櫻松戦争 急(2)
赤松の軍は裾野の向こうに見える奉津城に逃げ込んだ六櫻軍を討滅するために、宮辺と隅野の二つの国の軍と共同戦線を結んだ上で陣を作っていた。
共同戦線といっても、その軍を構成している大多数は赤松の兵であり、それ以外の二つの国は赤松の国の最後方に殆ど置かれているばかりの兵であった。
それは六櫻の別動隊に対して奇襲をかけておきながらも手痛い反撃を喰らい、その兵力を失ったのが主な原因であった。
赤松はまだ一騎当千の最後の一人の元に最低限の戦力が残されているのに対し、他の二国は自国を守る兵の調達にすら苦心する始末。赤松の国主たる赤松彰吾は、その余りにも杜撰で戦い方を知らない二国の国主相手に笑みの裏側で溜息を吐くばかりであった。
「囃子、軍の準備は整っているかな?」
「万事抜かりなくですよ、お館様」
名刀”鬼狩り藤吉”を携える小姓が、赤松彰吾の言葉に頷く。
そしてその視線が一人の老兵へと向いた。
「爺さん、本当に戦うつもり?多分、天狗女どころかただの兵と戦ってるだけで死ぬと思うけど」
「構うものか、少しでもこの命、赤松のために」
―――利き手である右腕を縦に裂かれるという地獄を見た、赤松清房。螺鈿城の城代であるその老兵の右腕は松明によって焼かれており、無理やりに止血されていた。
かといって失った血が戻る訳もなく、また利き手を失った彼は最早一騎当千と呼ぶには値しない。
小姓………囃子が言った通り、名だたる将と戦うまでも無く、ただその命は戦の中で何の名も挙がることなく死に至るであろうことは、確実であった。
「………清房殿の最期の忠義に感謝を」
「はは、小僧が随分と言うものだ。お前も、死ぬなよ」
常に老兵と青年の間には軽口が、或いは説教と罵倒が飛び交っていたものだが、この期に及んではただ、互いの腕への尊敬と、そして最期の戦への覚悟だけが満ちている。
そんな彼の背後に、黒装束の男が数名現れる。それは透破やら乱破やらと呼ばれる、つまりは忍びの者たちであった。
「来ましたか。偵察の結果は?」
そんな彼らに反応するのは赤松彰吾。立ち上がると、偵察の結果を尋ねる。
「は。六櫻は奉津城から伸びる街道の裾野に先端に陣を敷いています。鹿垣や木の柵によって最低限の防御を構築しているようです」
「それ以外は?」
「残念ながら陣の後方を見るのは難しく………多くの弓兵が常に見張っているようです。鹿垣などはその弓兵の前にあり、六櫻側面の山を回り奇襲を掛けようとするものに対して強く警戒している様子でした」
「まあ、六櫻の陣は見たところ正面に厚く敷いている。奉津城の方面から攻められれれば今度こそ壊滅するだろうから、それは仕方のないことだが」
しかし、と赤松彰吾は思案する。
相手は麒麟児と称される霧墨だ。だというのに、これでは最期の悪あがきに全ての兵を道ずれにして赤松と正面決戦をするようにしか見えなかった。
当然、先の戦いで六櫻の兵力は大きく削られており、どれだけ陣を作り防御能力を高めても、背後に万全の状態の螺鈿城の擁する赤松が最終的に削り勝つのは自明の理である。
「何を考えている?」
例え当初想定していたよりも六櫻の兵を削れていなかったとしても、今の六櫻の兵と赤松の兵では例え夕影という無双の一騎当千がいても、最後に勝つのは赤松である。
彼の天狗と呼ばれる女傑だけは生き残るかもしれない。だが、その他の、例えばそう―――国主である華燐姫は必ず死ぬだろう。
いいや、赤松の兵が必ず殺す。六櫻の心臓はどこまで行っても華樂の血を引くあの姫だ。あの姫さえ、あの血筋さえ途絶えれば、自動的に六櫻は崩壊する。
この戦いに於ける最終到達点とは、つまるところ赤松が華燐を殺すか、それとも六櫻が赤松の軍勢そのものを蹴散らすかのどちらかであり、そう言った勝利条件からして、圧倒的に赤松側が有利なのである。
多勢の軍勢全てを屠るのと、国主一人を仕留めることの、どちらが大変かという話だ。
「お館様、盤上は如何に?」
「読み難く、でしょうね、清房殿」
「お館様をして、ですか。やはり霧墨は難敵と見える」
「油断はできませんよ、彼にも、そして―――彼女にもね」
赤松彰吾が言った彼女という言葉。それを囃子と清房は夕影の事だと考えた。
しかしその事実は異なり、赤松彰吾が脳裏に浮かべていたのは、六櫻華燐という姫の名であった。
目覚める事の無い筈だった屍の姫。華樂が最期まで執着した忘れ形見。
一体どのような姿をしているのか、何を考えているのか。目を細め、頭上に浮かぶ月を見る。残念ながら月は雲に隠れ、夜を照らすことは無かった。
***
―――それは、偶然の産物だった。
六櫻の国庫の支出と収入をまとめ、見ているとどうにも合わない。そして支払額がどうしても足りない場所が出てくる。
それは何故かと調べていれば、私の知らないところで霧墨が傭兵を雇っていることが発覚した。
「その数、凡そ三千。これを今回の赤松攻めに用いました。しかし、霧墨が用立てたその三千の兵とは別に、私の方でも三千の兵をかき集めていたのです」
………支払い額が足りなかったのは当然だ。想定の倍の兵を集めてしまっていたのだから。
単純に報連相が足りなかったが故の問題であり、そしてその際に六櫻の国庫には支払うべき金がないため割と大問題だったのだが。
私は種明かしを聞く夕影、涙助、霧墨、古森、そして箒に対して溜息を吐きながら続けた。
「この支払いに関しては小夜を通したものであったために、彼女が代わりに支払いを行ってくれています。まあ、六櫻は藍染家の小夜に対して借金を作っている形になりますね」
「………僕たちはあの商人にかなりの借りを作っている訳か」
小夜が私に対して発したお高くつくという発言や、大変だったというその言葉はこれらの事に対してだ。
まさに一時の支払い猶予期間だが、赤松にさえ勝てれば存分にその借りを返すことが出来るのは事実。事実なのだが………思わず小夜の行動にはあきれてしまう。
彼女にとっても、これは賭けだろうに、損切りすら許されない全額ベットとは。私も大概だが、彼女も大概山師であると思った。
「ええ。あの時既に兵は用立てた後であり、今さらキャンセ、こほん。契約を反故にすることも出来なかったため、赤松占領後の後詰めとして用いる想定でした。運搬する兵糧を考えても、いきなり三千の兵を増やして運用することは出来ませんでしたから」
「その兵はいつごろ到着するんだ?」
「出立の準備は最終的な号令は宝治に一任していますが、彼は当初の想定通りに兵を寄越してくれるでしょう。つまり―――」
「………ははは、今という訳ですな?」
気配を察知したのであろう涙助の言葉に頷く。
当初の予定であれば螺鈿城を突破し、赤松本拠へと向かっている頃合いである。そんな六櫻軍の後を追う後詰めの兵三千は、丁度このタイミングで奉津城へと差し掛かる。
そして彼らは見るのだ。螺鈿城に対して警戒をしている六櫻の旗を。
「伝令!六櫻より後続部隊が………」
「ああ、通せ。今から大事な話があるんだ」
「は!」
余談であるが、今の伝令は白鬼衆のものである。
真面に戦え、それでいて信用できる兵は現時点だと馬廻衆を除けば山賊上がりの白鬼衆しかいないというのは非常に不思議な事だ。まあ、無いものはしょうがない。使えるものをうまく使うしかないだろう。
伝令が向かった後暫くして、後続部隊の将だと思われる男がやってきた。
焦げた茶の髪に焼けた肌、戦場の中で自然と鍛えられたと思われるその姿は、どこかの国に所属している侍というふうには見えない。十中八九、傭兵団の長であろう。
「これはこれは、お初にお目にかかります。傭兵団”水蓮衆”の長、三代目水蓮です。六櫻の姫様………でいいんですかい?」
「ええ。お前たちを雇ったのは私です。まあ、指揮をするのは私ではなく、その少年ですが。決してそれは私の供回りなどではありませんよ」
「おいコラふざけた紹介の仕方すんじゃねぇ阿保姫。………僕は霧墨、この六櫻の軍師だ」
「………お噂はかねがねですが、どうにも幸先が良いとは行っていないようで」
「ああ。しくじった。だがお前等がいる―――勝てるぜ、この戦い」
慎重に見極めようとする傭兵団の長に対して、霧墨は強気に笑った。いや、彼がそういうのであれば勝てるのだろう。
………どれだけ犠牲が出ようとも。
何を構うものか?ここでの勝利はこの先のために必須なのだ。この戦での全ての犠牲は必要なものである。尤も、更に先を見据えれば将相当の兵に気軽に死なれては困るが。
「今から作戦を説明する。陣の外で己の憐れを嘆いてる馬鹿共も、白鬼衆も、傭兵も―――そしてお前ら将兵に、華燐。全員を最大限利用する。簡単にくたばるなよ?」
特に、と霧墨の視線が私に向いた。
「華燐、お前が要だ。臆するな、逃げるな、だが死ぬな。夕影は守れ、絶対に華燐を死なせるな」
「―――御意」
「何を考えているかは分かりませんが、いいでしょう。それで、勝てるのなら」
夕影と私がそれぞれ答え、満足そうに笑った霧墨は改めて地図の上の駒に、赤松の陣のその中央にある王将に、小刀を突き刺す。
語られた作戦に、涙助が笑い、箒が唸り、古森が溜息を吐く。夕影は沈黙し、何が何だか分からない様子の傭兵の長は肩をすくめた。
どうであれ、今度こそ完全に賽は投げられ、その出目は神にすら分からない。しかし、それでもここで言うべきことはただ一つだろう。
「さあ、反撃の始まりです」
そう、一切の温度なく、私は言い放った。
 




