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螺鈿裾野の決戦、二日目






櫻松戦争”螺鈿裾野の決戦”、二日目。

まあ、厳密に言えば夜間でもそれぞれの陣営が兵を差し向けているため、夜だからと戦が完全に止まっていたわけではないが、灯りを無際限に扱うわけにもいかないこの時代、日中に比べれば互いの動きは鈍かったと言えるだろう。

あまり深く眠る事の出来ない私はどちらにしても夜のうちに数度目を覚ます。その度に、こちらの六櫻陣営の防御隊が赤松の斥候や浸透してくる兵たちを撃退している様子が見て取れた。

それでも、赤松は本格的な攻勢はしていないというのは、この本陣からでも認識できる。それは、夜間はこちらの矢の一斉射を回避することが難しくなるからだろう。

漏斗の構えによって左右に大きく展開された弓兵の射程は、確かに短い。漏斗の口の先にはとてもじゃないが届かない。だが、六櫻勢は現在、敵襲に備えて漏斗の奥の方で小さく縮こまっていた。裾野に構えているという以上、下がれば下がるほど、即ち漏斗の中へと侵入すればするほどに、赤松側の兵は矢の射程内に収まり始める訳だ。

そして、六櫻は見方ごと射殺すことも辞さないのに対し、赤松は無駄な損耗を避けたいという心理がある。

もしも夜間に攻め込んだのだとしたら、例え篝火を焚いていたとしても矢の一斉射によって、無駄な損害を被ることになるだろう。


「姫様、お身体は大丈夫ですか?」

「今更心配など要りませんよ。安心しなさい、与えられた役割は熟せます」

「………そう、ですか。今日は恐らく、戦局が混乱に染まります。ご注意を」


夕影の言葉に溜息を吐く。注意したところで、私が動けるはずもない。

標にして象徴として、私は目立つところで旗持ちをしている訳だが、こういう旗というのは東洋、西洋を問わず非常に重く、大きなものなのだ。ただでさえ小柄な上に隻腕、足は義足という私ではこれを倒さないように持っているだけで一苦労であり、動くことはまずできない。

危なくなった旗を捨てるなんてことも出来ない以上、注意したところでどうしようもないのだ。私にできるのは、ただ覚悟を決めるだけ。それだけだ。


「負けたら許しません」

「ご安心を。今、姫様の目の前に広がる兵は確かに雑兵ですが―――貴女の周りに集う兵は、決して軟弱ではありません。白鬼衆、命に代えても姫様を護りなさい。私は、最も苛烈な一団を葬ります」

「任せてくださいな。なぁに、珠もいるし、背後には古森さんもいるんや。兵を近寄らせはしませんよ」

「………山賊上がりのお前たちしか頼れないというのは何とも困りものですが、くれぐれも頼みましたよ」

「それはもうまったく。なんでこうなったんやろねぇ」


洲鳥がしみじみ呟くが、その裾を珠が引っ張る。


「声が聞こえるぞ。あ、かまつ………敵がかなり気合入れてるらしい」

「耳がいいなぁお前。いや、夕影さんも聞こえてるんやね」


私や洲鳥の耳には、遠くで囂々となっているようにしか聞こえないが、どうやら赤松の側では鬨の声を上げているらしい。

確かにうっすらとではあるが、”えいえい”という呼びかけに繋げて、”おう!”という言葉が返されているのが分かる。数千いや、万に達する人間が平原を挟んだ先から大声を張り上げているのだ、声の圧となってそれらは六櫻の兵の上に降り注ぐ。

数人、耐え切れなくなったのか漏斗の構えの中央に建てられた粗雑な陣から逃げ出そうとするが、その足元に軽い音を立てて矢が突き刺さった事で、腰を抜かして倒れ込む。

あの精度は恐らく古森だろう。彼女は漏斗の構えの最後列において、他の弓兵へ矢を放つようにという指示出しと、警戒すべき兵を先んじて制するという役割を持っている。

………その役割には、こうして味方に対して矢を放ち、逃げ出そうとすら思えなくさせるという事も含まれていた。

当たり前だ、如何に弓兵を山の斜面に置いていても、漏斗の構えを構成する人が片っ端から逃げ出してしまえば―――狂乱によっての逃走が成立してしまえば、この危うい均衡の上に立つ最期の抵抗は簡単に砕け散る。

恐怖によって兵を陣に縛り付けるため、古森は戦場の中心ではなく、後方に構えているのである。


「では、行ってまいります」

「………ええ」


うっすらと目を開いた夕影。その蒼い瞳が私を見つめ、そして大刀を手に駆けていく。

下駄の音を鳴らしながら、平地を一足飛びに駆けていく夕影の周囲に、付き従う兵はいなかった。何故かと言えば、簡単な事だ。


「他の兵は、邪魔だから。本当にあれは、規格外だ」


本気で暴れる彼女の周囲には血煙しか残らない。敵も味方も、何も生き残れない。

それこそが、六櫻の戦姫。華樂時代に数度しか起きていない戦で、一瞬にしてその勇名を知らしめた夕影という存在の戦いである。

空を見る。まだ山から日が昇ったばかりだというのに、その薄暗い中で既に血の匂いが漂い始めていた。

きっと今日は、長い日になるだろう。忌々しくも晴れ始めた空を睨み付けながら、私は己の隻腕で重い旗を持つ。




平地の上を下駄の音が駆けていく。

前方に見えるのは千を超える赤松の先遣隊。一様に槍を構え、私を迎え討とうとしてた。

背後に意識を向ける。六櫻の兵の殆どは守りに徹している。それは霧墨の策であり、攻勢に転じるのは私を始めとしたごく一部の、古い六櫻の兵だけである。

………仮に後方の雑兵を攻めに回しても、碌な戦果を上げられずに死ぬだけでしょうね。

鍛練の時間の不足。軍部の発足から軍隊として動き出すまでが余りにも短すぎた。いや、そもそも六櫻が姫様の時代になってから、一気にこの国は動乱の時代を迎えている。

変化というよりも変革なのだろう。民の、兵の質が変わり始めている。

当たり前だ。国主が変われた、国の在り方も変わる。しかし、けれど―――少しばかり、姫様の治める国は歪んでいるような気もしていた。

分からない、まだ理解できない。私は彼女が、人というものが捉えられない。けれど、そんなことを考えるのは後でいい。

まずはこの戦で姫様には生き残って貰わなければ。そのために、私は敵をひたすらに殺すのだ。

刀を振るうのは楽でいい。殺すために考えるのは、人の心を慮るよりも遥かに簡単で、分かりやすいのだから。

自身の得物、大刀”深緋櫻”を握る。

そして、飛び込んだ戦場の中で目をしっかりと開いた。


「来たぞ!!作戦通りにあれを留め………」


なにか私を止めようという策があるのだろう。だが、どこに従ってやる理由があるのだろうか?

足に力を籠め、跳躍。その勢いのままに槍を構える兵の一団を飛び越し、奥で喚いている蟻の頭蓋を踏み潰した。


「これで一つ」


兜から将であるのは間違いない。そのまま体をまわし、飛び越えてきた一団に視線を向ける。

彼らはようやくこちらへと向き直りつつあるところだった。


「遅い」


大刀の長さを生かしての薙ぎ払いによって、胴ごと両断された兵が空を舞う。

その兵の胴を掴むと、団体となって槍を一斉に突き込もうとしてきている赤松の兵のその槍の穂先に叩きつけた。

人が土に接したとは思えないほどの衝撃音が響き、骨が、血肉が破裂する。音は人の戦意を効率的に挫くことが出来るものだ。

味方が破裂した事に、その精神は一時的に麻痺してしまったのだろう、槍の動きが止まった。私はその中にするりと入り込むと、足軽どもを切り捨てた。


「抑えろ!!こいつさえ止めれば六櫻は恐るるに足らず!!」

「「「応ッ!!!」」」


飛び込んできた侍の刀を片手で持った大刀で受け止める。甲高い音を立てながら刃を滑らせ、ひっかけて侍の守りを崩す。

その隙に他の侍や足軽が私の胴と足を狙い、槍を突き出すのが見えた。

胴を狙った槍を開いている左手で掴み、足狙いのそれは下駄で踏みつける。左手の槍を私の方へと引けば、踏ん張りが利かず飛び込んできた足軽に肘うちを行い、兜ごとその頭蓋を陥没させた。

侍がすり足で私から距離を取る。それを見つつ、踏んだ槍をそのまま叩き折り、左手の槍を足軽へと突き刺した。


「が、ひゅ………!?」


断末魔すら聞こえぬ即死―――耳に空気を切る音が聞こえ、眼球を一瞬だけ空に向ける。

弓の音だ。その軌道を確認すると、頭蓋を陥没させた足軽を蹴り上げ、空に放る。矢はその足軽の死体に突き刺さり、安全地帯が生まれた。

その影に入りつつ、態勢を戻し、刀を構える侍に大刀を突き刺す。反応速度が余りにも異なるため、私の突きに対応しきれずに大刀によって彼の首はやせ細り、やがてずるりと落ちた………この間、凡そ一秒。

一騎当千と呼ばれる以上は、私という戦力は異質であり、異常なのは間違いないだろう。

しかし、しかしだ。視線を赤松本陣に向けた。


「随分と、数が多い事で」


平野を埋め尽くすのは赤松の兵。

万の敵と相対しようとも、私は決して死なないだろう。けれど、後方の姫様は?

どれだけ私が強くとも、一騎で全ての兵を止められるわけではない。半刻の間に千の兵を屠ろうとも、別の兵が私の領域を抜けていく。

余程立地に恵まれていなければ、一騎当千とは敵兵の全てを一人で殺し尽くすような怪物ではなく、あくまでも戦局の一局面を単騎でひっくり返せるだけの性能しかないのだ。

それでも………やるしかないだろう。出来る限り、多く殺し、そして時間を稼ぐ。未だ勝利を諦めていない霧墨と、そして主君である華燐のために。


「………涙助、箒。頼みましたよ」


私は、ただ殺し、耐えるのみ。

この戦いの戦局を変えるのは、私ではなく、彼らだ。

後方では、姫様が旗を持っている。微動だにせず、その視線はひたすらに前を見る。熱も色もない瞳だ、びいどろの様な瞳だ。

―――壊れてしまった、人形の様な少女だ。

ふ、と。一瞬だけ大刀が震えた。何故と考え、結局その理由は分からずに、私は………戦に、殺戮に、その身と心を委ねた。









華樂様が笑う。


小さな姫様を、目覚めない姫様を抱きながら。


この子の目が覚めたら、きっとお前の妹のような存在になるな、と微笑む。


いつ目覚めるの?と私は彼に問うた。


いつかさ。必ず、目覚めるよ。


幼い私は彼女の手を取って、青い瞳を開いて笑った。


待っているよ。人形の様な貴女を。妹のようなあなたを。




………それは遠く遠く、思い出せない記憶。


本当に全てが終わるまで、思い出せなかった記憶。









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