流しているためだろうか、楽しくてしょうがない。肺が爆ぜるほどに苦しい筈なのに、それすら感じなくなり始めていた。

ああ。きっと僕はすぐに死ぬな。それでも、お館様のために。

………奔る。その両脇には、すぐさま立ち上がった二人の一騎当千が追従した。

いいや、それだけではない。赤松の全ての兵が夕影の前に立ちふさがり、お館様までの―――或いは、六櫻華燐までの道のりを阻んでいた。


「オオオアアアアア!!!!」


もはや意味のある声など出せはしない。これは叫びであり慟哭であり、自らを奮い立たせるための声である。

束縛から脱した夕影が跳ねる。文字通り赤松の足軽たちを轢き潰しながら僕たちの刃を弾いていく。しかし動きが大振りになりつつある。

こいつ自身が言った通り、僕たちがこの女に致命傷を与える隙は、今この瞬間だけに存在する!!

血飛沫を上げながら上半身と下半身を両断された赤松の兵の死体を踏んで飛び上がる。血飛沫は煙幕、その後ろから二騎の一騎当千が迫り、僕はその更に背後から致命の刃としてその首を叩き切るために動く。

極度の緊張なのだろうか、世界がとてもゆっくりになって―――その中で、一切動きを変える事の無いままに全てを蹂躙する暴力の化身の姿が見えた。



………煙幕の奥にある稲葉の左腕を掴み、へし折るのが見えた。


大刀を振りまわし、大槻の首筋に大きく裂け目が出来たのが見えた。


暗転しかける視界の中で尚も鮮明に輝くその蒼い、死神の目が僕の方をじっと見つめるのが、見えた。


「………ッ!!!!!!」


ガキンッ!!!

名刀と呼ばれる鬼きり藤吉でなければ耐えられなかったであろう死の一撃が僕を吹き飛ばす。

耐えた、耐えた。だが、一度だけの奇跡だ。

口から痰と共に血を吐き出しながら、手元の刀を見れば、名刀には一筋の罅が入っていた。


「は、ふざけんな。使い手の技量の差ってか?」


鋼鉄よりも固いとされる鬼の首を切り落としたという逸話の伝わる名刀。かつて遥か古代の時代に、天狗の子が鍛え上げた、夕影の持つ深緋櫻と同じ流れを汲む刃。

決して折れず、刃こぼれせず、戦い続ける者のための刃。夕影のそれが剛力によって振り回すものであるならば、僕のこれは速さによって切り裂く刃だ。

どちらも、不朽の刃であるとされていた。しかし僕の刃は罅割れ、夕影のそれは血を纏いながら悠々とその腕の中に収まっている。これを、力量の差と言わずしてなんというのだろうか。


「お二人さん、無事か?」

「………ああ」

「まだ行けるとも。当然、当然だ………」


そうは言いつつも、互いの視線にはもう後がないという感情が揺らめいていることを感じ取っていた。

夕影は再び、お館様の方へと進むための準備を進めていた。あの跳躍を許せば、最早誰も止められはしないだろう。

今それを留めているのは足軽たちの決死の突撃によるものである。


「これが最期、でしょうかねぇ」

「………どうした小僧………ガハッ!!………急にしおらしくなりおって」

「そうだぞ。いつも通り生意気な口を叩いて見せろ。そうでなければ、やりがいがないだろう?」


大槻は血を吐きながら笑う。稲葉もまた、力の入らなくなった腕に折れた武器を持ちながらも、苦笑した。


「そりゃそうだ。ほいじゃまあ、お二方―――僕について来てくれ」


必ず、一歩であってもあの化け物の足を止める。

いよいよ足軽たちの包囲が砕け、夕影の前に道が拓かれた。露になった夕影の太腿に力が入り、地面を踏み抜いて加速する。

僕は深く息を吸って、それを追いかけた。


「………ッ!!!」


本来、長い距離を進むためには適した呼吸法がある。僕も本来ならば僕の戦い方に適した息の吸い方をしている。

けれど、僅かこの一瞬。あの女の歩みを止めるために、僕は文字通り命を燃やす(・・・・・)

………それは長い距離を短距離走で走り抜ける暴挙である。この一瞬だけに速さを求め、それ以外は何も要らないという覚悟が生み出したその速度は、果たして。


「―――」


天狗の子と呼ばれる、六櫻の戦姫に、届いたのだ。


「………、………ッッ!!!」


遠い、尚もあいつは速い。本当に同じ人間なのかを疑うほどに!

それでも、千切れそうなほどに足を動かす。唸る代わりに、声を、血を吐く代わりに、歯を食いしばって走る。

止まれ、と。声に出すことすら出来ない。太腿が限界を迎え、血が滲む。足の裏がありえない速さに耐え切れず、すり減っていく。

少し、あと少し。穴を埋める様に足軽たちが夕影の道を塞ぐ。それによってその速度が僅かに緩み、僕はその機会を逃さぬように、更に駆ける。

そして。


ついに。


風を切り、罅の刻まれた刃が夕影の背を捉えた。


「アアアアアアアアア!!!!!!」


………怪物は、それでも冷静だった。

後ろ手に大刀を構える、背負(・・)と呼ばれる特異な構え。流し目で僕を見る彼女の目に映るのは、塵ではなく敵を見る目であった。

甲高い音は、僕の刃がいよいよ弾かれ、叩き折られた音。刀身が中ほどから折られ、破片となった刃が宙を待っていた。


「それ、で!!!」


だから、どうした。ここに来て敵と認められたからと言って、それだけで言いわけがあるか!!!


「終わりだと、思うなァァァァァ!!!」


ようやく辿り着いた決死の一撃を防がれた。このままでは距離を離される。

僕を後を追う二人の一騎当千はまだ後方、止めるのは一歩だけじゃ足りない。態勢を崩し、無理のある速駆けをした僕の身体は、真面な追撃は出来ない。

それでもまだ、打てる手はある。


「ふ、んッ!!!」


手に持った鬼きり藤吉を全力でぶん投げる。

前方に跳躍しながら、裾を翻して僕に向きなおった夕影がその刃を着物の裾に絡めて受け止める。

………お館様の背がもう近い所にまで迫っていた。馬で駆けるあの人の背中が、振り返らずに進むあの人の背中が、見えるのだ。


「止めたぞ!!!!」

「よくやった囃子!!!」

「後は我らが抑える、すぐに立て直せ!!!」


左の着物の袖が裂けた夕影が、冷たく言い放つ。


「退け、雑兵」


言っとけ、天狗。

ここの命を使い捨てても、最期に勝つのは赤松だ。

背後ではお館様が馬を乗り捨て、六櫻華燐の元へと迫っているのが見えた。あの姫の馬廻衆であろう、白鬼の面を被った奴らがそれを阻んでいるが、お館様の周囲を固めている親衛隊は赤松の最精鋭だ。

夕影さえいなければ、最期に競り勝つのはお館様である。


―――ゆらりと夕影が奇妙な構えを取った。


「ここなら良いでしょう。纏めて、全て切り裂いてあげます」


ここまで私に近づいたなら、お前たちは逃げられない、と。天狗が嘯いた。

大刀の柄を眼前で持つその構え。普段自在に構えを取る夕影の我流の剣術のなかでも、それは余りにも特異であった。

………それは赤松の兵の知らぬ、夕影の持つ技。天狗の子として類まれなる武の才を与えられた夕影が身に宿した無空の剣であった。

それを知るのは華樂のみ。それ以外の全ての人間は、六櫻の敵対者としてその命を散らしている。だからこそ、主である華樂以外は知る事の無い剣だったのだ。


「”天狗の闘法”………一刀、六文字」


剛力と速度によって一瞬の間に六度切り裂く無空の刃。

赤松の一騎当千たちがその刃を認識することすら出来ず、腕を、足を吹き飛ばされた。

ずるりと視界がずれていく。


「………ッ!!」


足が、切り裂かれたのか。

左足がぼたりと地面に落ちているのが見えた。他の二人も、似たようなものだ。




まさか、これで、終わり?




血に染まった赤い瞳の奥で、夕影が僕たちに背を向ける。着物を揺らして、その大刀をお館様の方へ。

まだお館様と六櫻の姫との間に距離がある。せめてあと一合、天狗女と切り結べたのなら。せめて、せめて………。



「まだ、終わるなんてさ、そりゃあ嘘だろ―――ッ」






………なけなしの意地で、進め。地獄の釜の蓋へと。






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