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嵐の只中




六櫻と赤松の最終決戦は、二日目から夜通し続けられた。

二日目の夕に赤松の陣営がその背後に擁する螺鈿城が燃え盛ったところからがこの螺鈿裾野の決戦の終盤戦だろう。

私は箒と涙助が上手くやったことを、表情の一つも変えずに認識した。


「けれど、赤松はこの程度では止まらない」


正確に言えば、赤松彰吾はというべきだろうか?

彼の国の国主は私のような紛い物とは違って、真に民草から信奉を得ている殿というものだ。恐怖や嫌悪を引き連れて人々を支配している私とは根本的な在り方が異なるのである。

それは当然、その配下として従えている侍たちも、例え背水の陣になったとしても士気が削がれることが無いという意味である。

………彼は来る。きっと、私の傍までやってくる。私の首を獲りに。


「………」


旗を握る左腕に力が籠もる。私はただ、こうして前を見るだけしか出来ない。この身体に戦う力など備わっていない。霧墨のように策を弄するだけの頭も、存在するだけで軍隊に勝利をもたらす幸運の女神でもない。

………けれど神には祈らない。こんな事しか出来ない状況に追い込んだ神を私は決して信じない。山師と言われようとも、絶対に、絶対にだ。


「神も仏も糞喰らえ、だ」


そう吐き捨てる。戦場はその篝火を大きくさせて、どんどんと広がっていく。遠くに燃える螺鈿城が夜を焦がして、兵の動きが良く見える。

敵も味方も問わず、潰されて死んでいく。私は目を見開いてそれを余すところなく瞳の中に焼き付けた。私が敷いた地獄を取り込むかのように。





―――遥か遠く、炎に照らされた敵軍にて軍配が振られた。それに応じて大声を上げながら赤松の兵が突撃を開始する。

背後を絶たれた彼らは前方に活路を見出す。霧墨の読み通りであった。漏斗の構えは山間の輪郭に弓兵を設置し、中央部に雑兵とはいえ兵を配置しているという形状である異常、突撃には強固な防御力を発揮するものだ。

だが、そも物量では赤松の方が上。これまでは無理をして攻める必要がなかったためにこのような玉砕覚悟の、特攻ともいえる突撃はしなかった。浸透してくる兵は勿論いたがそれとて犠牲を生みつつも白鬼衆が撃退できる程度の人数だ。

逆に言えば珠という達人に足を踏み入れた領域の兵が居る隊ですら犠牲が出始めている以上、六櫻側に限界が見えつつあるわけだが、それもまた想定内である。

戦闘時に活性化したアドレナリンによる興奮作用は永くは続かない。一度クールダウンしてしまえばそれはどうしようもない恐怖に変わるのだ。この二日目で六櫻の兵は覚悟を決めたように決死の防衛を行ってはいたが、かといってそれは一時的なものだろうと私も霧墨も判断していた。

私は前世の知識から、霧墨は自身の策が人間に与える影響からそうなると考え着くと、ではその興奮状態を維持させるためにはどのタイミングで螺鈿城を落とすのが最適かという判断に繋がった。

答えは簡単。この二日目を終わらせなければいい。


「ほら、戦え戦え、地獄は終わらねぇぞ」


遥か後方、一人だけ残った空っぽの本陣できっとあの少年はそう嗤っている筈だ。

赤松の兵が六櫻の陣へと踏み込むのが見えた。怒号を上げたその額が、左右から飛んできた矢によって撃ち抜かれ、馬の上から崩れ落ちる。落馬して馬はあばれ、巻き込まれた後続が数人潰れたが、その間に六櫻の兵が幾人も踏み潰された。

そのようなことが発生しているのは一部だけではない。いよいよ六櫻と赤松は全ての軍が一気に乱戦状態となる、本当の合戦になったのだ。

浸透を繰り返す敵兵を切り倒しながら洲鳥が私に対して叫んだ。


「姫様、下がりませんと!!」

「馬鹿を言わないでください、洲鳥。援護を、私は前に進みます」

「んな無茶な!!」

「私が下がればそれと同時に戦線が後退します。より前に出ることによって、螺鈿城から赤松の背後を噛み切る涙助たちが援護に来る時間も早まるのです」

「………洲鳥、華燐の作戦はたぶん当たり」

「ああ、ったく!!動ける奴らはついてこい!!気合入れるで!!」


………実を言えば作戦などはないのだ。ただ、遥か遠くにいるであろう赤松の殿の瞳が、私を見た気がした。

私の視界は随分と薄れ、ぼやけているというのに不思議な事だ。私を見つめる、いいや―――私の底を見ようとするその瞳だけは、何故か鋭敏に感じ取ることが出来た。

彼は一体、私に何を見出すのだろう。何を語るのだろう。ただ、それが気になっただけなのだ。

義足を動かす。足元で千切れ飛んだ腕が撥ねた。水の代わりに血が染みこんで泥となったその地面を踏みにじり、旗を揺らす。


「殺せ」


謳う様に、私は己の喉から囁いた。


「殺せ、殺せ」


私の進路を阻む敵兵の頭蓋を珠が叩き潰す。頭蓋はひしゃげ、胴体だけとなったその肉体が目の前に転がる。その背を踏み付けながら私はさらに前へと進む。

血が義足を湿らせた。傷を負った左肩が、手にした旗の重さで痛みを発するが、そんなことにはもはや意識を向けることすらしない。


「私の道を閉ざすものを。六櫻を塞ぐものを」


生臭い血風を浴びながら私は目を細める。私の白から桃へと変わる不思議な色彩の髪が踊った。


「神も仏も運命も。何もかもを殺して進め」


―――声を張り上げた訳でもない。ただ、その声は沈み込むように、戦場へと響いていった。



その声を聞き取ったのは、六櫻だけではなく………赤松の兵たちも、怒りと共に悍ましさを感じつつ、その言葉を聞いていた。





***





「やはり、ここで殺さねば。あの娘はこの天唯に大悪を産む」


夕影の前で、そう赤松の一騎当千が呟いた。

既に赤松の一騎当千は一騎が落ち、一人は大将である赤松彰吾へと付き添っているために、残ったのは二人だけだ。

槍を持つ壮年の男、大槻と刀を手にする稲葉は、既にその装いのどこにも血が付いていない場所の無い夕影という名の怪物に対してそう言い放った。

薄く瞳が開かれ、その内より青い瞳が覗く夕影はやや不機嫌そうに男二人を見た。


「姫様はそれほどまでに愚かではありません」

「愚かかどうかなどこの際どうでもよい。あれは悪逆の化身だ、この世界が生んだ憎悪の権化だ。そうでなければ、あのような言葉を発することなど出来るものか」


夕影が静かに深緋櫻を構える。そこで男たちは初めて、夕影がその瞳をしっかりと開いた様を見たと気が付いた。

その感情に色はない―――けれど、夕影は淡く怒っていると男たちは察し、それは怒りより生み出された余りにも濃密な殺気であると遅れて気が付いた。

此処まで面倒な羽虫程度にしか思われておらず、実際その程度の働きしか出来ていなかった赤松の一騎当千たちは、ここに来ていよいよ夕影の標的になった事を自覚したのであった。

だから、その一撃に反応できたのは必然ではあったのだろう。死の淵に触れ、極限まで高まった警戒心が、その奇跡を生んだ。


「が、あ?!?!?!」


型も何もない大刀での一撃。大振りのそれを何とか刀で受けた稲葉は赤松の他の兵の方へと吹き飛ばされる。

転がりながらも武器を折らぬように受け身を取り、次の手に気を配る。赤松の一騎当千は此処までの戦いで完全に夕影とは次元が違う事を理解していた。故に彼らは犠牲を覚悟のうえで集団で夕影を抑えることに注力していたのだ。

華燐の方へと兵が浸透することが出来たのは、その策が功を奏したおかげであり、そうでもしなければ本当に数えるほどしか華燐の元へと向かうことは出来なかったのである。

夕影も夕影でそうされても尚、敵の全体の兵数を削る事の方が六櫻にとって利に働くと判断したが故に、敵の策に乗っていた。白鬼衆が華燐を守ることを信じていたというのも、少しはあったのだが。

しかし螺鈿城が燃え盛り、いよいよ霧墨の策が最終段階に成った事で、夕影はとうとう自制を捨てたのだ。

―――彼女自身が一つの嵐となって、赤松を前後で挟む。即ち夕影が尤も強大な牙となり、赤松の総大将の首を狙う。それは至極当然に、赤松が最も嫌うことであった。



誰しもが叫ぶ。夕影とは戦場における生きる嵐そのものだと。

一騎当千二人を相手しながら、夕影は前に進む。邪魔をするものの首を素手でへし折り、その刃を叩きつけて人を上下に両断し。


「止まれ、止まれェぇぇ!!!」


カクリと首を傾げると、そう叫ぶ若い兵の刀を蹴り飛ばして叩き折った。

―――徒手空拳、その全てが殺人術。刀を振るえば一気に兵が消し飛び、その歩みを止められるものは誰もいない。

”怪物”。人智を超えたその存在に対して、ただの人間はそう名付けるしかなかったのだ。


「押し込まれる………!!!」

「下がるしかない!これを抑えるには、糞―――強き者が足らん!!!」


そう叫ぶ槍使いの一騎当千の言葉は、自身のプライドを削るかの如き恥辱の言葉だっただろう。しかし、事実を発して後退しなければ夕影をこの戦場に留めることが出来ず、大将を討たれてしまう。もはや、そうするしかないのだ。

夕影の刃を何とか首の皮一枚で躱しながら、徐々に一騎当千を擁する赤松最強の部隊が後退していく。それによって戦局に亀裂が奔り始める。

………縦横に振るわれる刃によってその頬に幾つもの切り傷が生まれ、ただの兵に至っては巻き込まれただけで死に至る。

そして甲高い音が響き、いよいよ一騎当千、稲葉政次の持つ刀が限界を迎えて中ほどから折れてしまう。

けれど、彼らはそれでも長く持った方であった。

一騎当千二人は夕影を相手に、夜が更けるまで耐えたのだ。その間に彼ら以外の兵は優に三千を超える数が死んだ―――全て、夕影一人で殺された。

………投入され続けた赤松の兵。それは決して無駄死にではなく。彼らの死が稼いだ時間によって、赤松にとっても、そしてある意味では六櫻に、いや。華燐にとっても重要な出会いを生むことになったのだが、それはさておき。

いよいよ王手が掛けられ、男の首に刃が振るわれる。夕影は冷たく呟くだけだった。


「さようなら」


夕影はそんなことを思ってもいない。

ただ事務的に、死ぬべく羽虫に刃を振り下ろしただけであった。だからこそ、そこに挟まった()に少しだけ驚きの感情を滲ませる。


「………まあ、待った待った」


深緋櫻の刃が止められる。

赤松の譜代、忠臣たる一騎当千―――稲葉政次の首を落とす筈だった怪物の刃を止めたのは、覚悟を決めたように笑う、一人の青年だった。


「少し、僕と遊んで行けよ―――天狗女」


その背に守るべき主君はいない。彼は、見送ったのだ。

そして、嵐を防ぐ儚い盾となる事を自らに課した。厄介だと、夕影は素直に思った。この青年は強い、と。



嵐と、荒らしを留める者との最期の戦いが始まる前に、ほんの少しばかり時は遡る。最後の約束、とある男のとある言葉を語るために。





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