櫻松戦争 急
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夕影の救援と、そこから繋がるのは、赤松の追撃軍を更に後方から六櫻の兵が追うという状況に涙助の加勢が得られるという結果であった。
達人は一騎当千には劣る。だが、指揮能力に関して言えば、極一部の侍を除いて、凡そ達人と呼ばれる人間の方が得意であるというのは、この天唯という国家において普遍的に知られていることであった。
それこそ、赤松彰吾がそう言った手合いなのである。
また、陰の立役者として撤退の指揮を任された箒が、弓兵を主体として迎撃を行い、赤松の追撃をうまく躱して戦力をうまく温存したことも良い方向に働いたのだろう。涙助率いる六櫻後続が迫ってきたこともあり、赤松側は当初想定していたよりも早めに撤退の判断を下し、軍勢を二つに割って、螺鈿城の方へと後退していく。
六櫻が分割された軍のどちらかを叩こうとしても、もう片方が背後から襲い掛かるという状況になるため、六櫻側はその撤退の動きをただ見守るしか出来ず―――結果として、この櫻松戦争の初戦は六櫻側が大きな損害を受けたという形に収まった。
とはいえ、赤松側も本来見込んでいた程の戦果は得られず、それに対して赤松彰吾は、
「六櫻を、いや………華樂の集めた兵を見誤っていましたかね」
と、側近たちに告げたという。
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ところ変わって、奉津城跡地まで撤退することに成功した六櫻軍の、その本陣。
すっかり夜の闇が落ちたそこでは怒号が飛び交っていた。
「どういうことだ?!勝ち戦じゃなかったのか?!!」
「仲間がたくさん死んだぞ………糞、こんな国に付くんじゃなかった………」
「やっぱり無能姫について行くなんて………故郷の隼波木を攻め落としたのはただの幸運だったんだ………」
五月蠅い声に溜息すら出ない。
喚いているのはここ最近で軍に入った兵達だろう。使い捨てられることも想定している金で雇った傭兵達ならばこう言ったことも言わないのかもしれないが、彼らは六櫻の侍たちと共に隅野と宮辺の山中で討ち死にしている。
出立前に霧墨が言っていた通りに、彼らの教育はまだまだ足りていない。そもそも戦の経験が少なすぎるのだ。
実力だけではなく、兵として持つべき忠誠も規則を守るという行動すらも、不足している。
如何にして効率よく武官を育てるかという事に思考が傾きかけた頃、わざわざ本陣付近にまで押しかけて無駄な体力を使って私に罵声を浴びせるその集団の背後からどよめきが上がった。
………鼻先に香るのは、もはや嗅ぎなれた血の匂い。それも特に濃いものだ。
「阿呆共、ほら散れ散れ。ここは本陣、軍議を行う智慧の場だ。無暗に押し掛ける者は作戦を朗詠させる裏切りものとしてここで処罰するぞ?」
「訓練内容が武術ばかりで他の事を教える時間が無かったのが悔やまれますね。これでは頭の無い烏合の衆です」
衣服に付いた返り血以外一切の怪我をしていないのが、鞘に納めた大刀を手にした夕影。それと肩を並べて歩く涙助の方は、やや手負いであるようだが、それでも致命的な傷は受けていないように見える。
まあ、兜が切り裂かれている男を無事と呼んでいいかは分からないが。
とにかく、将に相当する二人が前線から帰ってきたという事実は決して悪いことではない。
「戻ったか。涙助」
「戻りましたとも。それにしてもしてやられましたな、霧墨。危うく死ぬところでした、ははは」
「ああ、しくじった。悪かったな―――次は勝ちに行くぞ」
「………ふむ?」
涙助がじつと霧墨の瞳を見る。少年の方は口を半開きにしてなんだと言わんばかりに見返しているが、涙助は数度頷くと、私の傍に腰を降ろした。
「姫様は意外と、人を変える才があるのかもしれませぬな」
「………は?」
「いえいえ、こちらの話です。さて」
小手を外し、本格的に止血処理を行う涙助。その小手の下の腕には、そこまで深いものでは無いが、刀の傷が刻まれていた。
冷静にそれを処置しながら、少しだけ声を小さくした涙助が言う。
「姫様の方が、私よりも遥かに深い傷を受けているようですが、大丈夫ですかな」
「………よく気が付くものですね。周囲の有象無象は何も見えていないようですが」
「兵としての年季が違いますからな。六櫻の古参の兵も分かっているでしょう。士気が下がるから敢えて口にしていないだけでしょうなぁ。それに、珠を始めとした白鬼衆が明らかに殺気立っております。数も少なくなっている」
「やはり私は姫様の元を離れるべきではなかったのでは?」
「お前が前線に居なかったら確実に涙助が死んでただろ、お前の居場所は戦場だっつうの」
額を叩く霧墨が呟く。広げられた机の上には地図が。そして更にその上には、将棋の駒が幾つか並べられていた。
………玉将の近くには、龍がある。それに視線が吸い寄せられた。
「涙助。手傷を負っているようですが、まだ戦えるのですか?」
「戦えと命じられれば喜び勇んで行きましょうとも」
「まだ死なれては困ります。お前の死に場所はこんな場所ではない」
「ふむ、では生き残るとしましょう。して、霧墨、反撃の策は?」
「ある。ま、こういう時こそ初志をあえて貫徹しないっていうのも大事だよな」
子気味良い音を立てて霧墨が持つ小刀が刺されたのは、地図のうち、奉津城と螺鈿城の間にある、開けた平原であった。
山城である奉津城と、どちらかと言えば平城に近い螺鈿城の間には当然ながら赤松の国が整備した街道がある。ただし、奉津城から伸びる街道は山間を抜けるように作られているため曲がりくねり、小規模な商人ならばともかく、軍隊を動かすには適さない。
まあ、守りを兼ねているのだから当然だが………そんな街道も、巨大な城下街を持つ螺鈿城に近づく頃になれば裾野となり段々と開けだす。
そもそも螺鈿城という城そのものが、盆地に作られた城なのだ。ある程度ではあるが平地となっており、軍の展開も容易い。その事実はどちらかと言えば損耗率の低い赤松側にとって有利に働くとは思うのだが。
「あれだけ平野での決戦を嫌っていたのに、ですか?」
「ああ。まあ、華燐の虎の子を使ったとしても、正攻法じゃもう赤松を下すことは出来ないだろう。夕影、相手方の一騎当千はどれだけ削った?」
「確実に戦力外となったのは一名ですね。後は全盛程は出せないでしょうが、戦場には立てるでしょう。一人………涙助とかち合ったあの青年は殆ど万全と言ってもいい」
「そうか。手負いでも一騎当千は一騎当千だ。こっちの兵なんて軽く刈り取ってくる」
ましてや、螺鈿城からは既に兵が放出され、城下街に蓄えられた潤沢な物資によって成立している赤松の大軍が、この奉津城に向かって昼夜を問わず進軍しているのだ。
城の機能を失ったこの奉津城ではまともに防衛戦など出来ないことは明白で、かといって既に展開された軍勢に付け入る隙は無い。
「攻める機会は、こっちで決めないと蹂躙されるだけだ」
「だからこその平野での決戦ですか?相手の意表を突く、と?」
「ああ正解。駒の打ち手を増やされた以上、僕は盤上では負けた。だけどまあ、盤外戦術で負けた訳じゃないからな。心理戦もまた、戦の形だ」
そも、軍隊という巨大な生物は、不意打ちには弱いのだ。そう言って霧墨が笑った。
「涙助。早速で悪いが、もう一回だけ重労働をしてもらうぞ?」
「人使いが荒いことですなぁ。しかし、戦えるのであれば異を唱えることは在りませんとも」
「箒にも動いて貰う。それから白鬼衆もだ、使えるものは何でも使う―――いいな?」
霧墨の視線に頷きを返す将たち。その中に、木の上から降りてきた古森が加わった。
彼女は木の上でずっと赤松を監視していたのだった。ついでに、私に近づく不審な兵が居ないかも見ていたらしい。
「霧墨、赤松の軍が近づいてきたぞ。もうあんまり距離がない」
「分かった。んじゃま、始めるとしようか」
指先で灯火を消すと、月明かりの下で彼が笑った。
「―――作戦はまあ、漏斗の構えだ。この夜が明ける前に、天秤をこっちに傾かせるぞ」




