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戦の気配


は、と息を吐いた霧墨は、右手で頭を掻くと、舌打ちをした後にこう告げる。


嫌だね(・・・)。僕はお前の部下じゃない。いいや、この国にお前を主と仰ぐ臣下はいない。一人で何とかすることだ。本当に危機が迫れば、各々で勝手にするし、何とかなる。それが、この国だ」


目を見開き、私は霧墨に視線を合わせる。しかし、彼はそのまま言葉を続けた。


「向いてないよ、お前。そもそも国主が簡単に頭を下げるのもおかしい。軽いんだよ、お前の首は」

「………っ」


国を背負うもの、即ち王たるもの簡単に頭を下げるべからず。なぜならば、誰にでも傾げられるような頭に威厳など宿らない。

その理屈は分かるのだ。それでも、それじゃあ………私が、命令をすればあなたたちはその言を聞いたのですか?


「本当に、力にはなってくれないと?」


私は一度霧墨から視線を外し、深く息を吸うと今度は彼を睨み付ける。

彼はその視線に対して唇を歪ませると、指を明後日の方向へと向けた。さっさと去れ、ということだろう。


「ああ。そもそもこの程度で僕の力など必要ない。多少の異常事態があったとしても、六櫻の国の武士たちはこの国を守り切るだけの力がある」

「そう、ですか」

「良い事を教えてやるよ。人を動かすには幾つかの手段がある―――徳を積み、人からの信頼を得ること、武勲を立てて尊敬を集めること。或いは恐怖による支配も、その一つではあるだろうけどな。お前はなにも、何一つも成せていないんだ。予言してやるよ、お前について行く兵はいない。お前自身が何もしていない以上、お前を仰ぐ存在はない(・・)

「………忠告ありがとうございます」


この餓鬼、はっ倒してやろうか。思わず、この魂に染み付いた、元男としての思考回路が出てくるが、自制心を以てその衝動を抑える。

不服な点は多くあるが、少なくともこの国の兵士たちが付いてこないという理由そのものは真理を付いているのだ。そもそも、軍師としての才能など持ち合わせていない私にとっては、霧墨という人材は後々に必ず必要となる。

ここで敵対するのは、確実に損であるということは、深く考えるまでも無く分かる。

だからこそ、私は怒りや理不尽を飲み込んで一歩、霧墨の住まう屋敷から離れた。


「次は武勲を立ててまいります。その時には、お力添えを」


返事は無かった。静かに扉は閉じられて、私の前には一切の成果のない虚無だけが広がる。

背後で置物と化していた夕影が口を開いた。


「次はどこへ参りますか、姫様」

「………片っ端から声をかけるしかないでしょう。確かに、この国は放っておいても自衛する術を持つでしょうが、統制の取れた反撃を行わなければ必ずどこかで破綻が訪れます」


私は夕影を睨み付ける。

自覚はしているとも、この視線の半分は八つ当たりだろう。しかしもう半分は、こうするだけの権利を私は持っている筈だ。

誰も彼も、味方になりえないこの状況に、怒りを覚えることの何が悪だというのか。

―――少しくらいは、説得を手伝ってくれてもいいだろうに。夕影は興味無さそうに、私と霧墨のやり取りを聞き流しているだけだった。


「御心のままに」

「っ!ええ、好きにやらせてもらいます!」


なんなんだ、何なんだこの国は。私は左手の爪を噛んで、霧墨の屋敷を後にする。

そうしてというべきか、或いは果たしてというべきか。私は根気強く六櫻の国の武士たちに声をかけて、しかし。期限である三刻後、最終的に集まったのは、僅か片手で数えられる程度の武士だけだった。

六櫻華燐という姫に寄せられた期待や信奉は僅かこの程度。それが、私の限界。そういうことなのだろう………しかし、その戦力で私は取りうる限りの手段を用い、この戦で武勲を立てなければならない。そうでなければ、私という存在は六櫻の国の中で、一切の力を持たない飾りに成り下がるだろう―――いいや。実際は飾りですらなく、ただ血が流れているだけの人形であると、その事実からは眼を逸らして。

昏い瞳のまま、城の大手門に揃えた武士たちを見る。民も何事かと集まり、私や武装した兵士たちを眺めていた。


「国衆は?」

「残念ながら。そもそも六櫻の国の国衆は山間に点在する幾つかの村を除き、この国の中で唯一の平地である六櫻城周辺の土地に集中していますからな。華樂様の呼びかけならいざ知らず、そうでもない限りはその土地が攻め込まれる危険を見出さない限り、動くことは無いでしょう」

「………」


声をかけた武士から返ってきたのは、そんな無情な言葉だった。

どこでも、華樂の名を聞く。どうしてと、そう聞く―――どうして、お前のために華樂が死んだのかと、そう声が響く。

五月蠅い。五月蠅い、五月蠅い。纏わりつく声を振り払って、私は慣れない馬の背によじ登った。

六櫻の国の馬は平地では遅いが、代わりに強靭な脚力を持つ山を得意とする馬だ。元の世界である日本の在来の馬に似て、その背丈は低いものの、私の身長は同年代の子供たちよりもかなり低い。

馬の背に乗ることですら、苦戦する。夕影が私の尻を押して、馬の上へと押し上げた。

お礼を言いつつ、馬の手綱を握るが、すぐさま顔を顰めることとなった。


「………う。おなか、い、たい………」


静かにお腹を押さえる。どうしようもなく腹痛がした。きっと、ストレスのせいだろう。

気のせいだとその痛みに気づかない振りをして、私は蝙蝠扇子を前へと向けた。


「進みなさい!」


民の見守る中、六櫻の国の武士たちは出立する。日は完全に登り切る前で、時間としては十二時前だろう。

物資は十分に持った。一の砦での戦いが長引いても問題ない程度には。懸念材料はそんなものよりも、もっと他にある。


「人数の少ない上に、私の言うことを聞かない兵士たち、ですね」


本当に、彼らは私の味方なのだろうか。ああ、本当にこの馬の上は針の筵だ。

周囲からの視線は奇異なものを見るものと、敵意だけ。私は、一体なんなのだろう。この国にとって、民にとって、臣下にとって。

山道を駆ける馬の上、自然と吸う息は浅く、何度も呼吸を繰り返すようになっていた。





***




「あれが一の砦です、姫様」


三日の行軍を進めた後、私はようやく一の砦へと辿り着いていた。

………石造りのそれは本当に砦と呼ばれる物であった。複雑に入り組んだ通路には矢を射かけるための窓があり、岩を落とすための穴があり、地の利を貸して敵を返り討ちにするための要素が詰め込まれていた。

城でこそないがこの場所で確実に敵を迎撃するための一時拠点であり、いざとなれば砦そのものを崩壊させて敵軍に大打撃を与えつつ、手放すことが出来る仕掛けすらあるという。

また、砦の一番上には申し訳程度に生活用の建物が立てられているのが見える。実際はあそこで寝泊まりする存在などほとんどいない筈だが。

話を聞くに、華樂(とうさま)は剣の腕は一流であったようだし、野営だろうが何だろうが気にもせずに熟してしまう人だったようだから。貴人のためといいつつも、当の本人がそこに住まわないのだからあれはただの装飾と化していることは想像に難くない。

まあ、身体が弱いうえにこういう環境に慣れていない私にとっては、そこで一休みするのが最適解なのだろうが。


「一の砦はいつ振りに使われるのですか?」

「七から八年ほど、間が空いているでしょう」

「………そうですか。その時に攻め込んできたのは?」

「須璃の国です。そも、この一の砦は須璃の国への対策として華樂様が作られたものですので」


六櫻の国と須璃の国の小競り合いは今に始まったことではない。聞けば先代の頃から、領土を狙って小さな戦が起こっていたそうだ。

額に手を当てて少し考える。一度戦ったのであれば、須璃の国はある程度この一の砦の脅威を理解しているだろう。一筋縄では、行かないかもしれない。


「斥候を出します、誰か出来るものは?」

「………我らは忍びではありません故、そのようなことは」

「勝利のためです、出来るものは手伝いなさい」

「いえ、そもそもとしてそのような時間はないかと」


ひく、と頬を引き攣らせつつ、更に声を上げる。


「どういうことですか?」

「………分かりませんか。やはり、貴女は武士に非ず、という事か」

「何が、言いたいことがあるならもっと分かるように………ああ、もう!誰も、いないのですか?!出来るものは、私の指示に従うものは!」


―――返ってくるのは沈黙だった。私は己の髪を掻きむしると、叫ぶ。


「もういい!!」


そんな風に言葉を発した瞬間、空気が変わったのを理解した。

お腹の底に溜まるような、重苦しい気配。圧迫感とも呼べる、その感覚は。


「姫様。戦が始まります」


背後の夕影が、刀に手を当てつつ私の肩を掴んだ。


「………須璃の国の兵との、ぶつかり合いが始まります」


―――ああ。これは、殺気というやつなのだ。或いは戦場の気配………殺し合いというルールが敷かれた、異質な環境。

知らずのうちに私は唾を飲み込む。足元が、震えているのを自覚した。

それでも、膝に力を込めて私は前を向く。


「げ、迎撃を!戦いを、始めてください!!」


視線を向ければ、砦の向こう。

土色の鎧を纏った兵たちの姿が見えていた。

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