赤松攻め 急(3)
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六櫻の作戦は漏斗の構えと呼ばれるものだった。
裾野の形状を漏斗に見立て、その外周を弓兵と即席の柵で防護する。まさに漏斗の外側の部分に当たるのがこの防衛線であり、この弓兵と柵という単純な構造が数の不利を多少緩和させることが出来ていた。
そもそも動くものは全て撃ち殺す想定で作られたその防衛線は、如何に一騎当千と言えど突破することは難しい………味方だろうが敵だろうが動けば射殺せと言い含められているのだ。それこそ一騎当千と呼ばれるものの中でも隔絶した実力を持つ夕影ほどの実力者でなければ、弓兵に到達する前に大きな傷を負うだろう。そもそも、柵そのものは即席とは言え、高所を取った弓兵の群れに特攻するのはそれこそ無謀というものだろう。
さて、では漏斗の中央、形状そのものなら水の抜けていく穴の開いている場所。それはその裾野から伸びる街道であった。
平野に繋がるその街道に至る道は漏斗の外周とは大きく異なり、弓兵の備えはなく、ぽっかりと穴が開いている。ただし、その代わりに多くの雑兵が詰め込まれていた。
最早霧墨にまともに戦うことのできないと判断された、促成栽培の兵達。彼らの役割は、そのまま肉の盾である。或いは人の河と言うべきか?
………逃げれば、或いは側面(つまり弓兵が構える漏斗の外周)に行けば問答無用で射抜かれる。士気ではなく恐怖によって、霧墨は彼らの行動を縛っていた。
それに対して、赤松の軍勢の構築した陣は魚鱗の陣と呼ばれる、一点突破を狙ったものであった。
何故赤松がその陣を採用したのかと言えば、裾野という形状が齎した結果であり、そして霧墨の策が見事に炸裂した結果でもあった。
霧墨がどのような策を取ったのか。それは櫻松戦争の趨勢を決したこの”螺鈿裾野の決戦”の、冒頭部分で語られる。
一挙に幾つもの不可能とも呼べる手を打った彼は、恐るべき天才軍師として六櫻華燐と共に天唯に名を知らしめて行くこととなった。
人間の限界、心理の操作。盤上と盤外の戦い。彼はこの戦いに於いて確かに戦争というものの本質に触れたのだ。
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夜が明け、赤松の軍勢が本格的に動き出す。
そして先陣を切る赤松の軍勢は想定外のまさかにどよめくこととなる。
………そのどよめき、混乱は魚鱗の陣の中央に居る赤松彰吾やその側近である囃子達にまで伝わる事となった。
「―――六櫻華燐が、六櫻の国の心臓が、最前線だと?」
かつて須璃攻めの際に霧墨が取った戦術に近いそれ。しかしそのリスクは須璃の際の、一定の安全性が担保されたものとは大きく異なる。
隻腕で旗を持ち、赤松の軍勢を冷たい隻眼で見つめる、その人とは思えない色合いの髪を持つ少女。一切の影武者などはあり得ない、正真正銘の六櫻の国主の姿。
彼女は確かに六櫻の兵に守られているとはいえ、魚鱗の陣で進行する赤松の軍勢のすぐ近く、目と鼻の先に突っ立っているのだ。
彼女がその身に負う危険性は遥かに須璃攻めよりも高く………そしてその囮としての効果は須璃の時の比では無いほどに効果的であった。
赤松彰吾ですら驚くその奇策。これによって、赤松の軍勢は華燐を何としても殺すという”結果”にしらずの内に囚われることとなる。
目の前、それも手を伸ばせば届く距離に確かに置かれた甘い餌に手を伸ばすなという方が無理であろう。
あの姫の首を落とせば、この戦いは終わる。天唯南部は再び平和に戻る。その事実に駆り立てられ、赤松の軍勢は士気を揚げ、その攻勢は苛烈さを増す―――それ自体は確実に六櫻には不利であった。だが、戦争の本質に触れた霧墨は理解していたのだ。
人は死の恐怖に駆り立てられたときの方が良く動く、と。漏斗の構えの本質は魚鱗の陣を巧く躱し、反撃するための策ではなく、味方をこそ脅し、殺すための陣であったのだ。
士気によって攻撃力を増した赤松の軍勢。その狩りたてる恐怖が、皮肉にも六櫻の雑兵共を土壇場で強くする。更にはその緊張状態が続き、けれども決して折れぬように、華燐を中央に置き、その護衛として箒と白鬼衆、そして誰もが認める一騎当千である夕影が配置された。
絶望だけでは人の心は折れる。だからこそ、支柱となりうるものを置いた。その支柱は盤を支える堅牢な、俗に希望と呼ばれるものでも、盤を崩す腐りかけの絶望でも構わない。要は都合のいい結果が出せればよいのだ。
盤上と盤外、その狭間に打ち込むような絶妙な一手。奇しくも、前の戦の敗戦が霧墨をここ一番で進化させた。
「だがまあ、それだけじゃ駒が足りねぇよなあ」
六櫻華燐とその馬廻衆による最終防衛線のその少しだけ後方に一人で座る少年が、口元を大きく歪ませて笑う。
………そう、一人だ。彼は最早全ての仕込みが終わった後、抜け殻の本陣で独り座っていた。それ以外の戦力は全て運用している。もしも、仮に彼が立てた策を打ち破られたのであれば、その時点でその策と共に死すると言わんばかりに。
「悔しいが、赤松彰吾が精鋭に六櫻の鎧を着せて本陣に突っ込んだのは良い策だった。やっぱ、奇襲っていうのは意識外から来るからこそだよな」
パチン、と音が鳴る。将棋盤の上には駒が置かれ、見えざる敵を相手に手番は進む。
「次はもっと鋭く刺す。深く、燃えるような一撃だ」
駒を手にした少年が、視線の先、真っ直ぐに手を伸ばす。
「さあ、愉しませてくれよ」
その先には、今まさに決戦を迎えようとしている赤松と六櫻の軍勢があった―――。
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「六櫻の兵は雑兵ぞ!!どうせ此処まで届かぬ横の弓兵など放っておき、あの悪姫を最優先で始末しろ!!」
先陣をひた走る将がそう叫ぶ。
平野に疎らに建てられた申し訳程度の鹿垣の奥では、震えた手で槍や刀を握る六櫻の兵の姿が見えた。
進軍と同時に六櫻を挟みこもうとして山間に入っていった者たちは、異様な動きを魅せる弓兵たちに警戒し、兵力差を生かした正面戦闘に作戦の方針を定めた所であった。
「(狙いに来るわけでもなく、ただ寄せ付けぬ。六櫻の麒麟児め、何を考えている………?)」
そう、思考が沈んだ瞬間、腹の底に重く圧し掛かる殺気を感じ、一瞬にして身体中から汗が噴き出る。
視線を上げ、前を見れば、その瞬間に率いていた仲間の首が吹き飛んでいるのが見えた。
刀、否。大刀を振り切っている姿―――艶やかな黒髪と戦場には似つかわしくない着崩した着物、それから一本歯の下駄。薄く開かれた瞳からは、青い色が覗いている。
六櫻の誇る一騎当千、天狗の子。
「夕影ェェェェ!!!」
轟音を立てて目の前からその女武者の姿が消える。
土煙の中で背後から悲鳴が聞こえ、振り返る。振り返ろうと、する。
………ずるりと視界が斜めにズレた。
「こ」
この化け物め。
その単語は言葉にならず、その将は戦場に散った血の一つのなり果てた。
そんな心中で化け物と罵られた夕影は戦場全体を改めて俯瞰する。
「姫様の傍を離れるな、しかし決して負けるな、進ませるな、そして死なせるな。難しいことを言いますね」
思考の中に出てくるのは憎たらしい笑みを浮かべた軍師の少年だ。
敗戦の後、より生き生きとしている彼の指示の元、私たちは大分無茶ともいえる防衛戦に挑んでいる訳だ。
姫様の周囲に配置されたのは、私と洲鳥率いる白鬼衆。涙助と箒は別動隊であり、そして古森は漏斗の構えと名付けられた外周を守る弓兵に指示を出しつつ、遥か後方から援護射撃を行っている。
遠くで住んだ音が響いて、指揮を行うであろう将の額に矢が寸分たがわず突き刺さる。
彼女はまだ身体が未熟であるため、剛力を用いての超遠距離射撃は行えない。だが、高所を取り打ち下ろすのであれば、落下によって飛距離を伸ばすことが出来るのだ。
古森の射撃制度はあの若さでありながら達人の域にある。落下を加味してしっかりと的に当てることは、外す方が珍しいという具合である。
「………」
そんなことを考えながら、自身を狙って振りまわされる刃を躱す。
肘うちでその顎を砕き、蹴りで鎧の上から肋骨を粉砕させ、刀を大刀で弾き、すれ違いざまに三枚に卸す。
今はまだ雑兵ばかりだ。乱戦になっていないため、こうして私が前線に出て暴れることが出来ている。
だが、ここからはそうはいかない。赤松の軍勢が六櫻の防衛陣地に浸透してきたら、私は姫様の傍をいよいよ離れられなくなる。
「まだ白鬼衆に任せるには不安があります」
実力的な意味合いだ。白鬼衆は今六櫻が引きつれている兵の中では練度が高い部類だが、しかし六櫻古参の侍たちに比べれば劣る。
珠の様な一部の兵を除き、赤松の精鋭と大体拮抗するといったあたりだろう。そして、精鋭の数は赤松の方がずっと多い。
数の暴力を覆すには、一騎当千が必要だ。即ち、私が守るほかない。
「ましてや、いよいよ六櫻の新兵は役に立たないのですから。さて、霧墨も無茶をいうものです。これで、三日を待てと?」
肉の壁、人の河で三日を持たせろ。それで決着だ。
そう嗤って無茶を言うあの少年の作戦に、姫様は異を唱える事も無かった。
勝てるのならそれで良いと言わんばかりに。
人間性がいよいよ希薄になった主人を見て、どこか言葉にしにくい感情を覚えるが、しかし私はそれに付けるべき名を知らなかった。
しかし。しかしだ、華燐が命じた。ここで私を守れ、この戦に勝て、と。
ならば勝とう。そして華樂様に命じられた彼女の護衛という任を、しっかりと果たす。それ以外の思考は全て不要であろう。
―――わが身をただ一本の刀として。
「………」
億劫そうに前を見る。魚鱗の陣を敷く赤松の軍勢の先、そこには見るからに厄介そうな複数の赤松の一騎当千の姿が見えた。
彼らを如何に殺すか。瞳を閉じて、それを考えた。




