そして賽の目は転がり落ちて
「囃子。私のために死んでくれませんか」
鎧を纏い、腰に刀を、背に弓を背負ったお館様がそう言った。
その声音はいつも通りの柔らかで、悪く言えば侍らしさの無い、ともすれば刀よりも書を持っている方が余程似合っている姿のままであった。
それでも、この人の指先には剣のタコが出来ており、達人と呼ばれるに足る力量があることを僕は知っている。
きっとこの人は死地に向かうのだろう。けれど、その死地に向かう前に死んでしまってはたまらない。だからこそ、僕の出番なのだ。
「喜んで。拾ってもらった時から、僕の命はあなたの物だ」
「………本当はお前にこの国を継いでもらいたかったんだがね」
「ご子息がいるでしょうに」
「ああ。彼でも良いのだが、きっとお前の方が向いていた。あれは支える方が適しているのさ」
全ての準備を終えたお館様が馬に乗る。何度かお館様は手を打ち、攻め方を変えて六櫻の抵抗を崩そうとしていたが、驚くほどのしぶとさで六櫻の雑兵は粘る。
その様子は前へと逃げるようで―――まるで、背後にこそ恐れるべきものがいるかのようであった。
あの軍勢が背後に背負うものなど、あの姫しかいないであろうに。
「一応聞きますけど、何をしに?」
「なに。ともすれば魔王をすら超えるほどの悪逆になりかねないあの少女に、合わなければならないのさ」
「そんなに評価するほどの人間ですか?ただの小娘でしょ」
「世を混沌に陥れるのは、強きものだけではないよ、囃子。奇しくも、混沌が真実の悪へと変わる前に止められる位置に居るのは、私しかいないようだからね」
僕は溜息を吐く。
この人の未来を見据える能力、そして人を見る能力は卓越していると言っていい。剣など握った事の無かった僕が赤松の一騎当千に名を連ね、赤松に伝わる名刀を携えるに至ったのはこの人の先見の明があったからこそなのだ。
そしてそんな人が、このままではこの天唯そのものが黒き混沌に沈むと言っているのであれば―――きっとそれは事実なのだ。
お館様が自身の、いや。陣営の背後を見た。夜が更け始め、篝火ばかりが照らすその戦場においても、駆ける軍勢が巻き上げる土煙はどうしたって目に入る。
夜闇に浮かび上がるのは背後から赤松を急襲しようとしている六櫻の伏兵。それも前方にて耐える雑兵ではなく、城を落とし尚も進む数少ない六櫻の精鋭である。
軍を二つに分けるにはあまりにも分が悪い。前方には夕影という怪物が居るのであれば、なおのこと。
「私はあの少女に会いに行く。囃子」
「はい。なんでしょ」
「夜が明けるまででいい。夕影を止めていてくれ」
「はは。あの天狗を前に?何刻足止めしろって?」
「さあね。私たちも急ぐが、かといってどこまで足を速められるかは分からない。断ってもいいが、どうする?」
「やりますよ。勿論、お館様が為すべきことを終えるまで、絶対に夕影を止めます」
「うん。お前ならそう言ってくれると思っていた。ああ、別に夕影を仕留めてしまっても構わないよ。私も六櫻華燐を仕留められそうだったら、その首に手をかけるからね」
最期まで、人使いの荒いことだ。
口元を淡く緩めながら、僕は馬の腹を蹴って進軍するお館様を見送った。引き連れるのは四十人の馬廻衆。
僕はその中に居らず、僕の役割もまたその中には存在しない。
いつだって、僕はあの人の背中を見ていた。最期までその背中を見続けると思っていた。しかし、そうではないようだ。
「名を残したいのは僕のものでは無くて………あなたの名なんですよ」
鯉口を切る。
僕は戦場の只中をかける。嵐の中心がどこにあるのか、そんなものは良く音を聞かなくても分かる。
離れていても尚、肌を切るのは凄まじい暴力の気配。一人で止められると自惚れられるほど、僕は自分の実力を信じていない。
戦の申し子、夕影。六櫻の戦姫の名は、国主である華燐よりも遥かに有名だろう。それでも。
その首に我が刃は届かなくとも、その影は縫い留める。それこそが、僕の最期の戦いだ。
「少し、僕と遊んで行けよ―――天狗女」
笑う。命を捨てると決めれば、力も抜けるものだ。
僕は己の刀である鬼きり藤吉を軽く握り、夕影の刃を弾く。
「赤松が一騎当千、囃子。全てを賭して、参る」
***
流れが変わったと思った。
赤松の背後から挟み撃ちを仕掛ける涙助と箒たちが生み出した流れとは違う何かだ。
霧墨の想定外か?いいや、と私は首を振る。
想定外には想定外だろうが、修正は可能だろう。霧墨が博打の果てに手に入れた戦場の流れから大きく逸脱しているようには見えなかった。
「で、あれば」
博打の舞台に立っていたのは私と赤松、そしてその二つを挟む小国二つであったが、既に小国二つは滅びたも同然だ。
背後を取られたと同時に即座に赤松が打って出た突撃によって、隅野と宮辺の軍勢は壊滅している。国主は落ち伸びたかもしれないが、既にその手元に博打に参加できるほどの掛け金は無いだろう。
私と、赤松彰吾。場に残ったのは二人だけでありながら、この気配は―――。
「勝負を下りたな」
戦の勝ちを捨てた。なんのために?
掛け金の全てを放り投げて、彼は自身が鋭利な槍の穂先となって私の方へと向かってくる。まるで特攻じゃないかと、私は冷たく息を吐いた。
「私が言えたことではありませんね」
命を数字として捉えてその増減で戦を測る私の方が、彼よりも遥かに人間の事をゴミのように扱っているだろう。
尤も、今更私はそのことに心を痛めることなどありえない。どうせこの世界も六櫻の人間も、私に見出す価値は似たようなものなのだ。私という個人ではなくその血脈のみに価値が宿る。別にそれでいい、構いはしない。
現代だってそういうものだった。長い歴史の中で多少道徳というオブラートで包む事を覚えた人類も、結局その根底は変わってはいなかったのだから。ただ、やられたのならば同じようにやり返す。それに文句は言わせない。
「姫様?」
「赤松が最期の攻勢を仕掛けてきます」
「そりゃあ見ればわかりますけどねぇ………」
血に染まった頬を掻きながらぼやく洲鳥の視線が、私の遥か先を眺める。
疲労の混じった吐息と共に、確認の言葉が零れ落ちた。
「なるほどねぇ。想定外ですわな?」
「ええ。赤松の最精鋭が国主を伴ってやってくる。さあ、私を守り抜きなさい。夕影が戻るまで、確実に」
「お互い最期の博打って感じやなぁ。これで正真正銘、どっちかは斃れるわけや」
洲鳥が刀を持ったまま、大きく右手を上げた。
「正真正銘、最後の気張りや!!これ終わったら、たらふく酒呑むくらいは許してくれるやろ、姫さん?」
「酒ですか。そう言えば六櫻の城の方にも無駄に余っていたような気がしますね。須璃にも。隼波木のは燃えましたが。まあ、好きにしなさい」
「燃やしたんアンタやろ………まあええか。姫さんの許可出たんや、死ぬなよ、野郎ども!!」
「「「オウ!!!」」」
本当に最期の戦いというのは間違っていない。赤松との決着は、夜が明ける事にはつくだろう。
私か、彼―――赤松彰吾か。そのどちらかの首がこの大地に転がる事となる。鈍い視界の中に、私を強く見つめる視線の影がチラついた気がした。




